ブレードランナー2049
2017年公開の、「ブレードランナー」正式続編「ブレードランナー2049」を、一作目に引き続き鑑賞いたしました。
監督は、ドゥニ・ビルヌーヴ。
前作で「メッセージ」というSF作品を撮っている監督ですが、個人的には本作品ではじめてお手並み拝見する監督です。
一作目の監督リドリー・スコットは、この時ですでに80歳になっていますが、本作では製作総指揮。
脚本には、前作同様ハンプトン・ファンチャーがクレジットされていますし、なんといっても本作には、御歳75歳になっているハリソン・フォードが、デッカード本人役で出演していますので、スピンオフでも、リブートでもない、誰もが認める36年ぶりの正式続編が本作です。
これだけのインターバルを置いて作られた続編なんて、ちょっと記憶にありません。
ご存知の通り、前作は、カルト映画として不動の地位を築いているSF映画の大傑作です。
とにかく、思い入れたっぷりの超コアなファンたちを、如何にして、納得させる映画に仕上げられることが出来るか。
初めからハードルの高い本作品に、あえて挑んだビルヌーヴ監督もまた、熱心な「ブレードランナー」の信望者だったとのこと。
そのためには、164分という長尺がどうしても必要で、前作が展開された2019年の世界から30年経った2049年の世界を、実に丁寧にしっかりと構築したなという印象です。
主演は、ライアン・ゴズリング。
「ラ・ラ・ランド」に出ていたので覚えています。
冒頭のシークエンスで判明することですから、いってしまいますが、彼が演じたKは、実はレプリカントです。
2049年の世界では、人間ではなく、レプリカント自身が、ブレードランナーとなって、警察の指揮下で、反逆分子のレプリカントを、抹殺していきます。
前作は傑作ではありましたが、主演のハリソン・フォード演じるデッカードに、ほとんど感情移入ができないという弱点がありました。
その代わりルトガー・ハウアー演じる敵役のレプリカントのリーダー、ロイ・バッティには、ラストの名演技もあって、誰もが感情移入してしまうという逆転現象が起こっていたのはよく知られるところ。
これを踏まえて、続編である本作は、このKに、前作の二人のキャラクターを合体させてしまうことで、ファンたちには、徹底的な感情移入をしてもらおうという算段で、脚本が練られた気がします。
もちろん、それに応えたライアン・ゴズリングの抑えた名演技も光ります。
そんな彼が体現したKというキャラクターは、つまりは、「ブレードランナー」を愛してきたすべてのオタクファンたちの心情を反映するものではなかったかというのが、個人的な結論。
とにかく、前作のデッカードに比べて、本作のKは、これでもかというくらい運命を翻弄されます。
おそらくこのキャラクターに共感してしまった全てのファンは、本作を、前作を凌ぐ大傑作と評価するのではなかろうか。
とにかく、よく出来ています。
もちろん、膨大なハリウッド資金で製作されたSF映画ですから、名手ロバート・ジェンキンスによって撮影された圧倒的な近未来映像も、前作同様圧倒的ですが、それよりも何よりも、これはレプリカントのKがたどる、切なすぎる運命のドラマが、特にカルト映画としてその不動の地位を確立してから以降の、熱心なオタクファンたちの心情を鷲掴みするだろうなと踏みました。
ビルヌーヴ監督は、おそらく最初から観客のターゲットとして、そんな熱心な彼らを念頭に置いて本作を作ったのではなかろうか。
ちょっとそんな気がしてしまいました。
さて、そんなコアなファンたちに向けて作られたであろう本作は、それでは僕のような比較的ゆるいファンや、ブレラン一見様にはどう映るか。
「なんだか凄そうなんだけど、残念ながら、ついて行けなかった。」
前作に比べ、全てが洗練されて、ドラマも撮影も完璧には作られているものの、映画としてのインパクトは、正直前作よりも弱い。
僕が見終わった感想は、正直これでした。
前作で感じた「なんだ、こりゃ」という想像の上をいく意外性は、残念ながら本作にはなかったですね。
せっかく、前作よりも、資金を注ぎ込んでつくっているのに、こんな感想でちょっと申し訳ない気もします。
コアなファンたちは、すでに何度か繰り返して本作を見ているのでしょうが、よほどのことがない限り、同じ映画を繰り返し見る習慣のない百姓としては、見終わった翌日に、恥ずかしながら、YouTube に氾濫している映画の解説動画を(見るのではなく)、片っ端から聞きまくりながら、映画の復習をしていました。
おかげで、映画のアウトラインはそれなりに理解することはできましたが、やはり理解するのとエモーションを感じるのとは別次元のこと。
作り手が、僕のように、ついていけないにわかファンの方には向いていないのですから、これはやむなしでしょう。
映画は5部門でアカデミー賞も獲得していますし、世界中の数々の賞も獲得していますが、残念ながら、莫大な製作資金を回収できるまでのヒット作にはなっていないようです。
それでも、公開時には大コケした前作に比べれば、かなりの大健闘。
少なくとも、元からブレランのファンだった人達にはとことん行き届いた作品で、それなりの高評価を得ているように思います。
ではもしも、本作が前作同様、試写で大ブーイングを受けて、急遽再編集だの、ラストシーンの差し替えだのという運命を辿ったらどうなったか。
前作では、デッカードとレイチェルが、仲良く車で走り去るというハッピーエンドに無理矢理差し替えられて、映画はなんとか公開にこぎつけていますが、本作の場合であれば、レイチェルに相当するのは、Kの唯一の心の拠り所になる、AI搭載のバーチャルメイドのジョイでしょうか。
もしも、二人が再び結ばれるというラストシーンが、本作に追加されたとしたら、僕の個人的な評価は間違いなくグッと上がったと申し上げておきましょう。
いや、だってアナ・デ・アルマスは演じるジョイは、文句なく可愛いかった。
恥ずかしながら、60歳を過ぎたジイサンでも、彼女にはかなりキュンとさせられてしまいましたから。
いろいろと頑張ったKには、最後にそれくらいのご褒美はあげたかった気がいたします。
それから、最後に一つ。
2011年発売のユーミンのアルバム「Road Show」に収録されている「今すぐレイチェル」のレイチェルは、もちろんあのレイチェルのことです。歌詞を見れば明白。
つまり、彼女に歌いかけているのは、デッカードということです。
そして、あのレイチェルが本作ではなんと・・・
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