或阿呆の一生 芥川龍之介
え?え?え?
と思っているうちに読み終えてしまって、慌てて読み返してしまいました。
とにかく、51シーンからなる、継続性のない心象風景の連続。
固有名詞は一切出て来なかったので、僕の頭では、本作を小説として読むことはできませんでした。
ただ、最後の一行に記してあったのが「遺稿」の二文字。
タイトルから、推測してこれは、作品として残した、事実上の遺書にあたる私小説であることはわかりました。
ということは、本作に出てくる「先輩」「先生」「友人」「妻」「狂人」といった人物たちは、彼の人生で関わりのあった実在の人でしょう。
彼のプロフィールをWiki して、これは確認した上で、再読しました。
まず、先輩に当たるのは、谷崎潤一郎。
先生に当たるのは、夏目漱石。
友人だけは、冒頭に実名がありました。生涯を通しての親友であった久米正雄。
「狂人」は、若くして精神に異常をきたした実在の友人がモデル。
そして、芥川の母親も、彼の幼少期に精神疾患を患っています。
晩年の芥川は、押しも押されぬ文壇のスターでしたから、おそらくモテたのでしょう。
妻・文以外の女の影も、本作にはチラつきます。妻以外の女性と、心中未遂なども起こしていますね。
そして、義兄の自殺。
この辺の事情が複雑に絡まり合って、実際の彼の遺書にあったあの有名な「将来に対する、ぼんやりとした不安」が醸成されていったのでしょう。
ここまで、学習をしてから、本作を再読しましたが、2回目は、短編小説というよりは、彼の人生をカットバックの手法で描いた短編映画のシナリオとして、なかなか楽しめました。
登場人物の顔が浮かぶだけでも、話はだいぶわかるようになるものです。
よく、臨終の際には、その人の人生が走馬灯のように脳裏を巡ると言います。
それを、実際に脚本にしたら、こんな作品が出来上がるのかもしれません。
では自分ならどうなのよと、ちょっと頭の中で思考実験。
「或阿呆の一生」ではなく、「或助平の一生」ですね。
もちろん、我が人生には、誰もが知っている有名人は登場しませんが、最近見る夢には、過去に付き合いのあった人物がたびたび登場します。
意識のある自分には、まるで覚えのない人物が、夢の中には度々登場してきていて、起きてから「ああ、あれはあいつかあ」と思い出すことなどもよくあります。
その背景も、どこかでその人物に関連のあるものでしょうから、覚えておいて書き出せば立派に短編小説くらいにはなりそうですが、朝ごはんを食べているうちには、大抵はケロッと忘れてしまいます。
彼のように、「ぼんやりとした不安」ではない、かなり切実な不安もないわけではありませんが、それはそれ。
とりあえず自殺の予定だけはないので、遺書はやめて、のんびりと、生きている今の心象風景だけは切り取って、文章にしていくことにいたします。
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