昭和49年は、1974年です。
思春期真っ盛りですが、中二病に羅漢していたかどうかは微妙なところ。
でもそれなりに、この年頃の男子にありがちな「背のび」はしていたように思います。
一つは、映画でしたね。
この頃には、怪獣特撮映画からは卒業していて、一丁前に、日比谷の映画館まで通うようになっていました。
自分の小遣いで、一番最初に見た洋画は、ハッキリと覚えています。
「007 ダイヤモンドは永遠に」。
確か、丸の内東宝だったと思います。
映画情報誌「スクリーン」「ロードショー」は、毎月チェック出来る恵まれた環境にありましたから(実家が本屋)、基本的には、ヌードが期待できそうな大人系の洋画に目星をつけては、京浜東北線に乗ってせっせと通っていました。
「わらの犬」のスーザン・ジョージ、「妖精たちの森」のステファニー・ビーチャム、「フレンズ」のアニセイ・アリビナなどは強烈でした。
父親が映画好きだったことも幸いして、「ポセイドン・アドベンチャー」や「燃えよドラゴン」などの、ヌード抜きの一般ヒット映画は、ちゃっかりと自分小遣いは使わずに、一緒に連れていってもらったりしていました。
もう一つは、洋楽です。
ラジオの深夜放送がその情報源でしたが、当時は毎日のようにランキング発表をしてくれていたので、最新の洋楽ヒットをリアルタイムで聴けました。
英語の歌詞はもちろんわかるわけはありませんが、その魅力は次第に理解できるようになってきており、歌謡曲への興味は徐々に薄くなってきました。
この頃から、しばらくは、音楽に関しては洋高邦低が続きます。
どこか、歌謡曲をバカにするようになってきていたかもしれません。
これがまさに、この年頃にありがちな「背伸び」だったような気がしています。
今から思えば、歌謡曲にもいい曲がたくさんありました。
しかし積極的に、歌えるようになるまで聴き込んだ楽曲は、圧倒的に洋楽の方が多かったことは確か。
天地真理のファンだった黒歴史は、封印されることになります。
但し、前年から始めていた生ギターはそこそこいじれるようになってきましたので、フォークソング系の邦楽ヒットは、それなりに追いかけました。
特に、井上陽水ですね。
この頃の友人たちは、よしだたくろう派か、井上陽水派か、どちらかに二分されていました。
僕は、完全に陽水派。
この年までに発売されていた陽水の4枚のアルバム「断絶」「センチメンタル」「氷の世界」「二色の独楽」は、弟が仕入れてきたアルバムをカセットに録音して、毎日のように聴きまくりました。
そして、お店から歌本を拝借してきては、コード譜を追いかけて、夜な夜な歌いまくっておりました。
しかし、それでも歌謡曲は、演歌も含めて、好きとか嫌いに関わらず、「時代のBGM」として、記憶の片隅には張り付いていたというような印象です。
当時は、カラオケなどまだありませんから、歌いたいと思ったら、生ギターの弾き語りしかありません。
我が家には、歌本も、セッション向きの広い倉庫もあったりしましたので、よく友人たちが集まってきて、ワイワイと流行歌セッションをやったものです。
当時、カセット・テープに生録音した音源も残っていて、懐かしく思い出します。
ちなみに、この年「花の中三トリオ」といわれた、森昌子、桜田淳子、山口百恵は、僕と同学年となります。
そんなわけで、特に意識して覚えようと思った記憶はなくても、歌えた歌謡曲は56曲もありました。
歌謡曲のシングル・レコードは、ほとんど買った記憶はないのですが、それでもちゃんと覚えているもんだなあと、我ながら感心した次第。
グループ・シンギングでアップしているので、色々な方とのコラボになる曲も多いのですが、リンクを貼っているのは、とりあえず一人セッションの曲のみにしました。
22才の別れ (風)
星に願いを (アグネス・チャン)
学園天国 (フィンガー5)
やさしさに包まれたなら (荒井由実)
海を見ていた午後 (荒井由実)
昭和枯れすすき (さくらと一郎)
各駅停車 (猫)
古い日記 (和田アキ子)
危ない土曜日 (キャンディーズ)
青春の影 (チューリップ)
ひまわり娘 (伊藤咲子)
白い冬 (ふきのとう)
グッドバイ・マイ・ラブ (アン・ルイス)
結婚するって本当ですか (ダ・カーポ)
襟裳岬 (森進一)
ポケットいっぱいの秘密 (アグネス・チャン)
ひと夏の経験 (山口百恵)
私は泣いています (りりぃ)
精霊流し (グレープ)
ふれあい (中村雅俊)
うそ (中条きよし)
あなたにあげる (西川峰子)
よろしく哀愁 (郷ひろみ)
というわけで、歌謡曲限定で、戦後から昭和49年まで、発売されたシングル・レコードの曲をメインに、覚えている曲を片っぱしから歌ってきました。
自分が何歳の頃に聞いた曲を一番覚えているのかを知りたくて始めたカラオケ歌謡曲ローラー作戦。
流行歌の場合、特に覚えようと意識したつもりはなくても、予想以上に覚えているもんだなあというのが、今のところの正直な感想です。
スタートしたのが、本年の一月でしたから、ここまでで約半年かかりました。
これから、昭和50年以降の記憶を確かめていきますが、歌謡曲に関しては、ここから先は、歌える曲は徐々に減っていくはずです。
恥ずかしながら、平成の時代になり、社会人になってから以降は、ほとんど音楽から離れた生活をしていたので歌える曲は激減必至。
それは、洋楽にしても同じだと思います。
それでも、日本の流行歌をどれくらい覚えているのかということは、興味のあるところ。
コロナに席巻されてしまって、リアル・カラオケが封印されてしまった悲しきカラオケ・マニアとしては、騒動が収束するまでは当面この「カラオケ記憶力テスト」で、ストレスを発散してまいります。
しかし、これはこれで、個人的には盛り上がってきましたね。
ヒットした曲には、やはりそれなりの味わいがあります。
歌謡曲は面白い!
2021年のカラオケ・ライフは、洋楽は封印して、歌謡曲三昧でまいります。
コロナ上等!
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