ハリーポッターと不死鳥の騎士団
さて、全8作中5作目まできました。
冒頭、ハリーの従兄のダドリー・ダズリーが、突如ディメンターに襲われるのですが、このダドリーが誰だか最初はわかりませんでした。
ダドリーは、前作には登場していなかったので、僕が会うのは3年ぶり。
この年頃で、3年も会っていないと、だいぶ大人っぽくなってくるので、あの意地悪い家族が出てきて、やっと膝をポン。
ハリーたちも、いよいよ高校生くらいの年齢になってきました。
さて、ハリーはディメンターと戦うために、魔法を使ってしまうのですが、17歳以下の魔法使いが、人間界で魔法を使うのは禁止されています。
魔法界から、退学通知が届き、納得のいかないハリー。
しかし、これはダンブルドン校長の抗議により、魔法省で行われる懲戒尋問にかけられることになります。
そのダズリー家に、ハリーを迎えに来た「不死鳥の騎士団」の面々。
はて、「不死鳥の騎士団」とは?
大長編ファンタジーなので、5作目ともなると、だんだん頭の中で人物や背景の整理がつかなくなってきますので、Wiki で確認。
これは、ダンブルドアが、ヴァルデモード軍団と戦うために組織された魔法使いの有志たちのこと。
ハリーが1歳の時、ヴァルデモードは、ハリーの母の命がけの魔法でその姿を消滅させられたため、一時解散していましたが、前作でのヴァルデモードの復活を受けて、ふたたび召集されています。
具体的なメンバーは、シリウス・ブラック、リーマス・ジョン・ルーピン、ウィーズリー夫婦、そして、ホグワーツ魔法学校のほぼすべての先生たちですね。
その本部になっているシリウス・ブラック邸にいくと、ロンとハーマイオニーもいて、ハリーは久しぶりに彼らと再会します
さて、始まった魔法省でのハリーの懲戒尋問。
最初は雲行きが怪しかったハリーですが、ディメンターを見た目撃者の証言があって、なんとか無罪放免。
ただ、気になるのはねダンブルドアが、妙にハリーに対してよそよそしいこと。
ん? これはなにかある? ちょとそんな予感です。
さて、ホグワーツ魔法魔術学校で始まった新学期。
そこに、ハグリッドの姿はなく、その代わりに、魔法省から新しく赴任してきたのが、ローレンス・アンブリッジ教授。
魔法省では、上級次官で、ハリーの裁判でもいちゃもんをつけていた嫌な感じのオバサンです。
さて、このアンブリッジが曲者。
来たるべきヴァルデモードとの決戦のために、実践の授業を受けたいハリーたちですが、彼女の授業で教えるのは、ひたすら理論のみ。
イライラするハリーたちに、情報をくれたのは、シリウス・ブラック。
魔法省は、生徒たちをダンブルドアの組織に参加させないために、実践を教えない方針だとのこと。
一計を案じたハーマイオニーは、それならば、過去において、ヴァルデモードと直接対戦経験もあるハリーを教師にして、生徒たちだけで、実践授業を行おうと提案。
しかし、魔法省の権力を背景に、アンブリッジは、高等尋問官に就任し、次第にホグワーツ校で、傲慢に権力を振り回すようになります。
生徒たちの風紀を厳しく取り締まり、トレローニー教授を解雇しようとしたり、一切のサークル活動を禁止したり、ハリーたちの隠密実践授業も、阻止しようとします。
そんな中で、ハリー・ポッター・ファンには、衝撃のシーンが登場。
ついに、シリーズで初めてになる、ハリー・ポッターのキスシーンです。
お相手は、残念ながらハーマイオニーではなく、ハリーの意中の人チョウ・チェン。
キスの本場の国の方にしては、あまり上手なキスそのではありませんでしたが、やはりダニエル・ラドクリフとしては、あえてぎこちないキスを演じたということかもしれません。
さて、ハグリッドが突然ホグワーツの森に帰ってきます。
飛んで会いに行く三人。
ハグリッドによれば、ダンブルドア校長の密命を受けて、来たるべきヴァルデモードとの決戦のため、彼と縁故の深い巨人たちの協力を要請に行っていたとのこと。
そして、その顔には無数の傷が。
ハグリッドは、「禁じられた森」に三人を連れて行き、ケンタウルスたちと一緒にいる巨人の一人を紹介します。
そして、どうやらそこでハーマイオニーは、この巨人に一目惚れされた模様。
これはあのモンスター映画の元祖「キングコング」の設定を意識しているかもしれません。
そこへ、大ニュースが。
なんと、アズカバンの牢獄から、収容されていたデス・イーター10人が脱獄したというのです。
これは明らかに、仲間を集め勢力の拡大を企てているヴァルデモードの仕業です。
ハリーたちは、危機感をつのらせます。
しかし、「真実薬」を飲まされたチョウ・チャンから、秘密授業の場所を聞き出したアンブリッジは、彼らの教室を発見し、実践授業を中止させます。
ある夜、ハリーは夢にうなされます。
そして、その夢からハリーは、ロンドンにある魔法省にある神秘部に、来たるべきヴァルデモードとの戦いに大きな意味を持つ「予言」が保存されていると確信します。
それは、ヴァルデモードたちにとっても、大きな意味を持ちます。
友人たちを危険な目に会わせるわけにはいかないと、ハリーは一人でロンドンに向かおうとしますが、すでに「ダンブルドア軍団」としての自覚に目覚めている彼らは、結局仲間6人で行動を共にします。
なんとか神秘部へ侵入したハリーは、「予言」のガラス玉をゲット。
しかし、そこにすでにヴァルデモードの配下に加わっている、アズカバンから脱獄したデス・イーターたちが現れ、予言の玉を奪おうと、攻撃を仕掛けてきます。
応戦する6人。しかし、デス・イーターたちの闇の魔法力は圧倒的です。
そこへ、危機一髪のところで、シリウス・ブラック率いる「不死鳥の騎士団」が現れます。
その激戦の最中、予言のガラス玉は、粉々に砕け散り、デス・イーターの一人ベラトリックス(ヘレナ・ボナム=カーター)の放った「呪いの呪文」の直撃を受けて、シリウス・ブラックが命を落とします。
その怒りと悲しみでパニックになったハリーは、ベラトリックスを追って、魔法省のアナトリウムへ。
そして、それを待っていたかのようにヴァルデモードが現れ、続いてダンブルドアが参戦。
ダンブルドアが、ハリーを無視し続けていたのは、この決戦を予期し、ヴァルデモードからの注意をハリーから逸らすためでした。
ヴァルデモードは、ハリーの意識を支配しようとしますが、必死に抵抗するハリー。
さて決戦の行方は・・
映画版の脚本は、さすがに大長編の原作のいろいろな部分はカットせざるを得ませんから、ストーリー展開には若干の違いがありますが、映画の本編としては、ほぼこんなところでしょう。
ストーリーや設定を、これだけ自由自在に、思う存分、自分のイメージだけで膨らませることができるのがファンタジーの強みです。
しかも、「魔法」というものを使えば、良くも悪くも、「なんでもあり」に出来てしまうのが、ある意味ではズルいところ。
ですから魔法でなんでも解決といううストーリー展開にしてしまうと、御都主義に陥り、観客の気持ちは離れてしまうもの。
それだからこそ、本シリーズの生命線になってくるのは、ハリーたちの成長を軸にした、人間(魔法使い)ドラマです。
これが上手に描けていないと、映画は魔法の視覚効果だけを楽しむディズニー・ランドのアトラクションになってしまいます。
主要な主人公たちの実年齢に沿った形で、ドラマが展開されていく例としては、日本の名作ドラマ「北の国から」がありますが、ちょうどあのドラマで、純や蛍の成長を見守っているような魅力が本シリーズにもあります。
アニメなら「サザエさん」のように、何十年たっても、登場人物たちに同じ年齢を演じさせることも可能でしょう。
それを、実写でやろうとするなら、どうしても「可愛い子役たち」探してきて、毎回入れ替えないといけません。
しかし、ストーリーが繋がっている大長編シリーズでそれをやって、はたして、観客が感情移入ができるものかという問題があります。
子役の命は短いもの。
1930年代のシャーリー・テンプルも、「ホーム・アローン」のマッコーレ・カルキンも、「ケンちゃん・シリーズ」で一斉を風靡した日本の宮脇康之も、その子役としての寿命はあっという間でした。
しかし、子役たちの実際の成長と、映画の中の成長をリンクさせて、10年にわたるシリーズを作りきったのが、このシリーズの特筆すべきストロング・ポイント。
ここに映画的ウソ(よくありがちな老けメイクや、若作りメイク)がないからこそ、魔法のウソが、ファンタジーとして活きてくるのでしょう。
J.K.ローリングの原作は、常に映画より、3〜4年先行して発表されていますが、おそらくこの辺りまでシリーズが進んで来ると、彼女の脳裏には、はっきりとダニエル・ラドクリフが演じているハリー・ポッターがイメージされて、ストーリーが編まれていたかもしれません。
さて、このヴァルデモードとの戦いは、残り三作でいよい本格的になっていくようです。(YouTubeの解説動画を、ちょっと先行して見てしまいました)
つまり、本作はその、来たるべき決戦の前哨戦といったところ。
次作は、「謎のプリンス」です。
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