23日は、朝6時30分のブータン・エアラインに搭乗。
4時30分には、ホテルを出て空港に到着。
ブータンエアラインのカウンターに行って、パスポートとEチケットと、ブータンのビザを出して搭乗手続きという「しおり」の案内でしたが、行ってみるとやはりバンコクでは、羽田と勝手が違います。
羽田なら掲示板や案内が読めましたが、ここスワンナプーム国際空港ではまるで読めず。
空港スタッフに聞いてもなにを言っているか分からず。
ほとほとまいりました。
とにかく人の流れを読みつつ、並んでいる人の様子をチェックしつつ、なんとかたどり着いた搭乗ゲート。
コルカタ経由の、ブータンエアラインに搭乗できた時には、正直言ってホッとしました。
ちなみに、コルカタとは、昔で言うところのカルカッタ。
乗り込んでいる搭乗客の半数以上はインド人でした。
ブータンのパロ空港は、山間部の谷地にある空港。
香港の景徳空港は、街のど真ん中に降りていくのでスリリングだった記憶がありますが、ここパロ空港は、山間を縫っての着陸で、こちらもかなりスリリングでした。
パロ空港のタラップを降りた時には、正直安堵の胸をなでおろしました。
ブータンツアーの場合は、到着してしまえば、ブータンを離れるまではずっとガイドと運転手が同行してくれます。
道中は、ほとんどなにを心配することのない「おまかせツアー」になるのが特徴。
外国人に国を荒らされたくないと言う、ブータンの観光に対する方針なんですね。
要するに、ガイドという名目の監視役を、観光客のすべてのグループにつけるということ。
これは徹底しています。
さて、ブータンに到着したのは、予定通りの10時30分。
第五代ワンチュク国王夫婦の看板の笑顔に迎えられ、やっと念願のブータンの地を踏みしめました。
ブータン紙幣ヌルに両替をして、入国審査。
旅行鞄をターンテーブルからとって、空港のエントランスに出れば、僕の名前を書いたボードを持ったガイドさんと、運転手さんが迎えてくれました。
ガイドさんは、キンレイ・ドルジーさん。
運転手は、デジェン・ドルジーさん。
同じドルジーさんでしたが、血縁関係はないとのこと。
よく見たら、スペルが違っていました。
日本語を喋れるガイドさんと聞いていたのですが、キンレイさんに聞いてみてビックリ。
日本語を勉強し始めたのは、2014年からとのこと。
さすがに、流暢とは言いませんが、それでもたったそれだけの期間の勉強で、ガイドが務まるほどの日本語を習得してしまったのはちょっとスゴイ。
日本の感覚だと、アンビリーバボ。
もともと現地のガイドは、みんなゾンガ語のほかに英語はペラペラ。
日本語が怪しくなってくると、英語が飛び出してきますが、英語なら、こちらもわからないでもないので、コミュニケーションは問題なさそう。
バンコクについてから、ほぼ丸一日聞けなかった日本語が、このパロ空港で聞けてなんだかホッといたしました。
お二人とも物腰はとてもフレンドリー。
そして、後々わかるのですが、とにかくいろいろ気がついてくれるんですね。
ブータンには、およそ3000人のガイドがいると言っておられましたが、思わずガッツポーズ。
「こりゃ当たったぞ!」
こちらとしては、勝手にそう思ってしまいました。
空港から出て10分後には、お二人からはいつのまにか「カキサン!」
これは楽しいブータン旅行になりそうだと、期待に胸が膨らんで参りました。
さて、そんな彼らと旅を共にするブータンの五日間。
まずは初日。
この日は、空港のあるパロ周辺の観光です。
まず最初に向かったのは、ブータン最古のお寺キッチュ・ラカンだったのですが、通りかがった広場で、ブータンの国技弓道の試合をやっていたので、気を利かせて、まずはそこに寄ってくれました。
ブータンの弓道は、日本のそれとは、ちょっと違います。
町村単位で、それぞれに弓道のチームがあり、そのチームが150m以上離れた長い試合場で、それぞれ向かい合い、相手の陣地にある的をめがけて矢を放ちます。
見事的に命中させたプレイヤーは、腰のところにそれとわかるようにカラフルなキレをぶら下げます。
そして、命中させればメンバー全員で勝利のダンス。
試合のルールは、相手より先に25点を先取した方が勝ち。
試合はとても長くなり、ほぼ丸一日かかることもあるそうです。
なんだか、のんびりしていて、とてもブータンらしいスポーツ。
最後の月曜日には、パロに戻ってきて、正式にこのアーチェリー(彼らはそう言ってました)を体験できる予定です。
ドライバーのデチェンさんは、自分の村の正式なアーチェリーのメンバー。
仕事中とはいえ、目は爛々と輝いていました。
さて、終わりそうもない試合会場を後にして、向かったのは、ブータンでは現存する最古のお寺というキチュ・ラカン。
このお寺は、7世紀にチベットを統一したソンツェン・ガムポ王が、チベットの大地に横たわる羅刹女を鎮めるために建立した108のお寺の1つ。
当然ながら、ブータンのお寺は、チベット仏教と密接な関係があります。
そして、すべてのお寺には、ちゃんと建立にまつわるストーリーがある。
キンレイさんの説明にも熱が入ります。
これは、マニ車。
この一つ一つがぐるぐると回ります。
一つだけルールがあって、必ず時計回りで回すこと。
このマニ車には、大小いろいろなものが、ブータンでは、ほぼどこの寺院に行ってもあります。
さて、キチュ・ラカンから一度パロ市街に戻ります。
ちなみに、ブータンの道路は、一応舗装されていますが、一部を除いては、ほぼ車がやっとすれ違える程度の広さしかありません。
そして、パロの市街地においても、信号は一切なし。
道路標識や、カーブミラーも皆無。
なんといっても、びっくりするのは、パロの市街地を一歩出れば、車の走る道路には当たり前に、牛や馬が歩いていること。
ブータンにきたなという感じです。
さて、ブータンでの最初の食事。
ランチは、市内のレストラン。
ブータンでは、出された料理を、自分の大皿によそって食べるというスタイルが一般的。
覚えているうちに、右からいきましょう。
レッドライス。
モモ。(これは蒸し餃子みたいなもの。中身は野菜)
鶏肉の揚げ物。
ブータン風かぼちゃの煮物。
蒸したブロッコリー。
そして、最後に出てきたのが、ビックリ。
なんと松茸です。
日本では、これは高級食材ですが、ブータンでは、あたりまえに普通の野菜素材のひとつ。
しかし、そのあたりの事情は、キンレイさんも知っているらしく、こちらがびっくりしているのを見ながらニヤニヤ。
アフターランチの後は、パロの市街を少し歩きました。
まず目を引いたのがサブジバザール。
野菜市場です。
百姓志望者としては、目が爛々。
見たことのある野菜。
見たことのない野菜。
ここは週末だけの開催らしいのですが、この日はオープンしていました。
動画に集中して、画像は撮り忘れていたので、これは帰ってから動画で報告します。
そして次に向かったのが、 国立博物館タゾン。
ちなみに、ブータンでの施設の入場料や拝観料は、すべてツアー料金の中に含まれていて、支払いはすべてキンレイさんがやってくれます。
両替したヌルを使うのはお賽銭くらいのもので、ほとんど使う場所はありませんでした。
さて、ここは博物館ですので、中は撮影禁止。
ブータンの暮らしの様子や、豊富な自然の紹介がコンパクトにまとめられていました。
外に出ると、今ブータンを訪問中の秋篠宮ご一家が、記者たちの質問に答えられていた場所を発見。
同じようにそこに登って、手を振ってみました。
ちなみに、今回のブータン旅行における、秋篠宮ご一家訪問の効果は絶大。
ご一家が訪れられた場所は、どこも最高の状態にドレスアップ。
普段は見れないものまで見られましたので、とてもラッキーでした。
これは、タゾンの高台から見下ろしたパロの街。
ブータンでは、建物のすべては、伝統様式に則ったものでなければいけないという法律があります。
なので、その景観を壊すような建築物は、ほとんどなく、すべての建物の調和がとれています。
その建物の様式を除けば、どこか日本の信州の風景と通じるものがあって、田舎暮らしの志望者としては心落ち着く風景です。
そして、その次に行ったのが、ベルナルド・ベルトリッチが監督した「リトル・ブッダ」が撮影されたことで有名になったパロゾン。
ブータンのゾンのほとんどは、役所との複合施設。
このパロゾンの中に、役場があり、裁判所があり、寺院があり、修行僧たちの学校があります。
中を歩いてみると、ブータンに出発する前に観てきた映画「リトル・ブッダ」の冒頭のシーンそのままの風景。
歩いている少年僧の姿も、映画の中に登場してきた少年僧たちそのまま。
映画が作られたのは、1993年でしたが、完全に時は止まっていました。
そのままパロゾンの丘を下りていくと、パロ・チュ川を渡る地点に建てられている屋根付きの伝統様式の橋がカンチ・レバー橋。
ここも、『リトル・ブッダ』の撮影で使われていましたね。
さて、パロの観光を終了して、本日お世話になるのは、パロの民家。
ホテルに泊まるよりも、こちらの方が断然面白いはずだと踏んで選んだこのツアーです。
最後の日にもう一度お世話になる予定の民家。
かなり立派なお宅です。
ガイドのキンレイさんと、ドライバーのデチェンさんも、ここに宿泊。
こちらの民家は、お父さんお母さん夫婦に、85歳のおばあちゃん。
その息子さんや娘さんたちの家族。
ちょっと人数は把握しきれませんでしたが、およそ10人くらいが一緒に暮らす大家族。
民泊もこれまで、かなりの数を受け入れてきたご家族のようで、ガイドさんとドライバーさんも、ほとんど家族の一員のようなノリ。
この大家族の料理を、すべて切り盛りしているお母さんの笑顔は印象的でした。
こちらは、お父さんと息子さん。
古い民家なのですが、ゲストを迎え入れる体制は万全。
古い床は、ピカピカに磨き上げられ、ゴミひとつ落ちていません。
トイレもバスルームも、古いながらも手入れは行き届いていて不快感なし。
Wi-fi の設備は流石にありませんでしたが、ちゃんと部屋まで電気は来ていました。
僕のゲーストルームの隣にはこの仏間。
朝には、お父さんが、お祈りの正装に着替えて、お経を読んでいました。
お線香の香りがプーンと漂います。
ちょっとビックリしたのは屋根裏部屋。
いわゆる、日本式の屋根裏とは、構造が違います。
石で作られた建物の上に、屋根が建て増しされてある感じなんですね。
ですので上がってみると、中は完全な吹き抜け。
そしてこれは、ブータン民泊の目玉ドッツォという石焼き風呂。
焼いた石を入れた風呂に入るのですが、これは最終日に入れてもらうことにしました。
夕飯まではまだ時間があったので、通りにあるお店に三人でいきました。
コンビニではありませんが、基本は雑貨屋ですね。
中にテーブルと椅子があって、お酒を一杯飲めるスペースもあるような場所。
彼らは、ビールを美味しそうに飲んでいましたが、僕は下戸なのでオレンジジュース。
キンレイさんに、英語は話せるのかと聞かれたので、ここで調子に乗って、ビートルズの「YESTERDAY」を歌ってしまったんですね。
これは失敗しました。
二人には、よほどジョン・レノン、ポール・マッカートニーのリバプール訛り英語の発音がお気に召したらしく、否定はしているのに、僕が英語も話せる人と勝手に勘違いされてしまいました。
訂正するのも面倒臭いので、カラオケで仕込んだ英語と、映画で仕込んだ英語を駆使した適当英語で、宴はけっこうな盛り上がり。
最後は、アダルトDVDの話で、二人の目はシロクロ。
善良なブータン市民であるお二人も、根はスケベだったようで、これで完全に打ち解けてしまいました。
ここまでくれば、こっのもの。
僕も僕の方で、たくさんのゾンガ語を教えてもらいました。
物覚えは悪いのですが、発音だけはよろしいようで、「ゾンガ語を喋っていれば、カキサンは完全にブータン人。」とまで言われてしまいました。
上等。望むところです。
帰国するまでは、是非それでまいりましょう。
「ガギチェルガ。ブータン。」(ブータン、愛してます。」
夕食の模様は、デジカメ撮影はできなかったので、帰りましたらまた動画でレポートいたします。
ビックリしたのは、ブータン式の食事が、基本手づかみであること。
お皿には、ゲスト用にスプーンも付いてくるのですから、キンレイさんとデジェンさんは、豪快に手づかみ。
食事の前に、ライスを少量とって、手の中でまん丸にしてこねているのですが、「おにぎりするんですか?」と聞いたら、これで手を洗っているとのこと。
これもちょっとビックリ。
お母さんの料理は、どれもこれも美味しかったのですが、ちょっと聞いてみたら、ゲスト用のメニューには、唐辛子を控えめにしているとのこと。
世界一辛いというのが、ブータン料理の評価の定番。
それは覚悟してきているので、家族の方と同じメニューもお願いしたら、これはさすがにからかった。
食べ過ぎるほどに、食べてしまった夕飯でした。
この調子で、五日間を過ごしたら、体重はどれくらいになるか。
旅に出ると、なぜか胃袋のダイエットモードのスイッチは完全に切れてしまいます。
さて、いろいろとインパクトがあって、内容ありまくりの第一日目。
ちょっとこれくらいのブログでは、細かいところまでは語り切れません。
手をつけていない動画を編集しながら、詳細はまた日本に帰ってから。
明日は、タクツァン僧院に登ります。
ジム・チャー・デレ! (おやすみなさい)
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投稿情報: 大五 | 2019年8 月25日 (日曜日) 午後 02時56分