レオン(完全版)
これは、大ヒットした映画ですが、今まで見逃していました。
有名な映画で、ストーリーも、キャストも、知らず知らず、刷り込まれていたので、ちょっと初めて見るような気はしませんでしたが。
2001年に、ジャン・レノと広末涼子が共演した「WASABI」は見ています。これは、リュック・ベッソンが監督ではなく、プロデュースした作品。
これが、「レオン」とほぼ同じ内容の作品でした
この人は、よっぽど「殺し屋」映画が好きなんだなあという印象です。
SFでコケた後、「ルーシー」や「アナ」でまた同じような映画を撮っていますね。
さて、このリュック・ベッソンという人が、かなり問題ありの人物。
出世作の「ニキータ」主演のアンヌ・パリローと結婚。
その後、本作の冒頭でギャングの幼い愛人を演じていたマイウェン・ル・ベスコ(当時15歳)を妊娠させて結婚。(町山智浩氏によれば)
そして、「ジャンヌ・ダルク」主演の当時22歳のミラ・ジョボヴィッチと結婚。
とにかく、オジサンのくせに、若い子に手を出しまくる人。
その昔、フランスには、ロジェ・バディムというプレイボーイ監督がいて、当時のトップ女優、ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーヴ、ジェーン・フォンダといった錚々たる美女たちと公私を共にして、彼女たちの魅力をスクリーンに披露してくれました。
もちろん、公私を共にしなくても、女優の魅力を引き出す事のできる監督は多いですが、こういう形で公私混同しないと、女優を美しく撮れないという感情移入型タイプの監督もいるという事でしょう。
リュック・ベッソン監督は、まさにその典型。
そして、まさにこの監督のその危うさこそが、実はこの映画を魅力的にしているとも、思えてくるわけです。
そうはいっても、本作撮影当時のナタリー・ポートマンは12歳。
もしも「恋」をしていたとしても、さすがに手は出せなかったかもしれません。
聞けば、撮影時には、その危険を察知したポートマンの母親が、ガッチリと彼女をガードして撮影に臨んでいた模様です。
脚本段階では、マチルダのシャワー・シーンや、レオンとのセックス・シーンも描かれていたのだそうですが、これはすべて母親の抗議によりカット。
やはり、ベッソン監督は、社会モラルもクソもなく、自分の妄想に忠実に映画は作りたかったようです。
実は、今回見た完全版というのは、アメリカではカットされた部分をもとに元に戻したバージョン。
カットされたのは、マチルダが「女」として、レオンに迫るシーンなどで、やはりアメリカでの公開を考慮した時、この作品をヒットさせるためには、ベッソン監督の危うい感性は、どうしても最低限に抑えるように編集せざるを得なかったということでしょう。
マチルダの喫煙シーンや飲酒シーンは、フランス人のベッソン監督ならあたり前の感覚なのかもしれませんが、アメリカでの撮影は絶対的NG。
そんなわけで、この作品はロケはニューヨーク。室内シーンはパリということで作られたようです。
しかし、ベッソン監督の撮ったマチルダは、映画の中では、生き生きと輝いています。
12歳にして、ナタリー・ポートマンのこの演技力はさすがで、かつての「タクシー・ドライバー」でのジョディ・フォスターを彷彿させましたが、その演技で魅せるシーンよりも、個人的には、レオンと部屋で戯れあってるシーンや、レストランで指を刺して大笑いしている何気ないシーンの彼女が、があまりに自然すぎて、一気に二人に感情移入させられてしまいましたね。
ちょうど、「ローマの休日」の、「真実の口」のシーンでのグレゴリー・ペックの悪戯に、本気でリアクションしたオードリー・ヘップバーンの初々しさにやられたのを思い出します。
こういう自然な演技を引き出すのを演出というのなら、やはりこのベッソン監督の、「女扱い」はタダモノじゃないかもしれません。
この監督との付き合いは長いジャン・レノも、その辺りはよく心得ていて、この親子ほど差のある二人の関係に、みている観客に、あまりセクシャルなイメージを抱かせないように、レオンのあのイノセントなキャラを意識して作ったのだそうです。
カラダは子供でも、中身は大人のマチルダ。
カラダはは大人でも、中身は子供のレオン。
この設定にしたからこそ、キャッチ・コピーにある「凶暴な純愛」は、映画の中で、ドラマチックに成立したのだと思います。
ゲイリー・オールドマンもすごかった。
あの演技は、完全にイッちゃってますね。
あれを一回見せられてしまうと、ああいう、何かが切れているエキセントリックな悪役以外の彼が、なかなかイメージできなくなります。
スイッチが入った彼の演技というのは、尋常ではなく、ヤクの売人(マチルダの父親)に詰め寄るシーンで、鼻をクンクンさせる演技などは、完全に撮影現場でのアドリブだそうです。
この映画は、ベッソン監督の「ニキータ」で、ジャン・レノが演じた、死体処理専門の「掃除屋」のキャラクターを膨らませたものだと監督自身が言っています。
マチルダの家族が惨殺される冒頭の展開は、性別は入れ替わりますが、ジョン・カサベテス監督が、愛妻ジーナ・ローランズを主演にして撮った「グロリア」そのまま。
マチルダが、お金でレオンを雇おうとする展開は、ジョン・ウェインの「勇気ある追跡」を思い出します。
二人が同じパターンで、殺しの仕事を連携プレイを重ねるシークエンスは、チャップリンの「キッド」。
プロット自体は、いろいろな映画から上手に拝借していますし、ストーリーも実にシンプルなこの映画。
それが意外にも、なんでこれだけ大ヒットする魅力的なカルト映画として、評価されることになったのか。
どこに、この映画ならではのストロング・ポイントがあったのか。
もちろん、天才ベッソン監督の演出力もあったでしょうが、やはりこれは、主役三人のキャスティングの魅力に依るところが大でしょう。
それは監督自身もよくわかっていたようですね。
それが証拠に、エンドロールの一番最初にドーンとクレジットされていたのが、フロデューサーでも、主演者でも、監督でもなく、キャスティング・ディレクターのナタリー・シャロンという名前。
これは、普通の映画では、あまり例のないことです。
本作は、カルト映画としても評価されています。
個人的には、日本での大ヒットには、多分にアニメ文化の影響があるのではないかと睨んでいます。
昔と違って、今のアニメ・ファンの中には、相当数なオジサン達も含まれているのは確認済み。
今の日本の成人男子の中には、潜在的なプチ・ロリコンが数多く潜伏していると踏んでいます。
この映画の成功に、彼らの後押しがあったのは間違いないだろうなあ。
もしも、あなたの周りに、度を越した「レオン」ファンがいたとしたら、是非ともご注意を。
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