恐怖映画の作法
ホラー映画とはどういうものか。
観客にとっての「恐怖」とは、どういうもので、それは、どういうふうに演出されるべきか。
これをわかりやすくまとめた「小中理論」というものがあることを、ホラー映画の名手黒沢清監督が語っていたんですね。
ホラー映画マニアとしては、これは捨て置けないわけです。
調べてみると、80年代の後半から、ホラー映画の実作や、脚本執筆に携わっていた小中千昭氏が、その経験則からまとめ上げたもの。
iPadのブックアプリで検索したら、これがヒットしました。
今から6年ほど前の執筆。
470ページの大著で、なんと2800円。
すでに現金収入のない身なので、読む本は、譲り受けるか、Amazon の中古、もしくはブックオフの100円均一と決めていたのですが、本書に関しては、これからの映画鑑賞の手引きにもなると判断して、「えーいっ」と、購入を決断いたしました。
もちろん、僕も今までに見ている、ホラー映画の古典といわれる作品への論考も多数ありましたが、大いに参考になったのは、筆者が製作に携わった90年代以降のホラー映画に対するアプローチが、数多くあったこと。
正直申して、ホラー映画はピンキリです。
Amazon プライムの会員特典のラインナップを見ても、かなり怪しげなB級ホラーもたくさん。
中には、とても最後までは付き合えないような作品も多数。
こちらは、もう人生の残り時間も少ないので、あまり見る価値のない映画で時間をつぶしたくないわけです。
しかし、そんな中にも、低予算ではありながら、キラ星のような輝きを放つホラー作品があるのも事実。
そんな作品を、筆者の小中理論に基づく知見をふまえて、数多く紹介してくれているのが、こちらとしてはありがたいですね。
筆者が認めた作品でも、こちらには馴染まないという例はあるとは思います。
しかし、それでも、なるほどこれが「怖い」という人も多いんだなという指針にはなります。
実は、先日「ブロア・ウィッチ・プロジェクト」という、超低予算のホラー映画を鑑賞しました。
アイデア一発のこの映画は、興行的には大ヒット。
リアルタイムでは見逃していたこの映画を、そこそこ期待して見たのですが、映画が革命的に斬新であることは認めたうえでも、肝心の恐怖が、まるで伝わってきませんでした。
「ん? どうして、これが怖いの?」
少なくとも、これより先に見ていた「パラノーマル・アクティビティ」の方が、僕としてははるかに怖かったわけです。
まあ、映画ですから、感想はそれぞれあっていいと思うのですが、ちょっと自分の、恐怖に対する感性に問題があるかという気にもなってしまいました。
本書でも、「ブロア・ウィッチ・プロジェクト」に対する評価はそれなりにされています。
そんなわけで、恐怖というものに仕事として向き合ってきた筆者のプロとしての経験と知見に触れながら、こちらも、もう一度ホラー映画を見る心得を整理しておきたいと思った次第。
筆者曰く、
「ミステリならいいが、恐怖映画にとってのロジカルな解決はカタルシスに繋がらない。」
「ショッカー・シークェンスは極めて有効な手段。だが、この場面が「怖い」というのは錯覚。」
「リアルとリアリティは別のもの。」
「ホラー映画の手法は、ある技法が周知されると観客はそれに慣れてしまう。」
「怖さとは、異形の実体そのものではなく、そこまでの段取りそのもの。」
本書では、こういった基本を踏まえつつ、こうも言っていました。
「しかし、本当に革新的な恐怖演出というものは、実はこういう基本を破壊するところから生まれてくるもの。」
僕が今までに見てきたホラー映画の中での最高峰は、今でも「エクソシスト」です。
ホラー映画を、繰り返し見るということはあまりしないのですが、「エクソシスト」だけは別。
何回見てもやはり怖い。
果たして、残りの人生で、高校生の時に見た、この映画を越えるホラー映画に、果たして出会えるか。
星の数ほどあるホラー映画ですが、もし仮に、ハズレに当たってしまったとしても、どうしてその映画が怖くないのかを論考できる楽しみは増えたかもしれません。
怪談の夏は過ぎて、そろそろ秋もたけなわになってきましたが、せっかくこんな高価な(百姓にとっては)本を買ってしまった以上、しばらくはホラー映画を鑑賞して、しっかりと元を取ることにします。
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