さて、1968年です。
この年は、浦和市立上木崎小学校の4年生でした。
「ウルトラセブン」の終了で、テレビの怪獣ブームはひと段落。
それと入れ替わるように始まった「巨人の星」と「あしたのジョー」のテレビ・アニメの影響で、子供たちの流行も一気にスポ根ブームへとシフト。
「タイガーマスク」「サインはV!」「柔道一直線」は、テレビ放送はこの翌年でしたが、もちろん、そこは本屋の息子です。
まだ連載漫画だった頃から、「少年マガジン」「少年キング」果ては、「少女フレンド」に至るまで、漫画雑誌は、ほぼ全誌チェックしていましたね。
ちなみに、今なお少年漫画雑誌のトップを疾走する「少年ジャンプ」の創刊は、この年でした。
さて、昭和43年は、個人的には、「歌謡曲元年」と位置付けています。
これまで、子供向けテレビの主題歌一辺倒だった音楽嗜好が、初めて意識的に歌謡曲に向かった最初の年でした。
それには、二人の歌手の存在が大きかったですね。
まず、一人目(1組目)はピンキーとキラーズ。
デビュー曲だった「恋の季節」は、子供心にも強烈なインパクトがありました。
このレコードは、おそらく買ってもらったのだと思いますが、初めて「自分のレコード」として意識した最初の歌謡曲のレコードだったと思います。
それこそ、擦り切れるくらい聞きました。
このシングルのB面だった「つめたい雨」(ユーミンではありません)も、おそらくカラオケがあれば今でも歌える曲。
ピンキーのトレードマークとも言える、シルクハットとステッキも欲しかったのですが、残念ながらそれは買ってもらえませんでした。
この曲の大ヒットで、この年の紅白歌合戦にも出場したピンキーとキラーズは、この翌年に「青空にとび出せ!」というロードムービー風の連続ドラマにも出演しましたが、もちろん毎回見ていましたね。
怪獣小僧も9歳になって、テレビの向こう側の、女性タレントを意識するようになったわけです。
そして、もう一人意識した女性歌手がいました。
黛ジュンです。
彼女も、この年に大ブレイクした歌手でした。
「天使の誘惑」が、この年のレコード大賞に輝いていますね。
もちろん、この歌も大好きでしたが、僕が個人的に強烈に思い入れがあったのは「夕月」という曲。
黛ジュンといえば、「一人グルーブサウンズ」と言われるくらい、バンド演奏風アレンジの曲が多いのですが、この曲は、珍しくしっとりしたバラード。
実は、人気絶頂の彼女主演で、この年に公開された松竹映画が「夕月」でした。
この映画を、僕は閉館寸前の「与野文化劇場」で、見ています。
おそらくこの頃、怪獣映画以外で、自分のお小遣いで見た映画は、このくらいだったと思います。
入場料は子供料金で当時50円。
多分映画館に行ったのは一回だけではなかったはずです。
彼女の相手役は、これが映画デビューとなった森田健作。
前千葉県知事です。
彼は、ボクサー役で、最後は死んでしまうのですが、その彼の面影を胸に抱いて、ラストで一人夕闇の街を歩く黛ジュンのバックに流れるのが「夕月」。
スプリングが飛び出た「与野文化」のくたびれた座席に身を埋めて、9歳の僕は号泣しておりました。
さて、この2曲も含めて、この年流行の歌謡曲で、歌えたものは22曲。
歌謡界は、前年から引き続き、まだまだグループ・サウンズが花盛りでした。
山谷ブルース (岡林信康)
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