たくさんの映画を見てきましたが、傑作と言われる映画の多くは、オープニングから惹きつけられてしまうもの。
「つかみはOK」とよくいいますが、これから始まる映画の期待値を導入部でグッとあげられてしまうと、もうスクリーンから目が離せなくなります。
そんな秀逸なオープニングの映画を、記憶を辿ってリストアップしてみます。
とにかく、オープニングを覚えていたというだけでも、もうその映画が傑作だった証だと思います。
中には、何十年も前に見たきりという映画もありました。
オープニングしか思い出せないという映画も何本かありましたね。
もちろん、このブログを書くにあたって、オープニング・シーンだけはすべて見直しました。
オープニングは、いわば映画の「顔」ともいうべきもの。
冒頭で、いかに観客を「ワクワク」させて、映画の世界に引きずり込むか
そこに、監督たちがどれだけの想いをこめていたかを再チェックしてみます。
まずは、スタンリー・キューブリックによるSF映画の金字塔「2001年宇宙の旅」
この映画の導入には、とにかく「ワクワク・ドキドキ」させられました。
流れてくるのは、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」。
画面は真っ暗です。
楽曲が盛り上がってくると、暗黒の中から浮かび上がってくるのは、月(もしくは地球?)の、向こう側から静かにせり上がってくる太陽。
地球では見ることのできない宇宙目線の日の出です。
この太陽が上りきり、楽曲がクライマックスになると、ドーンとタイトル。"2001:A SPACE ODESSEY"
これだけのシーンに、たっぷり2分かける、そのスケール感にまずはドギモを抜かれました。
スタンリー・キューブリック恐るべし。
アルフレッド・ヒッチコックに参りましょう。
この映画の神様の作品の導入部は、映画オタクとしては、もうそれだけで軽く10本は語れてしまいますが、今回はその中でもお気に入りのオープニングを一本。
1954年の傑作「裏窓」です。
全編をスタジオ内に作られた巨大セットの中で撮影したのがこの作品。
この映画のオープニングは、「ワクワク」というよりも「上手い!」とおもわず膝を叩くようなオープニングでした。
自在に動くカメラは、主人公の向かいのアパートの住人たちの様子をサラリと舐めると、主人公の部屋に戻ってきます。
主人公は、ヒッチコック作品の常連ジェームズ・スチュワート。
コックリしてるその額には玉のような汗。
そして、酷暑をしめす温度計。
ここまでで、まだクーラーなどない時代で、どの部屋も窓を開けっ放しにしている真夏の話だといういうことがわかります。
これが物語の重要な伏線。
主人公は、車椅子で寝ていて足には特大のギブス。
そこには、ガールフレンドが書いたと思われるいたずら書き。「L.B.ジェフリーズ 骨折中」
そして、カメラがゆっくりパンすると、テープルの上には壊れたカメラ。
その背後にある写真は、クラッシュした瞬間のレースカー。
さらにカメラがパンすると、いろいろな事故現場の写真。
ここまでで、本作の主人公の職業は、報道カメラマンで、レースの事故現場で巻き添えを食って骨折したとわかるわけです。
そして、雑誌の表紙になっている女性のネガフィルム。
このモデルは、グレイス・ケリーではありませんが、これで彼のガールフレンドが、モデルをしているという設定の伏線になっていますね。
ここまで、セリフは一切なし。
ただ、カメラをパンしただけで、物語の基礎背景を説明してしまうというなんとも心憎い導入でした。
この後で、グレース・ケリーの登場となるわけですが、その登場の仕方もなかなか・・・
これは、是非映画を見て楽しんでください。
オーソン・ウェルズも、映画の導入部分は魅せてくれますね。
彼の代表作「市民ケーン」も、相当凝っていましたが、ここでは1958年に製作された「黒い罠」を紹介します。
映画の冒頭。
まず映し出されるのは、タイマーを4分にセットした時限爆弾。
謎の男は、これを駐車場に止めてある車のトランクに放り込みます。
何も知らずにそれに乗り込むカップル。
車が走り出すと、カメラはそのままスルスルと上がって、建物をなめながら通りに下りてきます。(ここまでで、主要キャストと映画タイトル)
そこに、先ほどの車が現れると、今度はカメラはそのまま車の進行方向に後方移動。
するとそれを横切って、腕を組んで歩いてくるのがチャールトン・へストンとジャネット・リーです。
カメラは、今度は横移動しながら、語り合いながら歩く二人を追います。
途中警官に止められていた先ほどの車が、二人を追い越し、国境の検問所では両者が並びます。
カップルの女性が、「さっきから、頭の中で時計の針の音が鳴ってるのよ」などと言っています。
アメリカ側に渡って、再び歩き出す二人。追い越していく車。
二人がキスをしようとした瞬間、追い越して行った車が轟音を上げて爆発。
映画冒頭から、きっかり4分後でしたね。この間、カメラのカット割りは一切なし。
ここで説明した全てがワンカットの長回しで撮られています。
これには、痺れましたね。
もちろん、この間に映画のクレジットが挟まれていくのですが、この緊張感にやられて一切目に入りませんでした。
次は、ミュージカルの傑作「ウエストサイド物語」。
スタジオの豪華セットで作られるのが当たり前だったミュージカルですが、本作ではカメラが街に飛び出します。
スティーヴン・スピルバーグ監督によるリメイク版も大ヒットしているようですが、未見ですので1961年のオリジナル版から。
監督は、ロバート・ワイズです。
映画の冒頭は、ハドソン川河口から望むマンハッタンの空撮から。
カメラは、ニューヨークを俯瞰していきながら、次第にウエストサイドへ。
カメラがビルの谷間の広場を捉えると、金網によりかかるようにたむろしている若者の一団。
リーダーのリフ(ラス・タンブリン)が率いるジェット団です。
彼らが指を鳴らしながら街を踊り歩くと、シャーク団のベルナルド(ジョージ・チャキリス)とバッタリ。
シャーク団が不敵な微笑を浮かべながら去っていくと、今度はベルナルドが仲間二人と共に踊り出します。
再び街中で遭遇するジェット団とシャーク団。
一発触発の緊張感が漂います。
冒頭の広場で、対峙するリフとベルナルド。
リフがベルナルドに向かってこう言います。
"Beat it "
ここまで、セリフらしいセリフは一切なし。
ミュージカル映画らしく、すべてがダンス・パフォーマンスで語られていきます。
ちなみに、マイケル・ジャクソンの「今夜はビートイット」が、ここから取られたタイトルだというのは有名な話。
「やっちまえ」みたいな暴力的な意味に取られがちですが、本来の意味は「失せろ」「逃げろ」で、まったく逆ですね。
同じロバート・ワイズ監督の傑作ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」も、冒頭は空撮から始まります。
大ヒットした「ウエストサイド物語」にならったかもしれません。
ただし、場所はガラリと変わって、まだ雪を抱いたアルプス上空からです。
雲の合間から見える厳しい岩肌。
鳥のさえずりが聞こえ出すと、眼下には森や湖が広がってきます。
やがて、カメラは人里まで下りてきて、道路や教会や家の屋根が見え始めます。
そして、小高い丘の上。
アルプスの雪山をバックに、遠くに点のように見えた人影がだんだんと近づいてきます。
本作のヒロイン、マリアです。
もちろん演じるのはジュリー・アンドリュース。
彼女が、大自然を抱きしめるように歌い出すのが「サウンド・オブ・ミュージック」
忘れられないオープニング・シーンです。
空中から彼女に一気に寄っていく胸踊るカットは、今ならドローンを使って簡単に撮れるシーンかもしれませんが、1965年当時はまだヘリコプター撮影。
いろいろと大変だったようです。
スティーブン・スピルバーグ監督の作品からは、やはり「ジョーズ」ですね。
サメをなかなか登場させない巧みな演出で、恐怖を盛り上げた恐怖映画の傑作です。
やはり、モンスター・ホラーにおいてもオープニングの「つかみ」は重要です。
後半の「たたみかけ」まで観客をひっぱるには、如何に冒頭における「見せすぎない」程度の演出で、恐怖を煽っておけるか。
その点で「ジョーズ」のファースト・アタックは完璧でした。
夜の海辺でキャンプする若者グループ。
突然海に向かって走り出すクリシーと、それを追う男。
彼女は全裸になって海に飛び込むと、海底から彼女を見上げる不穏な視線。
酔っ払った男が浜辺でダウンしていると、突然彼女は、何者かに海面を引きずり回されます。
彼女の悲鳴は男には届きません。
そして、ついに海に引き込まれるクリシー。
ここまでを、スピルバーグ監督はモンスターを一切見せずに、その「視線」だけで、「存在」を表現します。
同じようなシーンは、1954年の「大アマゾンの半魚人」にも出てきます。
しかし映画オタクのスピルバーグ監督は、これをしっかり学習した上で、さらにエモージョナルなビジュアルに昇華させています。
最初の犠牲者クリシーを演じたのは、スーザン・バックリニーという女優ですが、ポスターや宣伝ではこの冒頭シーンが頻繁に登場。
映画を見るまでは、この人が主演だと思っていましたね。
それくらい有名すぎるオープニング・シーンでした。
もちろん、ジョン・ウィリアムスによるメイン・タイトルも大貢献していることは、いうまでもありません。
スピルバーグ監督からはもう一本。
1998年に作られた「プライベート・ライアン」です。
この映画の冒頭22分間は、ノルマンディ上陸の様子を、克明に描いています。
戦争映画の戦闘シーンは、これまでも多く見てきましたが、この映画のそれは、それまで見てきたものとは、明らかに一線を画すものでした。
まるで、実際の戦場を擬似体験させられているような圧倒的な臨場感。
画面の隅から隅まで一瞬も目を離せません。まるでドキュメンタリーを見ているようなリアリズム。
これは圧巻でした。
さすがスピルバーグ。
次々とライフルで撃ち抜かれていく兵士たち。
海中を、兵士の耳元をかすめていく白い弾道。
地雷で片足を吹き飛ばされる兵士。
火に包まれて歩き回る兵士。
吹き飛ばされた自分の手を掴んで走って行く兵士。
そんな地獄絵図を目の当たりにしながら、前進するミラー大尉(トム・ハンクス)。
そんな彼に、与えられたミッションとは・・
西部劇からも一本。
ハワード・ホークスの傑作「リオ・ブラボー」
主演は、もちろん西部劇の顔ともいえる大御所ジョン・ウェイン。
このオープニングも、その鮮やかな語り口で、鮮烈に印象に残っています。
タイトル後、酒場の入り口からそうっと入ってくるのは、アル中の副保安官デュード(ディー・マーチン)。
彼は酒は飲みたいけれど、金は持っていません。
ここに来れば、誰かから恵んでもらえるかもしれないと当て込んでいるダメ男。
デュードに気がついたジョーは、ニヤニヤと笑いながら、コインを痰壺に投げ込みます。
しゃがんだデュードが、その痰壺に手を入れようとすると保安官チャンス(ジョン・ウエイン)が、それを蹴飛ばします。
チャンスがジョーに何か言おうとすると、手にした棍棒で背後から殴りかかるデュード。
ジョーにも殴りかかろうとしますが、取り押さえられてしまいます。
デュードに、お見舞いのパンチを食らわすジョー。
しかし、それを止めようとした男を、ジョーは躊躇なく射殺してしまいます。
不敵な微笑を浮かべて、店を出て行くジョー。
隣の店で飲み直していると、デュードに殴られたチャンスが、ライフルを片手に現れます。
そして、ここでやっと本作最初のセリフ。
「ジョー、逮捕する。」
ジョーの仲間と一緒にやってきたデュードが、背後から拳銃を奪いチャンスに加勢。
ジョーを殴り倒したチャンスは、倒れたジョーを、デュードと一緒に店の外に連れ出します。
映画は、この後、ジョー一味と、チャンス率いるポンコツ保安官チームとの決闘になっていくわけです。
オープニングの「語り口」としては申し分なし。
大ヒットした「真昼の決闘」のアンチテーゼとして作られたという本作。
西部劇は、痛快な娯楽作でなければいけないというジョン・ウェインとホークス監督のポリシーが貫かれた作品ですね。
もちろん「真昼の決闘」は好きな西部劇ですが、こちらもこちらでやはり面白い。
クウェンティン・タランティーノ監督の長編デビュー作「レザボア・ドックス」のオープニングは独特でした。
黒服黒ネクタイの男たちが、レストランで朝食のテーブルを囲んでいます。
お互いを、「ピンク」「ブラウン」「ホワイト」などと色の名前で呼び合う怪しき連中。
品性のない、ほとんど意味のないような与太話を適当に投げ合っています。
これが延々と続いた後、男たちは揃って店を出ます。
地元DJが紹介するのは、1969年の懐メロ、ザ・ジョージ・ベイカー・セレクション の「Little Green Bag」
並んで歩く男たちのスローモーション。
そして、キャスト一人一人の紹介。
言葉にするとこれだけのオーブニングなのですが、これがなんともゾワーッとカッコイイんですね。
まったく新感覚の映画監督の登場だと思ったものです。
音楽も完全に監督の個人的趣味。
タランティーノ監督は、当時28歳。
本作の二年後に作られる彼の代表作「パルプ・フィクション」のオープニングもレストランでの朝食。
同じようにとりとめもない会話から始まっていましたが、こちらはカップルでした。
さて、朝食というとこちら。
1962年の「ティファニーで朝食を」ですね。
主演はもちろんオードリー・ヘップバーン。多くの傑作に出演してきた銀幕の恋人です。
この映画のオープニングも有名なシーンです。
タイトルからの印象で、映画を見るまでは、「ティファニー」は有名なレストランだとばかり思っていました。
もちろん、それは間違いで、正解は実在する高級宝石店。
人影のない早朝のニューヨーク五番街。
一台のタクシーが、ティファニーの前に止まります。
出てきたのは、漆黒のロングトレスを纏ったホリー・ゴライトリー。
黒を引き立てる五連のパールとダイヤモンドのネックレス。そしてティアラ。
ヘップバーンの衣装を担当したのは、彼女の盟友ユベール・ド・ジパンシーです。
彼女は、ショー・ウインドウの宝石を眺めながら、デニッシュを齧り、紙コップのコーヒーをすすります。
この高級感と安価な朝食の組み合わせに、なぜか胸キュン。
バックに流れるのは、ヘンリー・マンシーニの「ムーン・リバー」です。
トルーマン・カポーティの原作では、ヒロインのホリーはかなり怪しいキャラクターとして描かれています。
しかし、これもオードリーが演じればたちまち魅力的なキャラに大変身。
というか、脚本がそう書き直されているのでしょう。
このオープニング・シーンで、彼女が来たドレスは、後にオークションで9200万円の値がついて売れたそうです。
オードリー・ヘップバーン恐るべし。
アメリカン・ニュー・シネマからも一本。
マイク・ニコルズ監督の「卒業」ですね。
中学生の多感だった頃に見た映画でしたので、思い入れも深く、これまでも繰り返し見てきた映画です。
主演は、ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロス。
あまりにも有名すぎるのはラストの花嫁強奪シーン。
このために、本作は、ラブロマンス映画のくくりで語られることが多いのですが、実際は当時のハリウッドのタブーに果敢に挑んだ先進的な作品でした。
「不倫」や「セックス」は、今はもう映画の題材として当たり前すぎますが、60年代前半までのハリウッドでは、ヘイズコードという映画界の自主規制に縛られて描ける題材ではありませんでした。
米国東部の有名大学を卒業して、カリフォルニアにある実家に戻ってくるベンジャミン。
そのパーティで、ミセス・ロビンソンに誘惑され情事に溺れていくベンジャミン。
しかし、彼女の娘エレンに恋したことで・・・
映画には、脳裏に刻まれた印象的なシーンがいくつも登場するのですが、そのバックに流れているのはサイモンとガーファンクルの名曲の数々。
もちろん、この映画を見て以来、彼らのファンになってしまったのはいうまでもありません。
この映画のオープニングは、空港に到着して、オートウォークで移動するベンジャミンの横顔を延々と追います。
それは決して晴れやかなものではなく、どこか虚ろで不安げ。
バックに流れるのは「サウンド・オブ・サイレンス」です。
以来、この曲を聴くたび(あるいは歌うたび)に、このオープニング・シーンが自然に浮かんでくるようになってしまいました。
実際のところ、マイク・ニコルズ監督が、本作のためにポール・サイモンに依頼した楽曲は「ミセス・ロビンソン」だったそうです。
しかし、その曲がなかなか出来上がって来ないので、仕方なく彼らの旧作の中から選んでこのシーンに、仮に当てていたのが「サウンド・オブ・サイレンス」。
これがあまりにジャストフィットしていたので、こちらが本作の主題歌として正式に採用され、後から出来てきた「ミセス・ロビンソン」は、挿入歌になってしまったそうです。
後に正式録音された「ミセス・ロビンソン」は、ビートルズの「ヘイ・ジュード」を抑えて、1967年のグラミー賞に輝きましたね。
最近の映画からも一本。
クリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」ですね。
バットマン・シリーズのスーパー・ヴィランであるジョーカーを主役にしたスピンオフ映画。
しかし、完全に本家を超えてしまいましたね。
バックを担いで、銀行に向かう怪しげな男。その手には、怪しげなマスク。
この映画の冒頭は、ジョーカー一味による銀行強盗シーンです。
計画は綿密に立てられていますが、その役割分担を果たしたところで、お役御免になった仲間は次々と撃ち殺されていきます。
これもすべてジョーカーの指示。
ブチ切れた銀行の職員が、ショットガンをぶっ放して反撃してきますが、弾切れになったところであえなく返り討ち。
玄関をぶち破って飛び込んできたバスに、大金を詰め込んだバックを放り込むと、そのバス・ドライバーも射殺。
まだ息のあった銀行職員の口に手榴弾を咥えさせ、最後に残ったその男がそのマスクを取ると、厚化粧のジョーカーが嬉々として笑っています。
バスが銀行から出ると、男の咥えていた手榴弾の安全ピンが落ち・・
もうこの冒頭だけで、あまりに常軌を逸したジョーカーの知的な残虐非道ぶりが、余すところなく語られるわけです。
本ブログを書きながらも、秀逸なオープニング・シーンの映画はどんどんと浮かんできますね。
思い出せただけで、嬉しくなってしまいました。
キリがないので、今回はここまで
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