女の海 瀬戸内晴美
今月の9日、天台宗の尼僧だった作家の瀬戸内寂聴が亡くなりました。
享年99歳。
1999年に74歳で亡くなった母親が、大正15年(昭和元年)生まれでしたので、生きていれば95歳。
それよりも、4歳年上な訳ですから、まさに人生を生き抜いた末の、大往生だったといえるでしょう。
東京女子大在学中の20歳で結婚し、2年後に女児を出産。
しかし、25歳の時、年下の文学青年と不倫関係になり、まだ3歳だった娘と夫を捨てて青年と駆け落ちして、京都へ。
その後、作家デビューを果たし、自らの体験を生々しく綴る小説を次々と発表し、女流作家としての地位を築いていきます。
その後もいくつかの不倫恋愛を繰り返し、1973年に、50歳を越えて突然出家。
潔く髪を剃り、以後は尼僧として、京都に寂庵を構えて、仏道修行の傍ら、作家生活も続けていくことになります。
僕が覚えているのは、トラブルを起こしてマスコミから逃げ回っていた頃のショーケンや、あのSTEP細胞事件で、各方面から袋叩きに遭っていた小保方晴子を、寂庵に匿ってあげていたことですね。
世の中からはじき出されたような人に、手を差し出し、寄り添うことの出来る懐の深い女性であったのが印象的です。
実は恥ずかしながら、これまで彼女の著書は一冊も読んでいなかったのですが、川越市立図書館に特設されていた「瀬戸内寂聴コーナー」に並べられていた一冊を今回手に取り借りてきました。
タイトルは「女の海」。当時はまだ、瀬戸内晴美名義です。
カバーも何もない古い装丁の本でしたので、いつ頃の本か最終ページを確認したら、「昭和39年2月1日発行」とあり、価格は380円。
Wiki で確認したところ、1959年(僕の生まれた年)から、東京新聞で連載された彼女にとって初の長編小説とのことでした。
本作の主人公弓子は、夫と子供を捨てて不倫に走り、息子はそれ故に反抗的に育って事故死、娘はやがて、弓子の知り合いの年上の男性に惹かれて結ばれていくという、まるで本人自身の人生を自虐的になぞったような私小説風な味わいの一冊でした。
その赤裸々な描写は、同時の文壇からは、「ポルノ小説」と揶揄され、なかなか正当な評価は受けられなかったようです。
小説の主人公の弓子は、自らの熱情を押さえ込むことを決して潔しとせず、その愛に身を委ねる、不道徳ではあっても自由な生き方を選択しますが、その罪の深さは、女として、母として、生涯背負うことになります。
これを著した瀬戸内晴美も、自らの罪から逃げることを潔しとせず、むしろ真っ向から向き合い、それを小説にすることで、自分の罪へのせめてもの贖罪とするような意識が働いていたかもしれません。
但し、本作ではかつて捨てた娘が、最後は自分の罪を許し、結婚することになる相手と共に、パリへ飛ぶ弓子を笑顔で見送るという、結構ちゃっかりとしたラストで結んでいるのはご愛嬌。
それでも、この小説が、昭和30年代に執筆されていることを考えると、「そうはいっても、一度しかない人生、最終的には好きにした方が勝ち」というメッセージを、女性の視点から発信しているということは、ある意味では、すごいことです。
瀬戸内晴美(後の寂聴)という女性の、強さとしたたかさ、そしてそれとは対極にある心の襞をすくい取る繊細な感性、そしてそれを文章に紡ぎ上げる天賦の才が、作家としてのこの人を支えているように思われます。
YouTube で、鳥越俊太郎との対談を見ましたが、その中で彼女が言っていました。
かつて自分が捨てた娘も、すでに75歳になっており、今では何でも話し合える間柄になっている。罪の意識は消えることはないが、もうわだかまりはない。そこから逃げずに向き合っていれば、人生とは最終的にはそういうもの。
90代になっても、ペロリとステーキを平らげていたというこの人が、決してボケたりもせずに、最晩年まで作家と尼僧という二足の草鞋を履き続けて現役でいられたのは、どれだけ罪の意識に苛まれようと、常に前向きだったその生きっぷりにあった気がします。
つい先日、叔母の訃報を受け取りました。
ご主人からの連絡でしたが、こういうご時世ですから、葬儀はごく少数の身内で済ませたとのこと。
色々とお世話にもなった叔母でしたので、ほとぼりが冷めたタイミングでお線香を上げに行ってきました。
叔母は、享年86歳。
睡眠中の熱中症で、ご主人の隣で、眠るように死んでいたそうです。
父親の兄弟は7人いて、上2人は姉。
そして、父の下に妹が2人、弟が2人と続きます。
この叔母が亡くなったことにより、すでにこの7人のうち6人までが他界したことになります。
彼らにとっては甥っ子だった僕が、すでに62歳になっていますので、やはり時の流れを感じざるを得ません。
4人いた叔母の中で、長女と四女であるこの叔母は、とにかく美人だと評判でした。
残念ながら、僕が3歳の時に亡くなっている最年長の叔母は、記憶にはないのですが、確かに写真を見る限りとても綺麗な人でした。
そして、この一番下の叔母も、負けず劣らずの美人で、これははっきりと記憶に焼き付いています。
実家の本屋の前で、彼女に抱っこされた僕の子供の頃の写真がありますが、まるでグラビアから抜け出てきたような華がある女性でした。
それもそのはず、叔父たちの話によれば、若かりし頃の彼女は、映画スターを目指して、新東宝という映画会社の大部屋女優をやっていた時期もあったのこと。
粋な帽子をかぶって斜に構えた宣伝用のプロマイドまであったそうです。(これは未見)
ところが、この時代は彼女にとっては、どうやら黒歴史だったようで、彼女自身も決して多くは語ろうとせず、下の叔父たちもそれ以上のことは知らなかったようです。
しかし、彼女の兄である我が父は、そんな彼女の闇の部分を、ある程度は知っていたのだと思われます。
それは子供ながらにうっすらと感じてはいました。
後に彼女は、彼女の弟の同僚であった建築家と結婚することになり、やがて一男一女の母になります。
ご主人になった方(義理の叔父)は、当時、子供の目から見ても、見るからに穏やかで、誠実そうな方でした。
やがて、歳月は流れ、両親が亡くなった後です。
2人の遺した実家の名義を書き換える任を、長男である僕が負うことになりました。
実はこれが思った以上の難作業でした。
当時はまだサラリーマンでしたので、平日の休みを取りながら、ほぼ半年の時間を費やして、両親の戸籍を辿ることになったわけです。
2人の結婚前の人生まで遡って、住んでいたそれぞれの役所へ出向いては、順次戸籍抄本を取ってくるわけです。
そして、このツアーを経験したおかげで、僕は図らずも、父親の兄弟姉妹全ての人生の記録を目にすることになるわけです。
まだ手書きだった頃の戸籍抄本は、まるで古文書のようでとても読みにくかったのですが、その中で僕にとってはかなり衝撃を受けた事実の記載がありました。
父親の一番下の妹には、現在のご主人と結婚する前に、実は一度結婚して籍を抜けた記録があり、後にまた戻っていることがはっきりと明記してあったわけです。
今にして思えば、子供の頃に、祖母を含む叔父叔母たちが、子供にはわからないようなニュアンスで、煙草を吸いながら話していたモヤモヤの真相がその瞬間に理解できた思いがしました。。
それを知った時には、こちらももうすでに50代のいい大人になっていましたので、彼女の選んだ人生の悲喜交々はそれなりにある程度は想像できました。
その頃には、当然叔母の長女も長男もそれなりの年齢になっています。
もちろん、それぞれに家庭もあります。
彼らがその事実を、叔母から聞かされているかどうかはわかりませんでしたが、もしもどこかで、そんなタイミングでもあれば、それを知っている身内としては、決して隠しておくべきことではないかもしれないという想いはどこかにありました。
二人はもうすでに立派な大人でしたから。
しかし、結局そのタイミングは訪れませんでした。
そしてまた、それから時は流れて、今年です。
今度はその叔母の訃報を聞くことになるわけです。
そして、叔母が亡くなってから二ヶ月ほどか過ぎた秋晴れの土曜日、畑で採れた野菜を車に積んで、お線香をあげに伺わせてもらいました。
その後、みんなで食事をしたわけですが、最愛の伴侶を失って、側で見ていても気の毒なほど、大きな喪失感を負った義理の叔父が、ふと寝落ちしてしまった隙に、すでにそれを知った頃の僕と同じ年齢になっている長女から小声で切り出されたのが、まさにこのことでした。
やはり、彼女もまたその弟も、母親の結婚前のその事実を知ったのは、彼女が亡くなった後、役所などの手続きを始めてからのことだったそうです。
しかも、叔母はこちらに籍を戻す際に、相手方に生後一年の赤ちゃんを置いてきているということ。
そして、父親(僕にとっては義理の叔父)にこの事実を問い詰めてみても、彼はそんなことは知らないと言うばかりなのだそうです。
実は家族はこの件でちょっとしたパニック状態になっていました。
「どう思う?」と、叔母と同じく既に今では一男一女の母親になっていた長女に、食い入るような目で聞かれたので、そのことを知っていたことは白状した上で、可愛がってもらった甥っ子の一人として、個人的に思うところだけは述べてきました。
しかしもちろん、この件をどう収めるかは、あくまでこの家族の問題です。
僕などが口を挟む余地などは微塵もありませんが、ただ思うことは、叔母が最初の結婚に破れて傷心のうちに籍を実家に戻した後、今のご主人との再婚を決めて、人生を再出発し、そして授かった二人の子供をしっかりと育て上げてきたことは、それ自体が、彼女にとって自分の過去への贖罪だったかもしれないということです。
そして彼女のその意志は、兄である我が父親には伝わっていたかもしれません。
実は、我が父親も、母とは再婚でした。
父親の最初の伴侶は、僕と弟を産んだ後、乳癌で他界しています。
その後、父親は母親と再婚しますが、母親もまた、前夫とは離婚しており、父と母は仲良く再婚同士ということになります。
しかしこのバツイチ夫婦は、それ以降の人生40年を連れ添れそうことになり、親戚たちからは「大おじちゃん」「大おばちゃん」と慕われながら、共に74歳で亡くなっています。
一度だけ、僕はその母親からしみじみと言われたことがあります。
「お母さんは、一度は女としての普通の幸せは諦めかけていたけど、あんたたちがよくなついてくれたおかげで救われたんだよ。」
残酷なことかもしれませんが、亡くなった叔母は、現在のご主人との間に生まれた2人の子供を育てながら、その節々で、置いてきたもう一人の我が子の面影を重ねていたのかもしれません。
後に出家して寂聴となる、瀬戸内晴美の波瀾万丈の人生を彷彿させるような本作を読んでいると、ヒロイン弓子と重なってくるのは、不思議とこの綺麗だった伯母の面影でしたね。
叔母が亡くなった家に伺って、まだ遺骨を安置したままの仏壇に向かって線香を上げながら遺影に目を向けると、さすがに年老いてはいるものの、それでも満足そうに微笑んでいる叔母はこう言っているようでした。
「まあ、色々ありましたが、こんなところで勘弁してくださいな。」
今年、99歳で亡くなった瀬戸内寂聴と、86歳で亡くなった我が愛すべき叔母に、改めて、心よりの冥福を祈りたいと思います。
合掌。
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