さて、もう一つの仮説。
前編では、音楽のアウトプットの仮説を取り上げましたが、今度はインプットです。
仮説は、こちら。
② 十代の頃にインプットされた音楽的嗜好が、その人の人生の音楽的嗜好を支配する。
僕が10代だった頃は、そっくりまるまる70年代。
少年期は、テレビアニメや、歌謡曲が中心で、聴いていたというよりは、自分の周りに流れていたという感じ。
深夜放送の、洋楽や邦楽のランキングを夜な夜な聴くようになってから、一気に音楽に目覚めました。
忘れもしない、中学2年の頃です。
当時、ラジオから流れてきたのは、カーペンターズ、エルトン・ジョン、ギルバート・オサリバン、T-REX、ミッシェル・ポルナレフなどなど。
邦楽で言えば、ちょうどフォークソング・ムーヴメントから、ニュー・ミュージックに火がついた頃です。
まだ、TSUTAYA も GEO もない時代です。
もちろん。ウォークマンもありません。
深夜放送を録音したテープを、友人たちと共有しながら、情報交換。
自分のお気に入りのアーティストにどんどん夢中になっていましたね。
ビートルズは、すでに解散していました。
聞きたいレコードを全て買えるわけではありませんので、FM放送をまめにエアチェック。
あれよあれよという間に、カセットテープの本数が増えていきました。
気に入ったアルバムは、繰り返し聞きましたので、自然にメロディは覚えていました。
やはり、あの頃に覚えた楽曲は、今でもカラオケのレパートリーになっています。
自分の感性に触れてくる音楽があれば、ジャンルを問わず、なんでも聞きました。
ロック、フォーク、ジャズ、フュージョン、シャンソンなどなど。
もちろんダメなものもありました。
クラシック、演歌、ディスコ、ヘビメタ、レゲエなどですね。
とにかく、確かなことは、10代の頃の感性で聴いていた曲は、今でも忘れていないという事実です。40年近く経っても、忘れないんですから、たいしたものです。
さて、その感性が怪しくなってくるのが、30代の後半ぐらいからでしょうか。
90年代にはいり、日本では平成が始まった頃。
巷には、レンタルレコード店が、雨後の筍のようにあちらこちらに現れはじめ、自分の音楽コレクションが、一気に増え始める頃です。
これはいい時代になったとほくそ笑んでいましたが、異変に気がつきます。
ウォークマンの登場もあり、音楽自体は、以前よりも聴いているつもりなのですが、感性に響く楽曲が、明らかに減ってきている。
10代の頃、ビートルズの「赤盤青盤ベスト」をはじめて聴いて、一気に火がつき、友人のレコードを借りまくって、半年もたたないうちに全アルバムを制覇しました。
ああいう衝撃的な出会いが、ほとんどないことに気がつきます。
たぶん、あの頃の僕は、こんなことを言っていたはずです。
「最近の音楽はつまらない。昔の音楽は良かった。」
新しい音楽が、自分の感性に触れないことを、どうやら楽曲のせいにしていたんですね。
実際、90年代以降の音楽が、70年代の音楽と比べて劣っていたか。
いやいや、そんなことはないでしょう。
例えば、90年代に、多感な十代を過ごしていた世代に聞いてみればいいと思います。
ちょうど40代になっているでしょう。
何人かの知り合いに聞いてみましたが、やはり彼らのお気に入りは、ミスチルであり、ドリカムであり、洋楽ならば、オアシスであり、コールドプレイであり、マライア・キャリーなんですね。
反対に、僕よりも上の世代の人にも聞いてみました。
すると彼らは、こういいます。
「オールデイズ最高。やっぱり60年代でしょう。」
さて、そろそろ主題が見えてきました。
改めて仮説を申し上げます。
「十代の頃にインプットされた音楽的嗜好が、その人の人生の音楽的嗜好を支配する。」
残念ながら、音楽を受け入れる感性というものは、どうやら経年劣化するようだということです。
30代の半ばまで、音楽仲間とバンド活動をしていました。
その頃までは、意識していろいろな音楽を聴いてきましたが、仕事が忙しくなってくると、なかなかそうもしていられなくなる。
メンバーみんな、それぞれ働き盛りになってくると、バンドは自然消滅。
また時間ができたら、ゆっくりと曲作りでもしようと思っていました。
そして、そのあたりから始めたことがあります。
新しい音楽には、触れておこうと、毎月一回CDレンタルに行って、最新ヒット曲を12曲を借りてくる。
それをCDに焼いて、車の中で聴く。
バックナンバーを見ると、1990年初頭から始まっていますから、これはかれこれ30年続けてきたわけです。
今改めて、この30年分のCDを振り返ってみて、はたして何曲が自分の中の音楽貯蔵庫にインプットされているか考えてみます。
もちろん、カラオケのウケ狙いで、ひそかに練習した曲もあります。
演歌オジサンたちとの差別化を図るために、無理やり覚えた曲もあります。
コブクロ、福山雅治、斉藤和義、AKB48、安室奈美恵などなど。
しかし、60代になって、今改めてカラオケで歌おうと思うと、これがなかなか出てこない。
覚えた当時は、ちゃんとガールフレンドや友人たちの前で披露していたにもかかわらずです。
ところが、70年代の楽曲となると、これが40年ぶりに(当時はカラオケなどありませんでしたが)歌う曲であっても、スラスラ出てくるんですね。
たとえば、記憶にはなかった当時の曲も、今改めて聞いてみると、こちらはスイスイと頭に入ってくる。
こんなこともあります。
どうやら、記憶にはなくても、当時の音楽体験が、毛穴から染み込んでいたという実感です。
というわけで、ながながと個人的な音楽体験を語ってまいりましたが、皆さんはいかがでしょうか。
もちろん、我々は一般市民で、音楽を生業にしているわけではありません。
新しい音楽を、無理してまで聴く必要など、まったくありません。
自分の慣れ親しんだ、体に染み込んでいる音楽を、ゆったりと聴く至福の時間を楽しんでもらって大いに結構。
自分の好きなアーティストのライブに通ってもらって大いに結構。
無理して、嵐やAKB48のスタドアムコンサートにいく必要もないでしょう。
「音」を「楽しむ」と書いて音楽です。
いろいろな楽しみ方があっていいと思います。
僕自身は、最近はもっぱらインプットよりも、アウトプット。
定年退職後は、あちこちに出かけて、カラオケ仲間と歌うことで発散しています。
根が「ええカッコしい」ですから、ウケ狙いで、ボチボチと新しい曲も仕入れてはいます。
ここ最近、新しい曲のインプット能力は、目に見えて劣化の一途を辿っていますが、それを防ぐ方法はたった一つだと思っています。
それは、やはり新しい曲に耳を傾けて、覚えて、歌うこと。
それで、この先に新しい音楽分野が広がれば、それはそれでしめたものです。
今十代を迎えてる人は、とにかく偏らずに、いろいろな音楽を聴くことをお勧めします。
今の感性で聴いた音楽は、間違いなくも一生の宝物になりますよ。
以上。
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