1982年のアルバム「PEARL PIERCE」収録曲。
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そっとベッドの下に片方捨てた Ah 真珠のピアス
この頃は、女子にモテたい一心で、セッセと自作の曲を作っていましたが、やはり難関は歌詞。
まだまだ恋愛経験が不足していたので、なかなか、女心に刺さる曲が作れずにもがいていました。
この曲を聴いた時には、とにかくこの歌詞にしびれました。
こんな恐ろしい歌詞は、男子には逆立ちしても書けないと、脱帽したものです。
1980年の「SURF & SNOW」収録曲。
俳優の岡田真澄とのデュエットですね。
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あなたのレイバンには 午後の街が映る
レイバンのサングラスなんて、貧乏学生には到底手が出ませんでしたので、近くの「ロジャース」(昔は、ボーリング場と併設でした)で、似たデザインの安物を購入してかけていましたね。
しかし、このアルバムは相当聴き込んでいたので、かなりの曲をまだ覚えています。
1983年の「VOYAGER」収録。
この曲、好きだったなあ。
1984年発表のアルバム「NO SIDE」に収録。
1933年に発表されたイギリスの小説家ジェームズ・ヒルトンの「失われた地平線」に出てくるユートピアがシャングリラ。
ユーミンも、これにインスパイアされてはいるのでしょうが、彼女のイマジネーションは、それを遥かに飛び越えて、際限なく広がり、行き着いた先は、あの前代未聞の超豪華ライブ・ステージ「SPECTACLE SHANGRILA」。
とにかくご機嫌なナンバーで、このアルバムを聴いた時に、一番最初に覚えたのがこの曲でしたね。
同名タイトルのアルバムは、1983年製作。
「時をかける少女」の主題歌を書いたのユーミンですが、彼女はこのテーマがお気に入りなのでしょう。
とにかく、洋楽みたいにカッコいい曲で、特にエンディングのギターソロには痺れました。
大林宣彦監督の「尾道三部作」の二作目として作られたのが1983年。
後に、アニメになったり、ドラマになったりもしていますが、僕の世代ではやはりこの映画です。
主題歌は、もちろんユーミン。
主演の原田知世も歌っていますが、ユーミン自身も後にセルフカバーしています。
薬師丸ひろ子主演のアイドル映画ではあったのですが、なかなかしっかり出来ていて、好きな映画でした。
夏樹静子の原作も、ミステリーとして読み応えありましたが、その原作を踏まえつつも、この映画は、ちゃんと薬師丸ひろ子の青春映画に脚色されていて、ラストシーンでは、世良正則と一緒に、彼女に拍手を送っていましたね。
「顔はぶたないで。女優なんだから。」(確かそんな・・)
このセリフが公開当時に流行って、女の子達がよくギャグでこれを使っていましたっけ。
この主題歌もユーミンでした。
1984年に公開の映画です。
原曲は、ガゼボの” I LIKE CHOPIN”
その日本語版を歌ったのが小林麻美。
ユーミンは、彼女とは大親友ということで、この曲の訳詞をしています。
発表は1984年。
後のカラオケ・ブームでは、あちこちで歌いまくりましたが、この曲をチョイスする女性が、なぜかみんな美人だったという記憶がありますね。
これは、ユーミン自身がセルフカバーしたバージョン。
石川ひとみが歌ったのが有名ですが、この曲を作ったのもユーミン。
1981年に発表されたのが石川バージョンでしたが、オジサンの世代ですと、1976年に発表された三木聖子バージョンをちゃんと知っているのです。
ユーミンが、まだ荒井由実の頃でしね。
ユーミンのセルフカバーをもう一曲。
思えば、これもユーミンの曲でしたね。
1975年当時、オリジナルを歌ったのがバンバン。
彼は、愛聴していた「谷村新司のセイ・ヤング」のレギュラーだったのでよく覚えています。
当時は、必死になってギターを覚えていた頃でしたので、「明星」や「平凡」の付録の歌本を開きながら、よく歌った曲です。
まだ、カラオケなんてない時代でした。
ユーミンのイメージ・パワー炸裂の曲。
同名タイトルのこのアルバムが発表されたのは、1980年。
東西冷戦時代のベルリンのホテルが舞台。
凝縮した歌詞で、その世界観を聴くものにビジュアライズさせるユーミン・ワールドは圧巻。
ラストのコーラスで、ボーカルを無線機を通したように加工しているのですが、使用しているカラオケ・アプリ「SMULE」では、途中からのイフェクト・チェンジはできなかったので、テーブルにあったコップを使用して雰囲気を出してみました。
この頃のユーミンは、このレベルのアルバムを一年に2枚ずつ出していたのですから、恐れ入ります。
「ラグビー・ワールドカップ2019」日本開催で、去年は空前のラグビー・ブームになりましたが、ユーミンがアルバム「NO SIDE」で、この曲を発表したのは1984年のことです。
このブームを予見していたかのような35年前のこの曲を、ユーミンは去年の紅白歌合戦で歌っていましたね。
1979年発表の「OLIVE」に収録されていた曲でしたので、てっきり松任谷由実になってからの作品かと思っていたら、バンバンに提供した「いちご白書をもう一度」のシングルのB面がこの曲でした。
荒井由実時代の曲なんですね。
そういえば、ハイファイ・セットも、1976年にカバーしていました。
このカラオケは、男性バック・コーラスが入っていましたので、多分、ハイファイ・セットのバージョンだったと思われます。
どこまで覚えているか歌ってみたユーミンのナンバーですが、どうやら1984年あたりまでが限界でしたね。
思えば、ちょうどその頃から社会人をやり始めていました。
おそらくは、もう学生時代のようなテンションでは、音楽に浸かれなくなっていったのかもしれません。
もちろん、その後も数々の名曲を世に送り出して来たユーミンですが、残念ながら、こちらがついていけなかったようです。
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