メメント
クリストファー・ノーラン監督の長編映画デビュー作ですね。
(この前に、1時間の中編があります)
最新作「テネット」を解説していた、社会学者の宮台真司氏が、「メメント」を見ておくべきだと述べていたので、まずはこちらを先に見ておくことにしました。
是非ともAmazon プライムで、「テネット」も見られるようになることを切望いたします。よろしく。
さて、「メメント」は、"memento mori" のメメント。
ペストの蔓延で、誰もが死を身近に感じた中世ヨーロッパで広まったラテン語ですね。
これで「死を思え。」という意味ですから、メメントだけだと、「死を」くらいの意味でしょうか。
ノーラン監督の名を、一躍世に知らしめたのは、この映画の構成の妙。
主人公のレナード(ガイ・ピアーズ)が、テディという男(ジョー・パントリアーノ)を殺したシーンから映画はスタート。
レナードは、妻を殺された現場で、犯人から受けた一撃で頭を強打し、前向性健忘という脳の障害を持ってしまいます。
彼は、それ以前の記憶は明確ですが、これ以降の新しい記憶は、10分しか覚えていられなくなるわけです。
このハンデを持ったまま、レナードは、妻を殺した犯人を独自に追いかけていくというのが映画のメイン・ストーリー。
レナードに協力を申し出るナタリー(キャリー=アン・モス)は、果たして敵か味方か。
この過程を、ノーラン監督は、時間を10分毎に刻んで、逆行させていくという手法で見せていきます。
つまり、これでレナードの持つ障害を、観客に追体験させようというわけです。
そしてこれは、ドラマツルギーとしても秀逸でした。
観客に、「なんだ?」と思わせた疑問が、10分後に「ああ、そういうことか。」という伏線回収の連続になって、物語が進行していくからです。
そして、これだけではない。
ノーラン監督は、ここに、もう一つ仕掛けてきます。
それは、逆行して進行するレナードの妻の殺害現場のシーンに向かって、それ以前の過去のドラマが、細切れになって、時間軸通りに、カットバックされてくるんですね。
お洒落なのは、時間を順行するこの過去のシーンはモノクロームで撮っていること。
つまり、ドラマのクライマックスになる、一点に向かって、未来からは逆光し、過去からは順行していくという構成になって映画が進行していくわけです。
最初は頭の整理が追いつきませんでしたが、このストーリーテリングに慣れてくると、それが次第にこちらの映画マニア心をくすぐり始めます。
「大丈夫。こっちはちゃんとついていけてるぞ。」などと知らずにガッツポーズ。
いつの間にか、ノーラン監督の仕掛けたマジック・ワールドに引き摺り込まれていましたね。
そして、モノクロとカラーが交差する時間の万華鏡を経て、過去と未来が繋がったところで、ノーラン監督は、手ぐすね引いて、大ドンデン返しを用意して待ち構えていました。
キーワードは、「記憶は、記録ではない」
さてこれは、是非映画を見ての、お楽しみということで。
時間の逆行構成の映画としては、ギャスパー・ノエ監督のフランス映画「アレックス」」も見ています。2003年の作品でした。
「メメント」は、2000年公開の作品ですので、こちらの方が先駆ですね。
もっとも、古いフィルム・ノワールの映画には、最初に映画のラストを見せておいて、その回想形式で、事件の経過を見せていくというスタイルの映画はありました。
ビリー・ワイルダー監督の「深夜の告白」なんかはそうでした。
そういえば、同じビリー・ワイルダー監督の「サンセット大通り」は、フィルム・ノワールではありませんが、冒頭でプールに浮かんで殺されているウィリアム・ホールデンがその経緯を説明するというモノローグから映画が始まっていました。
しかし、こちらは、過去からラストシーンまでの一方通行。
この映画ほど、複雑な構成ではありませんでした。
それにしても、人間の記憶なんてものは、実はかなり怪しいもの。
これは、歳をとってくると日々実感してまいります。
こんなことがありました。
東京都大田区平和島で、子供の頃を過ごした僕は、満5歳で東京オリンピックを迎えていました。
おじいちゃんに肩車されて、オリンピックの花形男子マラソンの応援に、平和島の折り返し地点まで、アベベ・ビキラ選手を見に行った記憶を後々まで、いろんな人に語っていたんですね。
ところがある日、友人にこう言われます。
「そんなはずはないよ。東京オリンピックの男子マラソンの折り返し地点は、青梅街道の調布だから。」
頭が真っ白になりましたね。
何がどうなって、そういう記憶になって刷り込まれていたのか。
おそらくは、何か違うレースの記憶と、後に知ったオリンピックの記録がゴッチャになって、記憶の中で映像化されていたのだと思われます。
そして、それを人に語っているうちに、よりクリアな映像記憶として、更新されてきた結果だったのでしょう。
それ以来、自分の過去の記憶は、まずは疑ってかかるようにしています。
老人性健忘症になってくると、大昔のことはつまらないことでも覚えているのに、直近のこととなると、途端に怪しくなるのは大いに実感するところ。
我が街には、タトゥー屋はありませんので、我が身に大事なメモを掘り込むことはちょっと無理そうですので。
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