さて、昭和54年です。
大学2年生になっている年ですね。
気がつけば、世の中でも「歌謡曲」という言葉自体が死語になりつつありました。
歌番組でも、「歌謡曲」という言葉が冠になっている番組は気が付けば消滅。
純然たる歌謡番組は、玉置宏氏の司会による「ロッテ歌のアルバム」が最後ではなかったでしょうか。
この番組は、この年で終了しています。
ちなみに、これ以降テレビ番組では見なくなってしまった玉置氏を、僕はアルバイトしていた、池袋のグランド・キャバレー「杯一」で、歌謡ショーの司会をしていた生の姿を目撃しています。
この年の音楽番組の白眉は、なんといっても黒柳徹子と久米宏司会による「ザ・ベストテン」。
この番組がスタートしたのが、この前年です。
そして、月曜夜10時の音楽番組の老舗「夜のヒットスタジオ」の二番組は、夜勤のバイトでもしていない限りは見ていたので、レコードを買ったり、カセットに録音して聞くと言うことはしないまでも、時代の流行歌として耳には残っていたのでしょう。
思い出しましたが、この頃の歌謡曲が、自分で意識的には聴かないまでも、しっかりと記憶に残っていた理由がもう一つあります。
それはジューク・ボックスですね。
もちろん、そんなものが我が家にあったわけではありません。
実はこれ、バイト先に設置されていたものです。
このバイト先というのが、東京都は東京都でも、伊豆七島三宅島の「三宅島観光ホテル」の喫茶でした。
大学生だった5年間の全ての夏期休暇を、僕はこのホテルでアルバイトをしながら過ごしています。
母親の故郷が三宅島なのですが、このホテルに勤務する島在住の叔母から、夏の間だけ観光客で賑わうホテルに住み込みでアルバイトする仲間を集めて来いというミッションを受けたのが大学生最初の夏です。
そんなわけで、当時大学で知り合った友人には、片っ端から声をかけて、口説き回りました。
懐かしい思い出です。
このホテルの喫茶は、夜になるとナイトバーになっていましたので、宿泊客の多くがここで時間を過ごします。
まだカラオケなどなかった時代でしたので、BGMといえば当然ジュークボックスの楽曲。
繁忙期の夏に合わせて、僕たちが東京から仕入れて行った最新歌謡曲も、多くセットアップされていましたので、このジュークボックスでかかっていた歌謡曲は、自然と耳に残っていますね。
還暦を超えてくると、巷で流れている曲は、よほどこちらから「覚えるぞ」という気持ちで踏み込まないと歌えるようにはならないと痛感していますが、この頃の曲は、風のように流して聴いていても、案外記憶のどこかに残っていて、メロディが追えるので、我ながらビックリしています。
ちなみに、下の弟たちは、そろってサザンのファンでしたが、僕は密かにそれには背を向けて、こっそり「さだまさし」に心酔していました。
さて、この年に日本でヒットした曲で、今でも歌えたの楽曲は以下の通り。
夢追い酒(渥美二郎)
SEPTEMBER(竹内まりや)
DESTINY(松任谷由実)
銀河鉄道999(ゴダイゴ)
カリフォルニア・コネクション(水谷豊)
舟唄(八代亜紀)
さよなら(オフコース)
I SAY GOOD-BYE SO GOOD-BYE (矢沢永吉)
魅せられて(ジュディ・オング)
ビューティフル・ネーム(ゴダイゴ)
海岸通り(イルカ)
いとしのエリー(サザン・オールスターズ)
愛の水中花(松坂慶子)
想い出のスクリーン(八神純子)
愛の嵐(山口百恵)
以上全55曲
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