博士の異常な愛情
核保有国の国家元首の中に、戦争で核兵器を使用したら、地球がどういうことになるのかをシミュレーション出来ない人物などいないと思っていました。
いやいや、そういえば危ない方は、1人いましたか。
核弾道ミサイル使用というたった一枚のカードだけで、国際社会からの援助をもらうことに血眼になっている怪しい国が、わが国のすぐ近くにありました。
でも、この唯一の例外を除けば、まともな国のトップとして「核の恫喝」を口にするような輩は、まさかこの21世紀には、もう出てくるはずはないだろうと思っていたのは事実です。
核戦争後の地球がどうなるかを描いたスタンリー・クレイマー監督の「渚にて」という暗い映画がありましたが、残された人類は、やがて放射能汚染により死ぬことになる前に、自らの命を絶つという選択をするのというシーンが印象的でした。
「ターミネーター2」では、サラ・コナーズが、核戦争で一瞬にして殲滅される街の未来の映像をフラッシュ・バックするシーンがありました。
「ザ・デイ・アフター」では、核戦争後の廃墟となった地球が描かれました。
そして、「猿の惑星」のあの衝撃のラストシーンも・・
とにかく、核爆弾を戦争で使用した地球の末路がどうなるかは、今や小学生でもイメージできる世界の常識です。
プーチン大統領が、そんなアメリカの映画を見ているかどうかは不明ですが、ロシアはロシアなりに学習くらいはしていると思いたいところです。
今のところ、世界で唯一の被爆国は、我が国だけです。
その後、朝鮮戦争では、マッカーサー元帥が核爆弾の使用を進言し、キューバ危機では、全面核戦争になることを承知で、キューバへのミサイル攻撃をカーティス・ルメイ空軍大将が進言しましたが、いずれも時の大統領の賢明な判断で却下されています。
冷戦化では、「核爆弾を持つことが戦争の抑止力」になるという屁理屈を御旗に掲げて、世界各国がこぞって核爆弾を開発し、それを保持し始めました。そして、この「俺たちは持ってるぞ」競争は、瞬く間に地球上に広がりました。
いつか気がつけば、今や世界中の核爆弾を全て合わせれば、地球がいくつあっても足りないくらいの破壊力になるということを人類は知識としては持つに至ります。
そんなわけですから、核爆弾をもたない国との戦争において、核保有国の国家元首が核の先制攻撃をほのめかす発言をするなどということは、実際には起こり得ないだろうと、どこかで思っていました。
国際社会の常識を覆して、戦争を始めたロシアの大統領にいったい何が起こったのか。
自分の描いたウクライナ侵攻が、青写真通りにはいかなくなっていることの焦りが、この人の理性を破壊し始めているとしたら、恐ろしいことです。
というわけで、本作を、自前のDVDコレクションの中から、引っ張り出してきました。
この作品は、1964年に公開された、スタンリー・キューブリック監督による世界全面核戦争を描いた超A級のブラック・コメディです。
こんな事態を引き起こすような連中は、もはやパラノイアか異常者しかありえないというキューブリックのシニカルな視線は、まともに作れば、暗鬱にならざるをえない原作を、とびきり毒の効いた、極上のコメディ映画として再構築しています。
この映画で、ソ連に対する核攻撃を単独で指令してしまうリッパー准将は、コテコテの国粋主義者で、共産主義に対して病的なまでの妄想に取り憑かれてしまっているパラノイアとして描かれています。
演じているのは、スターリング・ヘイドン。映画「ゴッドファザー」では、アル・パチーノ演じるマイケルに、顔を撃ち抜かれてしまう悪徳警官を演じていた人です。
そして、もう一人、ナショナリストの権化のようなタージドソン将軍を演じたのがジョージ•C・スコット。
「パットン大戦車軍団」で、パットンを演じてアカデミー賞主演男優賞を獲得した(受賞を拒否しましたが)強面の名優です。
これも、なにかと強硬策を熱弁する超タカ派で、無類の女好きという俗物として描かれています。
そして、この映画を極上のコメディ映画にした立役者はといえば、なんと言ってもピーター・セラーズ。
主人公のストレンジラブ博士(しかし、出番は後半から)をはじめ、マフリー大統領、リッパー将軍の指示下にあるイギリス空軍大佐のマンドレイクの三役を、巧みなメイキャップと台詞回しで演じ分けます。
当初の予定では、ラストで核爆弾にまたがったまま、投下されるB-52のパイロット、コング少佐も彼が演じるはずだったらしいのですが、撮影中の負傷の為、急遽スリム・ピケンズにこの役は譲ったそうです。
そういえば、ピーター・セラーズは、つい先日見たばかりの、「ビードルズ: GET BACK」で、撮影中のトゥイッケナム・スタジオに突然フラリと現れて、ビックリさせられましたね。
そんなわけで、この映画には、まともな軍人が一人も登場しません。
(いや、強いて言えば、そんな輩に振り回されるマフリー大統領だけはまともだったかも)
しかし必死に最悪の事態を回避しようとするアメリカ政府首脳陣の努力は、ドリフのコントのように空回りし続け、第二次対戦中の頃にヒットした「また会いましょう」の甘いメロディが流れる中、世界中で、核爆弾が炸裂して映画は終わります。
地球上で、全面核戦争などという悪夢が繰り広げられるとしたら、もはやギャグにしかなり得ないだろうというスタンリー・キューブリックのこの映画に対する姿勢は、多くの人の心を捉えました。
同じ年に、全く同じテーマを扱ったシドニー・ルメット監督による「未知への飛行」は、これを真正面からシリアスに描いた骨太で硬派な作品でしたが、当時のアメリカでは、興行収入において、完全に「博士の異常な愛情に」に水をあけられてしまっています。
つまり、全面核戦争なんて、起こってしまえば、もはや笑うしかないというのが、当時の世の中の空気だったと言えるでしょう。
Wiki によれば、実はこの映画のラストには、会議に集まった首脳陣の間で、壮絶なパイ投げが繰り広げられるという、スラップスティク・コメディ的なエンディングが用意されていたらしいのですが、これはキューブリックの判断により最終的にカットされてしまいました。
でも、映画ファンとしては、そのエンディングは、ちょっと見てみたかった気もします。
本作において、相手国ソ連の指導者ディミトリーは、電話回線の向こうで、マフリー大統領とやり取りをするだけで、その顔は見せません。
この映画の作られた時代なら、ソ連の指導者はフルシチョフということでしょうが、今このタイミングでこの映画を見て、その相手を想像すれば、やはり脳裏に浮かんでしまうのは、プーチンの顔になってしまいますね。
この大統領の顔に、本気でパイをぶつけようなんて側近は、ロシアにはいないものでしょうか。
聞く話によれば、今でもロシアでは、平均で月に1人は、プーチンの取り巻きの誰かが暗殺されているというデータがあるそうです。
まあ、その程度なら、スターリンの行った壮絶な粛清政治に比べれば可愛いものかもしれませんが、20年にもわたる、彼の権力維持は、やはりそうやって行われてきたのかと思うとゾッとします。
そういえば、我が国にも、ここまでではありませんが、長年にわたって官僚たちに恐怖政治を敷いて、その権力を維持し続けてきた首相がいました。
この人の現役時代は、とにかくプーチンとの友好関係を、仕切りにアピールしておりましたね。二人の会談は27回にも及びました。
「ウラジミール。僕と君は、同じ未来を見ている。」
こんな歯の浮くようなポエムを口走っては、悦に入っていたこの首相は、この事態に際して、そんなに仲が良いのなら、今すぐプーチンに会いにいって行って、こんな愚行をやめさせるよう進言に行くべきだと周囲から焚き付けられると、今度は一転「行けるものならいっている」などと、たちまち逃げ越しになっています。
それどころか、こんな事態に乗じるかのように、元日本維新の会代表の橋下徹氏と一緒になって、「今こそ、日本にも核シェアリングを」などと、とんでもない発言を、どさくさに紛れて口走る始末。
いいでしょう。安倍元内閣総理大臣様。
核シェアリングてもなんでも、やってみて下さいませ。
日米地位協定によって、安全保障において、がっちり日本の首根っこをつかんでいるアメリカが、本気で日本に核爆弾を提供する気があるなどとお考えなのでしょうか。
アメリカにとっては、ほとんどメリットのない核シェアリングに、簡単に首を縦に降ってくれるなどと本気でお考えでしょうか。
なるほど、どうやらあなたは「外交の安倍」を自慢されているようですから、ウラジミールよろしく、バイデン氏にもうまく取り入って、核シェアの合意を取り付けることくらい朝飯前だとお考えなのでしょう。
北方領土変換においても、二島返還などと偉そうなことを言っておきながら、その「同じ未来を見ている」はずの友人ウラジミール・プーチンに、最後は赤子の手を捻るようにあしらわれたあなたに、それが出来るというのなら、どうぞやってみてくださいませ。。
すでに岸田首相には、そっぽを向かれているようですが、お手並みは拝見致いたしますよ。
さもなくば、ロシアまで出向いて、ウラジミールと、パイの投げ合いでも、してみいはいかがでしょう。
もしかしたら、彼と同じ未来が見えるかも知れません。
コメント