さて、1972年です。
小学校を無事に卒業して、めでたく中学生になった年です。
進学したのは、浦和市立大原中学校。
浦和といえば、サッカーの街。
我が母校も、サッカーの強い中学校で、当時全国大会で優勝してくるようなチームでしたが、サッカーオンチの僕は、柔道部に入部。
理由は明快。
人気スポ根ドラマ「柔道一直線」の影響でしたね。
さて、カラオケしてみてビックリしましたが、なんとこの年流行の歌謡曲を、前年の48曲を大きく上回って、63曲も歌うことができました。
「あれ、これどんな曲だったっけ?」
最初はちょいと首を捻るのですが、YouTube で確認してみると「おお、これか。覚えてる。覚えてる。」ということで、歌ってみると案外これがスラスラとメロディが浮かんでくるわけです。なんだか嬉しくなってしまいました。
レコードも、持っていないのにです。
もしかしたら、山本リンダの「どうにもとまらない」が一枚あったかもしれません。
ならば、どこで覚えた?
まだ当然、カラオケなど、影も形もない時代です。
確かに、今に比べて、歌謡曲の番組は多かったかもしれませんが、まさかテレビを見ているだけで覚ええたのか。
思い当たることが一つあります。
おそらく、この頃に、僕はギターを仕入れています。
家にガットギターがもともと一台あって、最初はこれで、お決まりの「禁じられた遊び」を弾き始めたのですが、年上の従兄から、サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」を教えてもらったあたりから、火がつきます。
ここから一気に、ギターにのめり込み始め、その流れで、どうしてもフォーク・ギターが欲しくなっていくわけです。
しかしギターは、当時の中学生にとっては、やはり高価。
親にせがみましたが却下されたので、多分当時の小遣いで、白いフォーク・ギターを通販で買ったという記憶です。
これで、簡単なコードをいくつか覚えると、ギター教本の曲にはめもくれず、実家の店頭に並んでいる、歌本を拝借しててきては、当時のヒット曲を片っぱしから、生ギター伴奏で歌い始めたのがちょうどこの頃です。
学校の教科書よりも、はるかに長い時間、コード譜のついた流行歌の歌詞を眺めてばかりいましたので、この時期に脳裏に刷り込まれた歌謡曲は、もしかしたら、人生で一番多くても不思議はありません。
まだカラオケなんてなかった時代です。
流行歌を思い切り歌おうと思ったら、おそらくこのスタイルにならざるを得なかったかもしれません。
我が世代の男子には、案外ギターのコードくらいは、今でも追いかけられるやつが多いのは、この理由によりますね。
最新の楽譜や、雑誌「平凡」「明星」の付録の歌本を、好きなだけ見られる環境であったのは大きかったかもしれません。
レコード大賞を獲得した「喝采」が巷に流れたのがこの年。
レコード大賞の授賞式の様子を、この年はよく覚えていて、大賞を獲得したちあきなおみよりも、「あの鐘を鳴らすのはあなた」で、最優秀歌唱賞を受賞した和田アキ子が、涙でわけがわからなくなって、隣にいたジュリーの手を引っ張りながら高橋圭三の待つステージへ歩いていったのをよく覚えています。
従兄弟からもらったゲルマニウム・ラジオで夜な夜な、深夜放送を聴き始めたのもこの年でした。
男の子女の子 (郷ひろみ)
怨み節 (梶芽衣子)
狂わせたいの (山本リンダ)
祭りのあと (よしだたくろう)
ハチのムサシは死んだのさ (平田隆夫とセルスターズ)
魔法の黄色い靴 (チューリップ)
ともだち (南沙織)
春夏秋冬 (泉谷しげる)
そして神戸 (内山田洋とクールファイブ)
学生街の喫茶店 (ガロ)
ゴッドファーザー〜愛のテーマ〜 (尾崎紀世彦)
喝采 (ちあきなおみ)
結婚しようよ (よしだたくろう)
63曲
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