スタンリー・キューブリックが、斬新な演出で、現金強奪の顛末を描いた「現金に体を張れ」は1956年。
フランク・シナトラが、ラットパックの仲間たちと「オーシャンと11人の仲間」を作ったのが1960年。
フランスで、ジャン・ギャバンとアラン・ドロンの共演したがフィルム・ノワール「地下室のメロディ」が1963年。
メリナ・メルクーリが、強盗団の女ボスを務めた「トプカピ」が1964年。
イタリアで、ロッサナ・ポデスタが怪しい魅力を振り撒いたエンタメ強盗映画「黄金の七人」が作られたのが、1965年。
ちょっと時代が飛んで、クウェンティン・タランティーノが、スタイリッシュに集団強奪映画「レザボア・ドッグス」を撮って名をあげたのが1994年。
そして、21世紀になると、「オーシャンと11人の仲間」を、ジョージ・クルーニー主演でリメイクした「オーシャンズ・イレブン」が2001年からシリーズ化されました。
ズラリと挙げた映画は、全てケーパー・ムービーと言われるジャンルの映画。
まだまだ、上げればきりがないでしょうが、僕が見ている有名どころはこんなところです。
ケーパー・ムービーとは、強盗を題材にした映画のジャンルです。
プロの犯罪者たちが緻密な計画を立てて、難攻不落の目標を盗む様子が描かれます。
そのスリリングな展開が、実に映画的で、とりあえず倫理観には目を瞑って、エンターテイメントとして楽しめるジャンルの映画として認知されてきました。
そして、その原点とも言うべき作品が本作「アスファルト・ジャングル」というわけです。
実は恥ずかしながら、これをまだ見ておりませんでした。
しかし、映画史に残る古典的名作ではありますし、衛星放送の録画DVDは、かなり昔からゲットしてありました。
監督はジョン・ヒューストン。1950年の作品です。
と言うわけで、今回は、映画そのものを楽しむと言うよりは、映画史の教科書を読むつもりで、この映画が、その後のケーパームービーに、どのような影響を与えたのかというあたりを、映画マニアなら必須のリテラシーとして獲得すべく、色々とチェックしてみようと思った次第。
これもクラシック映画を見る楽しみ方の一つですね。
実際、過去の映画の中に、今作られている映画のルーツなどが発見できると、オールド映画ファンとしてはなんだか嬉しくなってしまうもの。
温故知新とは言いますが、古い映画の中にこそ、現代に通じる普遍の映画セオリーが息づいているもの。
これをパクリだとか言ってしまっては、元もこもありません。
フランスのルミエール兄弟が映画という娯楽を世に送り出して以来、星の数ほどの映画が作られてきました。
傑作と言われる映画が、新しい世代の映画の作り手のお手本になると言うのは、至極真っ当な話です。
もちろん、過去の誰もやらない新しい分野を切り開いてできるという傑作もありますが、人類が文明を継承してき現代の社会を築いてきたように、そのスキルや手法を、新しい切り口で再構築して伝えることも、立派にクリエイティブだと思います。
過去作品への敬意を込めて、そのアイデアを新しい作品として、今の人たちに伝えると言うのも映画という文化にとっては大切なことだと思います。
閑話休題。
さてまず、この映画が斬新だったのは、集団群像劇であるにもかかわらず、スター俳優が一切出演していないということですね。
一つの決められた空間で、様々な登場人物のストーリーが、横一線で走るというドラマ・スタイルを、1932年の大ヒット映画に因んで「グランド・ホテル」形式といいます。
スター・システム全盛のハリウッドで、すでに名監督の地位を獲得していたジョン・ヒューストンは、スター俳優を本作にキャスティングすることも出来たはずですが、本作においてあえてそれをしなかったのには、彼なりの計算があったと思います。
実は、スター俳優が登場しない映画には、華がなくなる代わりに、得られるものがあります。
それが何かといえば、リアリティです。
さて、このポスターを見てください。
実は本作には、後にハリウッドのセックス・シンボルとなった有名な女優が出演しています。
あのマリリン・モンローです。
映画ファンなら、誰もが知っている大スターですね。
このポスターを見る限り、本作の主演女優は、いかにもマリリン・モンローだと言わんばかりですが、本作での彼女は、出番も少ないチョイ役です。
悪徳弁護士の愛人を演じました。
日本では、彼女が大女優になってから、この映画が公開されたのでしょう。
確かに、こうしておけば、モンロー・ファンは、「勘違い」して、この映画を見に行ってしまうかもしれません。
しかし、モンローの成功は、あくまで結果論であって、企画段階では、これは、間違いなく計算に入っていません。
この映画におけるモンローは、ある意味では、役得でした。
本作で彼女よりも、ビリングが上の女優は、ジーン・ヘイゲン。
強盗の一人に思いを寄せる安酒場の女を演じていますが、登場シーンから、つけまつ毛が取れかかっているようなボロボロのメイクでした。
登場人物の誰一人として幸せになれない、暗澹たる人生模様をリアルに描きたかったジョン・ヒューストン監督は、このあたりに全く容赦しません。
この女優を、美しく、魅力的に撮ろうと言う気が全くありません。
もちろん、彼女は監督の要望に応える素晴らしい演技をしているのですが、そのジーン・ヘイゲンとの対比で、まだ初々しさの残るマリリン・モンローは、この映画では、とても魅力的でした。
孫ほどの年齢差のある弁護士に、見てはいけない夢を見させる愛人役としては、チョイ約ながらも、充分すぎるオーラを放っていました。
モンローは、本作で注目されるようになり、二年後の「ナイヤガラ」で、自ら考案したモンロー・ウォークを武器に、スターダムにのし上がっていったわけです。
彼女のドキュメントはたくさん見ましたが、この時期には、プライベートでも、年齢差のある映画関係者と愛人関係になって、映画の役をゲットしていたと言いますから、本作を見ていると、その辺りの背景もダブりますね。
しかし、忘れてならないのは、本作公開の時点では、マリリン・モンローはまだ無名の女優だつたと言うこと。
彼女が後に有名になりすぎて、本作はどうしても彼女の魅力に引っ張られそうになってしまいますが、本作の価値を正当に図ろうと思うなら、そこは引き算して考えないと、ジョン・ヒューストンの演出意図は伝わってきません。
本作でクレジットのビリングがトップだったのは、スターリング・ヘイドン。
この人は、同じケーパー・ムービーへの傑作「現金に体を張れ」でも、主役を演じています。
おそらく、スタンリー・キューブリックが、この映画の彼を念頭に置いてのキャスティングだったと思います。
この人は、同じキューブリック作品「博士の異常な愛情」での、インポテンツの空軍准将のクレイジーな役が強烈ですが、個人的には、「ゴッドファーザー」で、アル・パシーノに、レストランで喉元を撃ち抜かれる悪徳警官役が印象的。
僕の知る限り、主役クラスの配役であっても、あまりまともな役はやらせてもらえなかった「挫折」俳優のイメージがある人です。
宝石店強盗の計画を立てた知能犯ドクにサム・ジャッフェ。
運転手役ガスに、ジェイムズ・ホイットモア。
資金提供の悪徳弁護士にルイス・カルハーン。
どちらも、失礼ながらこの映画以外では見かけたことのない俳優ばかり。
本作では強奪に協力するメンバーは、誰もが脛に傷持つ身で、最終的には誰も報われないと言う展開になります。
これは、当時のアメリカ映画界を縛っていた「ヘイズコード」の影響があったと思います。
とにかく、犯罪者が主人公で、それがヒーローになる映画などは、当時の倫理規定では作れなかったわけです。
しかし本作では、それを逆手にとっています。
到底ヒーローになどはなれない、社会の底辺の男たちの一人一人にスポットを当て、その悲惨な末路を丁寧に描くことに徹底したわけです。
ですから、本作には、後のケイパー・ムービーに見られる、強奪成功に至るまでの、ハラハラドキドキやカタルシスは、ほぼ皆無。強盗シーンなどは、実に地味なものです。
その意味では、ケーパームービーの出発点は、極めて地味で、倫理的な作品がスタートだったと言うのは特筆すべきところ。
それが、集団強盗をまるでスポーツのように爽快に描くようになるまでには、少なくともヘイズコードの撤廃は待たなければならなかったと言うことでしょう。
犯罪をエンタメ化した悪人が主役になる映画のことをピカレスクものと言いますが、明確にこう言うスタイルの映画が登場したのも、やはりヘイズコードが撤廃された60年代後半以降。
「華麗なる賭け」のスティーヴ・マックイーンも、「ボルサリーノ」のアラン•ドロンも、「ゴッドファザー」のアル・パチーノも、我が国の誇るアニメのヒーロー「ルパン三世」も、まだ本作公開当時の世の中の空気の中では、相当に顰蹙ものだったと言うことでしょう。
キューブリックの「現金に体を張れ」や、シナトラの「オーシャンと11人の仲間」も、テイストは、本作とはかなり違ってきてはいますが、最終的に強奪には成功していません。
それからもう一つ。
宝石店強盗というプロジェクトに向けて、リーダーが仕事に必要な仲間を一人ずつ集めてチームを作り、そのチームワークで大きな仕事を達成するというスタイルで、「もしや」と思った映画があります。
それは、黒澤明監督の大傑作「七人の侍」です。
もちろん、「七人の侍」をケーパー・ムービーとは言いませんが、その構成にはかなり共通する部分があ流と思いましたね。
この映画が作られたのは、1954年。
黒澤明が、「生きる」を撮り終えて、次回作「七人の侍」の構想を練っていた頃なので、タイミングとしては、ドンピシャリですね。
Wiki してみると「アスファルト・ジャングル」の日本公開は、1954年になっていましたが、アメリカ映画を大量に見ていた黒澤明の耳に、この映画のプロットが届いていた可能性は充分にありそうです。
「七人の侍」は、ハリウッドが映画化権を取得して、後に「荒野の七人」に翻案されたと言うのは有名な話です。
でも、その本家本元も、実はクラシックのハリウッド映画から、アイデアの一部をもらっていたということになれば、なんだかニンマリ。
そして、そのジョン・ヒューストン監督も、「グランド・ホテル」みたいな映画を、スターなしで作ってみたいという発想でこの作品にトライしたのだとしたら、映画作りの様々なDNAは、国境も時代も超え、様々な映画に姿を変えて、映画ファンの感性を刺激し続け、またどこかで新しいDNAに進化すると言うことを継続しているわけです。
映画というエンターテイメントを鑑賞して、ただ「面白かった」だけで通り過ぎてしまうのでは、あまりに勿体ない気がします。
コメント