Amazon プライムで、「ブレード・ランナー2049」が鑑賞できるので、見ようかと思いましたが、待て待て、まずは一作目を見ておさらいをしておく方が先かもと思い直しました。
一作目が公開されたのは1982年です。
僕はこの年23歳になっているので、大学の4年生。
人生で一番映画館に通っていた時期でしたので、ロードショー公開ではなかった気がしますが、どこかの名画座では見ていますね。
同年大ヒットした「E.T.」は、封切館で見ていましたので、同じSFでもテイストがこうも違うものかと妙に感心したことは覚えています。
ハリソン・フォードの主演でしたから、やはりどこかで「スター・ウォーズ」や「インディ・ジョーンズ」のようなスカッとする活劇アクションを想像していたので、本作の展開はかなり意外でした。
今ではSF映画の金字塔のようにも言われている作品ですが、当時は「E.T.」に完全に食われてしまい、映画館はガラガラだったというのは有名な話。
完全な失敗作とまで言われて酷評されてしまったのが本作でした。
しかし、後にビデオで映画を見る時代が訪れると、SFオタクたちの間で、本作はジワジワと人気がうなぎ上り。
これに乗じるように、リドリー・スコット監督も、劇場公開での仇を取ろうとでもいうように、「インターナショナル完全版」「ディレクターズ・カット版」「ファイナル・カット版」と、バージョン違いの映像コンテンツを次々に発表。
これが、熱烈ファンたちのオタク心を上手にくすぐって、SF映画における地位を次第に押し上げていき、劇場公開では大コケしたにも関わらず、最終的には大傑作の評価を勝ち得るという、映画史的にも非常にレアなケースの作品になったわけです。
この辺りの経緯は、つい先日見た庵野秀明監督の「エヴァンゲリオン」のケースと、オタクたちの情熱によって息を吹き返した作品という点では、ちょっと似ています。
僕は、映画館で鑑賞はしたものの、後のビデオの時代になってからの「ブレード・ランナー」ブームにまではついていけなかったので、熱心なファンたちのように、ビデオやDVDを購入して、繰り返し何十回も見るということはありませんでしたが、年齢を重ねるにつれて、わかりやい「E.T.」よりも、ダークで重厚感のある本作の方が次第に魅力的に思えてきたということありますね。
後のSF映画に与えた影響で言えば、完全に本作は「E.T.」を凌駕しています。
マニア気質というのは、製作側にとってはありがたいことで、映画の中に細かく仕掛けられた映像の細部をつまみ出しては、独自の解説を勝手に展開する動画が、YouTube には溢れています。
今回も、なるほどという解説を聞けば、すぐにこちらも動画を見直して確認。
こういう映画の見方がいいか悪いかは別にして、こんなオタク的映画鑑賞がされるるようになったのも、やはり本作がきっかけだったかもしれません。
本作をこれだけの傑作と言わせしめるようになった最大の魅力は、なんといってもその圧倒的なビジュアルです。
リドリー・スコット監督は、前作「エイリアン」で、すでに名声は獲得していましたが、そこまでのキャリアのほとんどは、イギリスにおけるコマーシャル製作です。
ここで培ってきた、顧客にインパクトを与える映像表現スキルこそが、この人の最大の武器です。
前作はイギリスで作られた映画でしたが、本作はハリウッドへ渡っての製作。
イギリスでは、映像表現については、100%自分でコントロールできましたが、全てが分業システムになっていて、それぞれの職種に組合があるハリウッドでは、映画監督は、現場ではカメラのファインダーを覗くことすらできません。
しかし、彼は監督でありながらも、カメラのオペレーターの資格を取得してまで、積極的にカメラ撮影にも参加。
自分の思い描いたビジュアルをコントロールすることには、最後まで徹底的にこだわりました。
シド・ミードという大天才による近未来都市の圧倒的な造形デザインと、ヴァンゲリスの音楽を得て、リドリー・スコット監督による近未来のビジュアルは、その後のSF映画に決定的な影響を与えるほど、インパクトのあるものになりました。
劇場版を最初に見た時の印象は、やはりなんといっても、酸性雨が降りしきるロサンゼルスの街に氾濫する猥雑な日本文化の数々です。
あのビルの大スクリーンに映し出される「強力わかもと」を持って二カッと笑うお白粉の日本女性のアップ。
「二個で十分ですよ。」とデッカードの注文を拒否するうどん屋の屋台のオヤジ。
ホテルの看板に間に挟まるように原色で光る「旅館」のネオン。
やはり、コテコテのハリウッド映画の画面に見慣れた日本語が映し出されると、日本人としては、なんだかこそばゆくて苦笑いです。
YouTubeでの動画解説を聴いていると、ルトガー・ハウアー演じる敵役レプリカントのリーダー、ロイ・バッティの最後のシーンの奇跡的なアドリブ演技。
決闘の後で、デッカードが飲むグラスの酒の中に、口の中の血が静かに混ざるシーンとか、後から聞けばなる程という名シーンもたくさんあったのですが、恥ずかしながら初見の時の僕は、それに気づくことはありませんでしたね。
映画のラストで、デッカードの後輩警察官ガフが置いていく一角獣の折り紙の意味も全くのスルー。
そして、そこからの拡大解釈で、デッカードは果たして、人間かレプリカントか問題も、言われてみて初めて考える程度。
それよりも今回見直してみて、ビジュアルとして覚えていたのは、レイチェルの服のあの肩パットとか、デッカードに射殺されるスネーク・ダンサーのおっぱいとか、ダリル・ハンナ演じるプリスの黒スプレー・メイクなど、しょうもないものばかり。
あの当時、こんな程度の鑑賞力で映画評論家になろうなんて本気で考えていたことを思い出すと、恥いるばかりです。
この映画は、本場ハリウッドで、自分流を貫こうとするリドリー・スコット監督とスタッフの間で、トラブルが続出。
主演のハリソン・フォードも、演技には全く関心を示さない監督となかなかソリが合わず、彼は撮影中、終始不機嫌だったといいます。
しかし、そんな中でも、自分の求めているビジュアルさえ獲得できれば、映画としては成功だと思っていた監督でしたが、編集を完成させて、試写に臨んだ監督に厳しい現実が突きつけられます。
テキサス州ダラスで行われた試写では、なんと上映途中に席をたつ観客が続出。
これで、監督たち製作陣はパニックになります。
完成した「ブレード・ランナー」は、観客たちがイメージしていものからは、あまりに遠い内容になっていたようです。
映画をわかりやすいハッピー・エンドにするために、ハリソン・フォードとショーン・ヤングを再び招集して、追加撮影をしたり、残虐な暴力シーンをカットしたり、映画がわかりにくいと言われるや、ハリソン・フォードによるナレーションを追加したりと、完成していた映画を再編集。
とにかく、かかった莫大な製作費を回収するべく、製作陣はジタバタとした結果、なんとか全国公開へとたどり着くわけです。
もともと、リドリー・スコット監督が作りたかったのは近未来を舞台にした西部劇のような映画だったとのこと。
しかし、それがいつの間にか、脚本をいじっていくうちに、むしろフィルム・ノワールのようなテイストになっていくのですから、完成までの迷走ぶりは伺えます。
もちろんこれは、原作となったフィリップ・K・ディックによる原作小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」のテイストとも、完成した映画は乖離しています。
しかし、この時のスッタモンダの貯金を残してあったおかげて、結果的にマニア心をくすぐる本作ならではの、バージョン別パッケージ商法ができたわけですから、何が幸いするかわからないものです。
YouTubeにアップされていた、未発表テイクで構成された「もうひとつのブレード・ランナー」も見ましたが、観客の反応によっては、映画を再編集出来るようにある程度の素材を撮影して残しておくというハリウッド流保険システムがあるのも、なかなか興味深いモノでした。
不思議なもので、これだけ色々な情報や経緯を知った上で、改めて本作を見直すと、同じ作品を見ていたにも関わらず、今回の方が、はるかに傑作を見たという気が強くなっております。
我ながらいい加減なもんだと苦笑いです。
穴が開くほど、映画の細部にまでこだわって鑑賞するという集中力は、還暦を越えた老人には、かなり怪しくなってきました。
ゆるい映画ファンといたしましては、リモコン片手に、一時停止や巻き戻しを繰り返しながら、こちらの方から、わざわざ画面の中にネタを探しに行かなくても、本当に素晴らしいものなら、向こうのほうから自然に飛び込んでくるものだろうと思うことにいたします。
気に入った映画を「深堀り」する楽しみもそれなりに理解できますが、色々な映画を浅く広く見て見識を広めるというのもまた立派な映画の楽しみ方。
まだまだ見逃している映画は、Amazon プライムにも、WOWOW で撮りためた映画のストックにもしこたまありますので、こんなご時世となったからには、少しずつゆっくりと楽しんでいくことにしましょう。
本作で、主演のハリソン・フォードを凌ぐ名演技と存在感を見せたルトガー・ハウアーが亡くなったのは、奇しくも、本作に設定されていた近未来である2019年。
あれからもう37年が経ちました。
「あの頃の未来」と「実際の一昨年」が比べられるというのも、2021年時点で本作を見直す楽しみ方のひとつです。
空飛ぶ車スピナーは無理でしたが、無人の自動運転システムは、もう実現射程圏内。
レプリカントは無理でしたが、ある程度のAIなら実現しています。
さて、僕はもうとっくにいないでしょうが、2049年はどんな未来か。
というわけで、次回鑑賞映画は「ブレードランナー2049」に決定。
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