さて、1971年です。
小学校六年生ともなると、歌謡曲シーンはグッと身近なものになってきています。
歌える曲もグッと増えて46曲。
この年は、僕にとってどうしても、外すことのできないアイドル歌手がいます。
天地真理ですね。
黛ジュン、ピンキーに続いて、三人目のマイ・アイドルとなりますが、そろそろ色気づく年頃になっていたこともあり、前二人とはちょっと思い入れが違いました。
天地真理を初めて、テレビで見たのはTBSのドラマ「時間ですよ」でした。
公衆浴場が舞台のドラマでしたから、お茶の間で女性のヌードが見れるとあって、毎週見ていました。
番組の中で天地真理は、松の湯の向かいの下宿に住む女の子役で、ケンちゃん役の堺正章と、よく一緒に歌ってましたね。
彼女のデビュー曲「水色の恋」も、劇中歌でした。
この年は、彼女と、小柳ルミ子、南沙織が同時にデビューしていた、よく「三人娘」と呼ばれていましたが、今から思えば、三人の中では一番美人ではなかった彼女の人気がなぜ一番高かったか。
それはやはり、あの笑顔でしたね。あれは天下一品でした。
彼女主演のテレビ番組も作られていて、これは密かに毎週見ていました。
この番組宛に、年賀状も書いていて、これが住所不備で戻ってきたものを、家族に発見されて、顔を真っ赤にしたことを覚えています。
彼女の人気は、2年くらい続きましたが、この間に彼女が出したシングルは、後にカラオケで歌った経験はないにもかかわらず、ほぼ全曲歌えてビックリ。
「思い入れ」と「記憶力」は、シンクロするようです。
ずっと後になって、この人は悲しいことに日活ロマンポルノなどにも出演しているのですが、元ファンとしては、これはちょっと見れませんでした。
ちなみに、黛ジュンも今陽子(ピンキー)も、後にロマンポルノに相次いで出演しています。
なんとも複雑な思いですね。
この年の歌謡界は、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」がぶっちぎり。
ニュー・ミュージックという言葉はまだなく、歌謡曲とフォーク・ソングがバトルを繰り広げていました。
友人たちの持っていたレコードは、どちらかといえば、フォーク・ソング寄りでしたね。
なかなか、天地真理のファンとは言えない空気でした。
まだ小学生でしたから、「老人と子供たちのポルカ」や「走れコータロー」のようなイロモノ・ソングに興味は集中。
前者は、歌詞をサカサマにして歌ったり、後者はあの競馬中継のセリフを真似してみたりしたのを覚えています。
雨の御堂筋 (欧陽菲菲)
恋人もいないのに (シモンズ)
あの素晴らしい愛をもう一度 (ザ・フォーク・クルセイダーズ)
十七才 (南沙織)
終着駅 (奥村チヨ)
さらば涙と言おう (森田健作)
戦争を知らない子供たち(ジローズ)
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