さて、昭和55年です。
この年は、西暦1980年ですから、いよいよ、この年から80年代のスタートです。
僕が音楽メディアとして愛用していたのがカセット・テープです。
当時、カセット・テープには、いろいろなグレードがあって、録音するものによって、その品質を変えていました。
1番安価なのは、ノーマル・ボジション・ タイプ。
これは、自分の弾き語り生歌や、音源の古いモノラル録音の曲に使用。
音源のしっかりしたステレオ録音のものはハイ・ボジション・タイプを使いました。
お値段も少々アップ。
レコードの録音は、主にこのタイプです。当然、ハイボジションのカセット・テープが一番本数は多くなります。
そして、これはという貴重な録音をするときは、値段も張りますが、多少気張ってクローム・タイプを使用。
そんなふうにし使い分けていましたね。
後に、メタルタイプという超高音質録音可能テープも発売されましたが、このタイプを使った記憶はほとんどありません。
とにかく凄まじいペースでカセットの本数は増えていきましたので、あまり高価なテープは使えませんでした。質よりも量という感じ。
最終的には、バイト代を貯めて、念願のオープンリールのデッキを購入することになるのですが、オープンリールはテープ幅が広い分、やはり音質は最強でした。もちろん値段も張ります。
この頃にはだいぶ曲数も増えていた自作の楽曲の正式録音などにはこれを使用しました。
オープンリールですと、長時間録音も可能ですので、FM番組をまるっと録音して、カセット・テープにダビングできるようになると、カセットの数はまた一気に増えていきました。
それと並行して、洋楽志向も幅を広げはじめ、ジャズ、ソウル、フュージョン、イージー・リスニングなど、いろいろなジャンルにも興味を持ち始めたのもこの頃です。
クラシックだけは、意識して聴くようになるのは、もう少し後でした。
そんなわけで、大学を卒業する頃には、所有するカセットテープは、軽く1000本は超えていました。
特に「カメラのさくらや」でアルバイトをしていた時期は、社員価格でカセット・テープが購入できましたので、バイト代は惜しげもなく、これにつぎ込んでいました。
その代わり、あまり誉められた話ではありませんが、レコードはほとんど買っていません。
好きなアルバムやヒット曲は、全てカセットに録音。
ですから、あの当時、友人ができるとまず真っ先に聞いたのがこれ。
「ところで、どんなレコード持ってるの?」
それで、ビートルズなら、海賊版も含めておよそ2000枚などというツワモノの自慢話を引き出せたらしめたもの。
ニンマリ笑った翌日から、大量のカセットテープを携えて、その友人の自宅へ何日も通ったりするわけです。
あるいは、所持しているレコードを丸ごと借りてきて、自宅で録音してから返すなんてこともしょっちゅうやってました。
普通なら、自分の興味があるレコードだけを選んで借りればよさそうなものですが、ある時期からは、録音本数が増えていくことが快感になり始めるんですね。
これがオタクの悲しい性です。(この頃はまだオタクなんていう言葉はなかったかも)
とにかく、借りられるレコードがあったらなんでも録音していましたので、その時に一回聴いたきりで、そのままオクラ入りというカセットもかなりたくさんありました。
さて、そうやって増やしていったカセットを、それでは一体どうやって聴いていたか。
この年の頃には、若者文化に革命が起きていました。
実は、この年の前年、SONYがウォークマンを販売開始しているんですね。
これが若者の間で大当たりしましたから、SONYに続けとばかり、各音響電気メーカーが続々と新製品を発表して競い合っていいました。
「カメラのさくらや」でバイトしていた時期は、そのラインナップは毎日のように見ていました。
そして、「ヨシっ」と決めて、貯めたバイト代でウォークマンを購入することになります。
ですから、僕のウォークマン・デビューがちょうどこの頃。
この秘密兵器で、何を一番最初に聴いたのかは今でもはっきり覚えています。
ちょうどこの年にデビューしたばかりの佐野元春のファースト・アルバム「バック・トゥ・ザ・ストリート」でした。
駅のホームで、イヤホンを耳に挟んで、プレイボタンを押したら、飛び込んでくる彼の威勢のいいカウント。一曲目の「ナイト・スウィンガー」です。
とにかく初めての経験でしたので、これはさすがにビックリ。
思わず音が漏れていないか、周囲をキョロキョロ見渡してしまったのをよく覚えています。
そして、この前年には車の免許取得していましたので、やはりカー・ステレオですね。
まだマイカーなど持てる身分ではありませんでしたので、実家の車を度々拝借していいました。
1600CCのカローラでした。
デートの時などは、お気に入りの曲を集めたカセットテープを編集して、ドライブのBGMにしていました。
ユーミンやサザンや、山下達郎などは、女子ウケがいいことは承知していたので、そのために聴いていたフシがあります。
勝負のかかったデートの時などは、ここぞというタイミングでムードを盛り上げるために、カセットボックスには、ちゃっかりとジャズなども忍ばせていました。
さて、この年のヒット曲で、今でも歌えた楽曲は以下の通り。
道化師のソネット (さだまさし)
防人の唄 (さだまさし)
雨の慕情 (八代亜紀)
YES-NO (オフコース)
アンジェリーナ(佐野元春)
ジャズマン (サザン・オールスターズ)
いなせなロコモーション (サザン・オールスターズ)
順子(長渕剛)
DOWN TOWN (エポ)
不思議なピーチパイ(竹内まりや)
釜山港へ帰れ(チョー・ヨンピル)
This is song for Coca-Cola (矢沢永吉)
愛の嵐(山口百恵)
みちのく一人旅(山本譲二)
ジェニーはご機嫌ななめ(ジューシー・フルーツ)
帰ってこいよ(松村和子)
ゴーイング・バック・トゥ・チャイナ(鹿取洋子)
ハッとしてGood! (田原俊彦)
さよならの向こう側(山口百恵)
TOKIO (沢田研二)
裸足の季節(松田聖子)
ガラスのジェネレーション(佐野元春)
全56曲
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