Amazone Prime のラインナップに、フレッド・アステアの映画を見つけて、早速鑑賞。
フレッド・アステアは好きで、有名どころはけっこう見ています。
しかし、この映画は未見でした。
1943年の製作ですから、日本とアメリカは、太平洋戦争の真っ最中。
日本では、「欲しがりません。勝つまでは」などと言って、悲壮感あふれる時代でしたが、アメリカはさすがに余裕です。
なにせ、戦争の真っ最中に歌って踊ってるんですから。
もともと、こんな国に勝てるわけがありませんでした。
しかし、さすがにこの時代の映画ですので、アステアの設定も、零戦を17機も撃ち落としたというアメリカ空軍のパイロット役。
この時の、アステアは、すでに44歳ですから、少々年齢に無理はありますが、ミュージカル映画ですから野暮なことはいいますまい。
お相手は、ジョーン・レスリー。
フレッド・アステアのダンスパートナーといえば、なんといっても、ジンジャー・ロジャースが有名ですが、この方もなかなかどうして、アステアと息のあったダンスを披露してくれています。
10日間の休暇をもらって、街に繰り出したアステアが、報道カメラマンの彼女に見初めて追いかける展開。
今なら、ストーカーと言われてしまいそうなアステアの猛アタックですが、基本は「ボーイ・ミーツ・ガール」のミュージカル映画ですので、目をつぶりましょう。
僕がフレッド・アステアを初めて知ったのは、実はミュージカル映画ではありませんでした。
1974年公開の「タワーリング・インフェルノ」というパニック映画。
彼はこの映画に、詐欺師役で出演。
アカデミー賞助演男優賞を受賞しています。
パーティのシーンでは、ジェニファー・ジョーンズを相手に、往年の軽やかなステップも披露してくれましたね。
そして、決定的だったのがなんといっても、同じ年に制作された「ザッツ・エンターテイメント!」。
ミュージカル映画華やかし頃の、極め付けのダンスシーンをピックアップしたアンソロジー映画。
これで、僕は一気にフレッド・アステアのファンになります。
映画では、ジーン・ケリーと共にホストも務めていました。
ジーン・ケリーのダンスが、肉体派とすれば、アステアのダンスは、洗練された、都会的で洒落た粋なダンス。
決して、美男子ではない彼が、ひとたびステップを踏み出せば、たちまち魅力的に輝き出します。
そういえば、子供の頃、家の靴箱の奥に、白いケースの中に収められたタップシューズがあったのを思い出します。
子供のころは、それがタップシューズだとは、知りませんでしたが、洋画好きの父が、密かに買って持っていたものと思われます。
おそらく、若き日の父は、アステアようなステップを踏みたくて、こっそりとこの靴を買って練習していたのでしょうね。
もちろん、僕の父ですから、当然美男子ではありません。
彼の涙ぐましい努力が偲ばれます。
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