さて、昭和30年代も、一括りにしてしまいます。
僕が生まれたのは、皇太子ご成婚で日本中が盛り上がっていた昭和34年。
ですから、昭和30年台最後の年、昭和39年ではまだ5歳。
この年は、ご存知のように、東京オリンピック開催の年でした。
当然、まだ子供ですから、歌謡曲は意識して聞いていません。
では、一番最初に覚えた曲は何か。
これは、ちゃんと公式記録が残っています。
父親が、当時としてはまだ珍しいテープレコーダー(カセットではない)を持っていたので、長男である僕の成長を、彼はマメに録音していてたんですね。
その録音されたテープの中で、当時5歳の僕は、「鉄人28号」のテーマ・ソングと、楠トシ江の歌う船橋ヘルス・センター(後の、ららぽーと)のコマーシャル・ソングを、しっかりと歌っています。
しかし、歌謡曲を歌っている記録はそのテープにはまだありません。
というわけで、これは僕の記憶になりますが、はっきりと近所のオバサンたちの前で歌った覚えがある歌謡曲第一号は、西郷輝彦の「星娘」ではないかと思っています。
残念ながら、SMULEのカラオケ・リストにはこの曲はありませんでしたので、歌えませんでしたが、当時のリアルタイムの記憶として残っているのは、歌謡曲の思い出はそれくらい。
やはり、昭和30年代までの、音楽の記憶は、まだアニメソングが中心でした。
しかし、今でもこの時代の曲を覚えている最大の理由は、当時のエンタメ情報誌月刊誌「明星」「平凡」の付録についていた、コード譜付きの歌本の影響が大きかったと思います。
中学の2年生で、初めてギターを買ってもらってからは、友人たちと集まって、簡単なコードでも出来る歌を中心に、セッションしたものです。
「F」のコードを抑えられるようになるまでは、一山ありましたが、これが出来るようになると、友人たちからは、頭ひとつ抜け出して、常にセッションでは、その中心にいられるようになります。
昭和30年代の歌謡曲は、この時期から遡って覚えていったような気がします。
さて、それではSMULEにアップすることの出来た、昭和30年代の歌謡曲を紹介いたします。
昭和20年代の「戦後歌謡」からは、グッと増えて55曲。
以下の通り。
ラストダンスは私に (越路吹雪)
見上げてごらん夜の星を (坂本九)
銀座の恋の物語 (石原裕次郎&牧村旬子)
恋をするなら (橋幸夫)
いつでも夢を (橋幸夫&吉永小百合)
南国土佐を後にして (ペギー葉山)
情熱の花 (ザ・ピーナッツ)
アンコ椿は恋の花 (都はるみ)
有楽町で逢いましょう (フランク永井)
高校三年生 (舟木一夫)
知床旅情 (森重久彌)
スーダラ節 (ハナ肇とクレイジー・キャッツ)
東京ナイトクラブ (フランク永井・松尾和子)
明日があるさ (坂本九)