刑事コロンボ 構想の死角
「刑事コロンボ」シリーズは好きでしたね。
テレビ・ドラマでしたが、ほぼ映画と同じくらいのクゥオリティがありました。
「新・刑事コロンボ」まで入れると、60本以上の作品が作られていますが、やはり好きだったのは第一シーズンです。
当時はN H Kで放送されていました。
これも、後になって衛星放送で全作品オンエアされましたので、全て録画してあります。
「別れのワイン」や「パイルD 3の壁」など、印象に残っている作品は多くありますが、何を見て、何を見ていないのかがはっきりしないので、これも改めて一度全部鑑賞してみたいと思っています。
コロンボ・シリーズの特徴は、倒叙型のミステリーであること。
つまり、冒頭に犯人による殺人が明確に描かれてしまうので、ミステリーの王道である犯人探しではなく、そのトリックやアリバイをどう見破るかというコロンボと犯人の丁々発止の対決が話の中心になっていきます。
脚本家の三谷幸喜氏が、コロンボ・シリーズの大ファンで、このフォーマットを拝借して「古畑任三郎」を創作したのは有名な話。
このスタイルでドラマをつくると、犯人役となるゲスト・スターと、コロンボの対決という図式が明確になるので、人気シリーズにはなりやすいのかもしれません。
古畑作品の中にある「考えるカンガルー」に登場する二人の数学者の関係は、どうやら本作から拝借していますね。
殺される相棒が、どこにでもメモをするという設定も本作からでしょう。
コロンボ・マニアの三谷氏ですから、古畑に引用したアイデアは、他にもまだあるかも知れません。
さて、本作は1970年作品。
コロンボ・シリーズとしては、3本目の作品となります。
なんでこの作品を選んだのかというと、理由はこれです。
実はこの作品を監督しているのが、若き日のスティーブン・スピルバーグなんですね。
彼はこのとき23歳。
「激突❗️」ヒットで、一躍その名を知られることになる前年に監督しています。
スピールバーグ監督のプロデビューは、1969年に製作されたテレビ・シリーズ「四次元への招待」の一編「アイズ」。
これは、往年の大女優ジョーン・クロフォードを主演に迎えた中編ドラマ。
映画科を専攻する映画オタクの大学生だったスピルバーグは、この作品を任されたものの、天下の大女優と、年上ばかりのスタッフの中で大苦戦をしたようです。
彼としてはやりたかったことは、ほとんど実現できずに、相当落ち込んだようですが、翌年に作られたプロ2作目となる本作では、限られた予算の中ではありましたが、かなり納得のいく内容に仕上がり、その評価も上々で、これが「激突❗️」への足掛かりとなったわけです。
今回は、これを承知の上で見ていますので、初めからスピルバーグ・テイストをチェックするつもりで鑑賞しています。
コロンボという、ある程度出来上がったテンプレイトがある「縛り」の中で、どれだけスピルバーグが独自性を出しているのかを楽しんでみる事にしました。
さて、いきなり冒頭でニンマリ。
通りを走る車のアップから、カメラはどんどん引いていき、ミステリー作家がタイプを打っている部屋の中を通り抜けていくカメラ・ワーク。
ヒッチコックの同時期の作品「フレンジー」で思わず唸ったカメラワークを、スピルバーグは、それよりも先にテレビ・ドラマでやっていたあたりはさすがといったところ。
彼は、バリバリのヒッチコキアンだと公言しているので、クライム・サスペンス作品である本作を撮るにあたっては、かなりヒッチコックの手法を意識していたと思われます。
二番目の殺人で、凶器のタオルを巻いたワインを追いかけていくカットも、ヒッチコックの映画に、いかにもありそうな撮り方です。
ヒッチコックだけではありませんね。
オーソン・ウェルズの技法も、彼は積極的に取り入れています。
画面の手前と奥の縦のラインを効果的に使ったパンフォーカス的画面構成もかなり特徴的でした。
デビュー作では相当カットされたスピルバーグのアイデアは、本作ではかなり実現できているようです。
これは、まだまだ若造のスピルバーグの演出を映像化した撮影監督の貢献は大きいと思い、確認してみたらラッセル・メティという人。
この人はなんとオーソン・ウェルズのカルト的名作「黒い罠」の撮影監督だった人です。
ハリウッドでは、30年代から活躍していた人で、本作の撮影時はすでに64歳。
スピルバーグから見れば、父親世代の人です。
なるほど、「黒い罠」冒頭のあの7分半の長回しを撮影したメティなら、スピルバーグとしても随分と心強かったでしょう。
本作には、犯人の二度目の殺人が行われる湖面にが光が強調されたバリクロス・フィルターの映像や、犯人とコロンボが異様に顔をくっつけあって喋る構図など、コロンボ・シリーズの他作品では見かけた記憶のない独自性のあるカットはいくつか確認できました。。
但し、敢えて苦言を呈すれば、コロンボ・シリーズの醍醐味である、犯人を落とすシーンのカタルシスはイマイチ。
「ええっ❗️そんなツッコミで落ちちゃうの❓」
というのがラストの正直な感想で、犯人あっさり犯行認め過ぎだろうという不満は残りました。
ラストのキレの良さとその余韻があってこそのコロンボ・シリーズです。
この辺りに唸らされたコロンボ作品はたくさん見ています。
しかしこれは、演出の腕というよりは、脚本の良し悪しに依るところが大きいので、映像派のスピルバーグのせいにするのはちょっと酷かもしれません。
いずれにせよ、この後に、大監督へと成長していくスピルバーグの才気溢れる映像センスの片鱗は、垣間見れた作品ではありました。
日本語吹き替えは、お馴染みの小池朝雄氏でしたが、シリーズの3本目の段階では、あのお馴染みの「うちのかみさん」はまだ使われておらず、コロンボはまだ「うちの女房がね」なんて言っていましたね。
ちなみに、僕はこのシリーズのオンエアがあった時期、森村誠一の小説にハマっておりました。
彼の作品の中に「高層の死角」という推理小説があるのですが、本作の邦題と少々ゴッチャになっておりました。
森村作品は、高層ホテルを舞台にしたミステリーだったので、「コウソウ」違いなのですが、いかにもコロンボ作品にもありそうなタイトルです。
本作の原題は、"Murder by the Book"ですから、「小説をヒントにした殺人」くらいの意味でしょうか。
小説「高層の死角」は、本作の前年に発表されており、江戸川乱歩賞を受賞している作品ですから、タイミング的にはコロンボの邦題を担当したスタッフが拝借したものかもしれません。
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