Amazon プライムで、昔々の怪しげな映画を発見。
製作されたのは、1963年と言いますから、東京オリンピック前年の高度成長期真っ盛りの頃。
池田勇人首相による「所得倍増計画」の音頭取りに乗って、日本中が経済成長に明け暮れていた時代の性風俗を中心に活写したドキュメンタリー映画です。
ドキュメンタリーとは言っても、かなりヤラセが入っているのは一目瞭然なので、モキュメンタリーの方に近いかもしれません。
「世界残酷物語」のヒットをきっかけに、世界中で、モンド映画が量産されるようになっていた時代に作られた作品です。
本作は、その波にしっかり乗った和製モンド映画。
と同時に、本作は黎明期のピンク映画の走りともなった作品です。
今でこそ、エロの王道はAVですが、まだビデオなどもなかった頃のエロといえば、ポルノ映画が主役でした。
ご存知のように、1970年代に入って、日活は「ロマン・ポルノ」に舵を切っていましたし、東映も時代劇ポルノ映画で、必死に映画離れしてゆく観客を引き止めようとしていました。
ポルノ映画を作っていたのは、この二社だけではありません。
大蔵映画や新東宝興業などポルノ専門の製作会社もあり、高校の頃は、大宮にあったオークラ劇場に、よく学校をサボってしけこんでいたものです。
ポルノ映画興行は、二本立て、三本立てが当たり前でしたので、今のように入れ替えなどなかった時代でしたから、終日ポルノ映画館で過ごしていましたね。
そうそう、忘れられない思い出として、平日昼間のポルノ映画館で、バッタリとクラスメートと鉢合わせしたことがありました。
特に仲の良い友達ではなかったのですが、それをきっかけに、微妙な友情が芽生えましたね。
さて、ピンク映画と言えば、僕らがお世話になったポルノ映画から、さらに遡った時代のエロ映画の総称です。
1960年代のピンク映画というと、若松プロなどの過激な作品が有名ですが、こういった和製モンド映画もピンク映画の一画を担っていました。
ヤコペッティの王道モンド映画などは、洋画系映画館で見た記憶がありますが、こういうヤラセのドキュメンタリー映画には、ほぼ美人が出てこないので、個人的には、あまり好きではありませんでした。
やはり、こちらとしては、なけなしの小遣いを捻出して、純粋にエロを楽しみたくて映画館に行っているわけですから、松坂慶子や大原麗子(古いなあ)のようなトップ女優のようにとはいかなくとも、そこそこスタイルのいい見栄えのする女優のヌードくらいは拝みたいわけです。
とにかく、思春期の頃には、映画というものは、実生活では見れない美人を、スクリーンで楽しむエンタテイメントと思っていましたので、たとえエロいシーンはふんだんでも、そこらにいるようなお姉さんやオバサンのエロシーンでは、入場料の元を取れないという思いはありました。
ですから、この手の怪しげな和製モンド映画にお金を払ってみた記憶はないので、記憶にあるのは、おそらく全て予告編の映像だったと思われます。
しかし、この歳になって改めてみてみると、この手の映画は、またちょっと見方が違ってきます。
純粋にエロでは楽しめないものの、時代を映す風俗映画としては、それなりに楽しめるわけです。
懐かしき昭和のレトロな雰囲気は、今になってみれば大好物。
本作は、ほとんど、脈絡のないシーンの切り貼り映画なのですが、これを上手く繋げていたのが三木鮎郎のナレーションでした。
この方、今の方達はほとんど知らないでしょうが、僕の世代では、「11PM」や「スター千一夜」などの司会を軽妙にこなしていた小洒落たオジサンのイメージが微かにあります。
そして監督は、武智鉄二。
この人は、舞台演出家としても有名な人です。
しかし、なんといっても、この人のキャリアで特筆に値するのは、大島渚監督の「愛のコリーダ」の後にはなりましたが、「白日夢」という本番映画を撮っていること。
エロ愛好家としては、要チェックな監督ですね。
本作は、その武智鉄二の監督デビュー作ということになります。
モンド映画ですから、もちろんストーリーはありません。
ニュース映画の、エロ・バージョンといったノリです。
まあまあ、これでもかと、当時の性風俗と、それを彩る女性たちが登場するのですが、びっくりしてしまうのは、その彼女たちの、なんと垢抜けないことよ。
もちろん、映画に出演するわけですから、登場する女性たちは、それなりにバッチリと化粧は決めているのですが、悲しいくらいに、美人というカテゴリーに収まる女性たちが、出てきません。
これは最後まで徹底していて、武智監督は、そこにこそエロの本質があると言わんばかり。
本作は、むしろそれを楽しむ映画と言ってもいいのかもしれません。
映画に登場する男性たちは、そんな彼女たちを前にして、それなりに鼻の下も伸ばしているのですが、彼らには、果たして彼女たちが一体どう見えていたのか。
ここに俄然興味が湧いてきました。
おそらく、今この企画で映画を作ったとしたら、女性たちのグレードはもう少し上がっているだろうと思われます。
スタイルもそうです。あの当時は、トランジスター・グラマーなどという流行語もありましたが、その体型の差は一目瞭然。
とにかく、一般女子であっても、足の長さが決定的に違います。
もちろん、今の世の中にも、50年前の体型そのままの女子もいるかとは思いますが、おそらくその平均値で言えば、今の女性たちの方が相当上回っていることは実感できます。
ん? 待て待て。
体型の変化は確実にあるとしても、では果たして性的見地から見たナイスバディは、果たしてどちらなのか。
この問題はありそうです。
なるほど、女性美も時代と共に移り変わるとすれば、これはそう単純に判断してはいけないのかもしれません。
もしかすると、この映画の時代の男性諸氏が、逆に今のうら若き一般女子たちを、性的見地からみたら、セックス・アピールを感じるのか。
もしかして、今時の女性たちには、まるで美を感じないという可能性もあります。
そういえば、僕らの父親世代は、こんなことを言っていました。
「なんと言っても女はケツだよ。結婚するなら骨盤が決め手。」
今なら、セクハラと一刀両断にされそうな物言いですが、そんな男たちの戯言をシカトして、ひたすらモデルのようなスラリとした体型を維持しようとダイエットに励む今の女子たちに、もしかすると昔の男子たちは、性的魅力は感じない可能性はありそうです。
では、昔の女性たちは、美しかったのか。
世に写真が登場する以前の女性美の記録は、古典絵画を検証するしかありません。
絵画における女性像を見る限り、日本においても、欧米においても、描かれている女性たちは、ほぼ例外なくふくよかであることにハタと気がつくわけです。
ヌード絵画は多いですが、描かれている裸身は、たいていムッチリ系ではありませんか。
痩せてガリガリの女性を、女性美として、絵の素材にしている例を知りません。
では華奢でスマートなことが「女性美」とされたのは、いつ頃のことなのか。
1920年代に、ココ・シャネルが登場したあたりからでしょうか。
彼女のデザインしたスーツを着こなす女性たちは、おおむねスマートでした。
しかし、なんと言っても決定的だったのは、1950年代に、オードリー・ヘップバーンが登場してからでしょう。
彼女は、女性美の概念をガラリと変えてしまったパイオニアだったと言えます。
日本では、1968年に、モデルのツイッギーが、ミニスカート旋風を巻き起こして、「女性の美」の潮目が変わった気がします。
以来、日本女性たちは、古き良き昭和の女性美を良しとせず、日々ダイエットに励み、欧米スタイルの食生活を取り入れ、スラリとした、モデルのような体型になろうと涙ぐましい努力をするようになったのは、誰もが知るところ。
この努力が、果たして、生物学上正しいものなのか、そうでないのかはとりあえず置いておくとして、50年における歳月をかけて、女性美のモノサシが変わったことだけは間違いのない事実でしょう。
映画マニアとしては、この時代のトップ女優だった高峰秀子、佐久間良子、若尾文子、八千草薫、香川京子などの、いわば「最も美しい女性たち」ばかりをみて来たわけで、いつに間にか、それが、その時代の水準と勘違いしてきてしまった節がありますが、一般女性に目を向ければ、本作のレベルこそが現実だったのかもしれません。
個人的に色気付いてきたのは、僕の場合は、1970年代になりますが、その10年であっても、一般のレベルにおいて、女性たちは、この映画の頃の水準よりは美しくなったと言うのは実感です。
一つ確実に言えそうなことは、平均的に言えば、いつの時代であっても、その時代の「今」の女性たちが、その時代の男性たちからは、一番美しく見えると言うのが実感であると言うこと
つまり難しいのは、その実感が、果たして絶対的なものなのか、相違的なものなのかということです。
果たして女性たちは、時代を追うごとに着実に美しくなっているのか、それとも、それは「男性からの眼」も含め、全ては時代の美意識に翻弄されているだけのことなのか。
平安時代の女性たちは、文献や当時の絵画から伺えることは、概ねおチョボ口で、一重の切れ長の目、そして黒髪というのが美人のテンプレイトでした。
その日本美人の典型とされる小野小町を、もしも現代につれて来たとしたら、果たして彼女は、普通に美人であるかどうか。
写真などのなかった時代に、「絶世の美女」と謳われたクレオパトラや楊貴妃が、もしも今の時代にYouTube に動画をアップしたら、果たして何人の男子たちが「イイね」ボタンをクリックするか。
これは、クラシック美女大好きオジサンとしては、大変興味のあるところです。
案外、本作に登場する「女・女・女」の皆様よりも・・・
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