さて、ここからは、一年ごとに「歌謡曲」の記憶を辿っていくことにします。
昭和40年は、1965年。
僕は、6歳の小学校一年生ということになります。
当時住んでいたのは、東京都大田区。
京浜線の平和島駅の近くでした。
路地を一本入った「たまや」という本屋が我が家。
この店は、祖母が切り盛りしていましたね。
母親は、僕が3歳の時に乳癌で他界しており、父親はサラリーマンをやめ、僕たち兄弟を祖母に預けて、埼玉県で本屋の修行をしていました。
さて、どんな世の中だったか。
内閣総理大臣は、前年に就任したばかりの佐藤栄作。
安倍晋三氏の大叔父にあたる人です。
読売巨人軍の9連覇がスタートしたのがこの年でした。
コマーシャルでは、「ファイトで行こう!」と王貞治が言っていましたし、大村崑が「オロナミンCは、小さな巨人です。」と言いながら、メガネをずり落としていました。
相撲では、大鵬が全盛期で、三場所で優勝。
「巨人・大鵬・卵焼き」の時代でしたが、我が家ではあまり卵焼きを食べた記憶はありません。あの頃は、今と違って、卵は、けっこう高級食材でした。
さて、歌謡曲です。
この当時、歌謡曲番組を見ていた記憶はないのですが、この年に巷に流れた歌謡曲で、今現在歌えた曲は25曲。
まだ6歳ですから、その当時に、この曲を全て歌えたはずはありません。
後から覚えていった曲の方が多いと思います。
当時の我が家には、レコードプレイヤーはあったと思いますが、歌謡曲のレコードはなく、聞いていたのはもっぱらアニメのソノシートでした。
あの頃はまだ歌謡曲を意識的に覚えようとした記憶もないので、やはりどこか当時の風に吹かれながら、毛穴から染み込んでいたのでしょう。
西郷輝彦の歌う、「星のフラメンコ」の「オーレ!」は、やっていたような記憶が微かにあります。
貴様と俺 (布施明) ドラマ「青春とはなんだ!」挿入歌
愛して愛して愛しちゃったのよ(和田弘とマヒナスターズ・田代美代子)
逢いたくて逢いたくて (園まり)
ワン・レイニー・ナイト・イン・東京 (和田弘とマヒナスターズ)
君といつまでも (加山雄三)
ろくでなし (越路吹雪)
夢見るシャンソン人形 (中尾ミエ)
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