さて、昭和41年です。
西暦で言えば、1966年。
僕は、東京都大田区立大森第五小学校の2年生で、7歳でしたね。
調べたら、少子高齢化の波の中でも統廃合されずに、健在でした。
さて、この年で、当時の子供たちにとって、最もエポックメイキングなことは、なんと言っても日曜夜7時からのテレビ放送タケダ・アワーでしょう。
「タケダ、タケダ、タケダ〜」に続いて、あのおどろおどろしいオープニング。
そうです。「ウルトラQ」が、放送されたのがこの年でした。
映画館でしか見ることのできない怪獣が、テレビのブラウン管(昔のテレビは、みんなこれでした)で、毎週見られるとあって、かじりついていた記憶があります。
そして、この年の後半、この「ウルトラQ」の後番組として始まったのが「ウルトラマン」。
もちろん、毎週見ていましたが、この頃の我が家のテレビはまだ白黒。
「ウルトラマン」をカラーで見たのは、ずっと後の再放送でした。
テレビでは、他にも、「マグマ大使」や「サンダーバード」は、記憶に鮮明。
歌謡曲の番組は、意識してみていた記憶はありませんが、大人たちの見ていた番組を横目では見ていたのでしょう。
三木鮎郎という、ちょっと小洒落たセンスのオジサマが司会をしていた「TBS歌謡曲ベストテン」、そして、玉置宏氏が司会をしていた「ロッテ歌のアルバム」という歌番組をかすかに覚えています。
この玉置宏氏は、ずっと後になって、大学生の頃アルバイトをしていた池袋の「杯一」というグランド・キャバレーの歌謡ショーで、生の司会を見たことがあります。
この年は、前年に「君といつまでも」で大ブレイクした、シンガー・ソング・ライターとしての加山雄三の当たり年。
世の中は、エレキの大ブームで、歌謡曲もだんだんとバンドテイストになってきて、後のグループサウンズの先駆者として、スパイダーズやワイルドワンズがヒットを飛ばした年でした。
フォーク・ソングも芽吹いた年で、マイク真木の「バラが咲いた」は、確か音楽の教科書に乗っていました。
この年の歌謡曲で、きっちりと歌えたものは28曲。
やはり、前年よりは多かったですね。
ちょっとうろ覚えもありましたが、YouTubeで確認して、記憶が蘇ったものも数曲。
巷にカラオケが広まって以降、おそらく一度も歌った記憶がないような曲でも、意外にスラスラ歌えるのには驚きました。
流行歌というものは、好きとか嫌いとかは関係なく、自然に脳裏に刻み込まれてるものなのだなと思った次第。
コテコテの演歌や歌謡曲よりも、洋楽テイストの荒木一郎がカッコいいななどと思いつつ、城卓也の「骨まで愛して」を口ずさんでいるような少年でした。
蒼い星くず (加山雄三)
若者たち (ブロードサイドフォー)
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