元旦「初日の出・初詣・初風呂バスツアー」が八重洲口に到着した、その足で、丸の内ピカデリーに向かいました。
新年最初に見る映画は、これと決めていました。
「男はつらいよ お帰り寅さん」。
22年ぶりのシリーズ最新作にして50作目。
もちろん、主演の渥美清は、1998年にすでに亡くなっています。
しかし、この映画の主演者には、堂々と渥美清をクレジット。
彼の演じた寅さんが、今でも映画を作ってきたスタッフ、そしてファンの胸にしっかりと刻み付けられているという証なのでしょう。
封切り公開中の映画ですから。ネタバレには配慮するつもりですが、これから見るつもりの方には、この先は薦めませんので、よろしく。
まず、渥美清不在のまま、彼をどのようにして主演にするのか。
これはそれほど心配することではありませんでした。
とにかく、彼の演じた寅さんには、膨大なフィルムのデータが残っているわけです。
それをストーリーに合わせて、上手に拾い出して、つなげていくだけ。
あるいは、その逆で、それに合わせてストーリーを構築するだけ。
案外、楽しい脚本づくりかもしれません。
とにかく、名場面や忘れられないセリフのオンパレードの「男はつらいよ」シリーズ。
脚本だけなら、何本でもつくられそうです。
それよりも問題なのは、今現在もこの作品に携わることの可能なキャストの方でした。
まず、映画の脚本企画段階では、そのあたりが慎重に練られたはずです。
とにかく、いまはすでに、鬼籍に入られた方たちが、以下の通りです。
「おいちゃん」役・下条正巳 2004年没
「おばちゃん」役・三崎千恵子 2012年没
(このお二人は、今回の映画でも車屋の仏壇の前に遺影が飾ってありました)
「タコ社長」役・太宰久雄 1998年没
「御前様」役・笠智衆 1993年没
くるまや屋のシーンのドタバタでは、欠かせなかったこのキャラクターの穴を誰がどう埋めるのか。
まず、おいちゃんとおばちゃん。
しかし、最後の公開から22年たつと、前田吟演じる博と、倍賞千恵子演じる倍賞千恵子が、すでにその年齢になっていました。
前田吟は75歳。倍賞千恵子は78歳。
Wiki で調べて初めて知りましたが、倍賞千恵子の方が、前田吟よりも年上だったんですね。
この夫婦は、さくらが「姉さん女房」だったと初めて知りました。
今回の映画の中では、ほぼ彼女が、シリーズの中でおばちゃんがやっていた役回りを、演じていました。
ちなみに団子屋だったくるま屋は、和菓子カフェになっており、店長は三平ちゃん。
タコ社長の、穴埋めは、娘役の明美。演じているのは美保純。
かなり押し出しの強いキャラクターづくりで、くるま屋のあれやこれやに首を突っ込んでくる役回り。
シリーズの中のキャラクターよりも、かなりタコ社長に寄せたキャラになっていました。
そして、御前様に昇格していたのが、笹野高志。
彼はシリーズの中でも、ちょこちょこ見かけていました。
旅館の主人、ひったくりの泥棒、釣り人、島の警官などなど。
シリーズの終盤で、笠智衆がなくなって以降は、映画の中では、御前様がなくなったことにはしないで、セリフで上手につなげていましたが、僧侶の役ですから、柴又題経寺の住職が、代替わりしていても、これは違和感はありません。
もともと芸達者な人ですから、そつなく御前様を演じて、見事レギュラーの仲間入り。
そして、フレッシュな新顔として、光男の娘が登場。演じているのは桜田ひより。
彼女はまだ17歳といいますから、さくらのリリーフとしては、ちょいと若い。
むしろシリーズの中での、光男の役回りでしょうか。
そして、その光男が、今回の映画では事実上の主役。
演じているのは、もちろん吉岡秀隆。
彼もすでに、49歳です。
シリーズの方も、後半は、渥美清の健康状態を考慮して、次第に寅次郎がこの甥っ子光男の恋愛指南役に回る展開が多かったので、これは違和感はありません。
そうくれば、マドンナは、当然のごとく、若き日の彼のマドンナだった及川泉を演じた後藤久美子。
しかし、ご存じのように、彼女は現在は、カーレーサーのアレジと結婚してスイス在住。
この映画を成立させるには、どう考えても、彼女の女優業復帰が必須であると判断した山田監督は、彼女に出演依頼の長い手紙を書いたそうです。
「この出演依頼を、断る権利は自分にはない」
この手紙を読み終わって、彼女はそう思ったとのちのインタビューで語っています。
確かに、過去の作品のシーンを、回想シーンとして使えるかどうかは、まさにこの映画の肝です。
ゴクミ、よくぞいった!
これで、この作品は、シリーズ50本目の最新作として動き出すことができたと思います。
映画を見ながら、つくづく思ったこと。この映画の最大の強みはなにか。
何度も言いますが、それはこの映画の時間の流れが、そっくりそのままリアルタイムで観客の人生と被るということ。
これこそが、この映画のキャッチコピーにもなっている「奇跡の映画」の、まさに奇跡たる由縁だと思います。
20代のさくらも、70代のさくらも、演じているのは、同じ倍賞千恵子。
10代の光男も、50代の光男も、演じているのは、同じ吉岡秀隆。
主演の渥美清は、亡くなった時点から年を取りませんが、この映画のすべてが、シリーズの背景や物語と一緒に流れていること。
これがたまらないわけです。
普通の映画であれば、時間を隔てた回想シーンは、役者を変えなければ、成立しません。
しかし、この映画では、すべての回想シーンが、シリーズの映画の中で見たシーンですから、それを回想として、観客も共有している。
これが、50年という長い期間にわたって大切に作られてきたこの映画シリーズだけがもつ、奇跡の意味だと思います。
確かに、そんな映画はちょっと見当たらない。
一つあるとすれば、映画ではなくドラマですが「北の国から」シリーズでしょうか。
あのドラマの最終作「遺言」の中でも、回想シーンがこれでもかと出てきましたが、どれもこれもが作り足しではなく、そのままの回想シーンだったこと。
見ている側と同じ時間軸で、作品も年を重ねているということの意味は大きいと思います。
リリー役の浅丘ルリ子も、映画と一緒に時を重ねていて、現在79歳。
歴代マドンナの中で、本作を含め6回も出演したのは彼女だけ。
美人女優が、老境になって映画出演するのは、かなりの覚悟がいることだと思いますが、それもこの映画だから有り得たのでしょう。
やはり、彼女が登場するシーンでは、シリーズの中でのリリーのシーンが、こちらの脳裏にフラッシュバックします。
第15作「寅次郎相合傘」で登場したあの有名なメロンのシーンが、この映画の回想シーンでも取り上げられていますが、何度見たかわからないあのシーンであるにもかかわらず、やはりこちらはおかしくて笑ってしまう。
ある意味では、「ズルい」映画といえるかもしれません。
及川泉の父親に会いに行くのが、映画のクライマックスになっていますが、映画の中で彼女の父親役を演じていたのは、寺尾聡。
しかし、この役だけは、本人ではなく、演じていたのが橋爪功でした。
実際に、この役のオファーが、寺尾聡にあったかどうかはわかりませんが、ただこの役にだけ関していえば、橋爪功のキャスティングで正解だった気がします。
寺尾聡も、もちろん芸達者な俳優とは思いますが、この映画が求めたキャラを、彼が演じるのはけっこう難しかったと思います。
橋爪功には、山田監督も、「家族はつらいよ」シリーズなどを通じて、信頼感があったのでしょう。
あのガマ口のシーンなどは、彼だから出来た演技かもしれません。
どちらが良かったと思うかは、是非映画を見て、ジャッジしてみてください。
山田監督が言っていました。
「50年かけて、一本の映画を作った。」
確かにその通り。
奇跡の映画の、奇跡たる由縁です。
次回作があるとしたら、映画はいったいどういう展開になってゆくのか。
考えるだけで楽しくなってきますが、シリーズにするには、演じる俳優たちがちょっとしんどいかも。
50本も、寅さんを楽しませてもらっている身としては、ここらあたりで「お疲れさまでした」と言ってあげたい気分です。
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