本作の原作は、林芙美子による未完の長編小説で、1951年に朝日新聞で連載されました。
物語は大阪を舞台に、ごく平凡なサラリーマン夫婦の日常を描いています。
しかし、林芙美子の急死により、連載は97回で終了。
150回を予定していたとのことですので、結果3分の2が書き上げられた段階で、未完の絶筆となってしまいました。
そして、本作はその年に、映画オリジナルのラストを追加して、成瀬巳喜男監督によって、映画化されています。
原作者の林芙美子がどのようなラストをイメージしていたかは、もはや知る由もありませんが、東宝側からは、離婚という結論では困るという要望があり、本作では、妻が夫のもとに戻るという終り方になっています。
成瀬監督も、基本が職人肌の監督なので、自分の構想がどうであろうと、会社側からの要求があれば、文句を言わず、それには従ったと思われます。
脚色を担当したのは、成瀬とは名コンビとなる井出俊郎、そして田中澄子です。
個人的な感想を申せば、彼の代表作になった、「浮雲」で、あれだけ救いのないラストを、淡々と描いた成瀬監督ですから、会社からの要求がなければ、本作も同様にハッピーエンドにはしなかったような気もします。
最近では、原作者とそれを映像化するメディアの間でのトラブルが社会問題にまで発展しているケースもあるようですが、本作に関しては、熱心な一部のファン以外には、このラストは受け入れられたと言って良いでしょう。
この年のキネマ旬報の年間ランキングでは、堂々の第2位でした。
主演の原節子は、この時31歳。
小津安二郎の「晩春」「麦秋」で、笠智衆の娘を演じて「永遠の処女」のイメージが定着していた頃です。
彼女が演じたのは、岡本三千代。
東京で恋愛結婚の末、周囲の反対を押し切って結ばれた夫・初之輔と大阪に移り住んでいます。
しかし結婚5年目が経過し、夫婦は倦怠期に突入。
亭主を演じるのは、上原謙です。(加山雄三の実父)
恋愛結婚で結ばれた2人でしたが、好いた惚れたの時期はとうに過ぎ、主婦として、何の変化もない日常に、次第に焦燥感を募らせる三千代。
映画には、要所要所で、三千代のモノローグが入るのですが、冒頭ではこんな台詞がありました。
「女の命は、やがてそこに虚しく老い朽ちての行くのだろうか」
これは、作家林芙美子の作品に通底するテーマのようで、彼女は色紙などに好んでこんな短詩を書いていました。
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」
しかし、当時としては高身長(原節子は身長165cm)の天下の美女が、その容姿だけで、暮らしにくたびた人妻という絵面には、残念ながらなりません。
その他の登場人物が、しっかりと大阪郊外の長屋に馴染んでいる分、この絶世の美女はどうしても浮いている感は否めないというのはやむなしかもしれません。
それくらい原節子は美しいということです。
しかし、映画くらいしか娯楽がなかった時代、日常では到底お目にかかれない美しい女優を映画館に見に来る観客がいる以上、容姿のリアリティーには目をつぶるしかないでしょう。
それでも、倦怠期を迎えた妻の所帯やつれを、原節子は役者としては上手に表現していたと思います。
美人女優と名声が高まってしまうと、なかなか演技力の評価はされなくなってしまうもの。
しかし、小津安二郎監督は、彼女の演技力を高く評価しています。
それは、共演することの多かった笠智衆も証言していますね。
小津監督の演出によって演技開眼をした原節子ですが、本作では、小津作品では見せなかった新たな一面を披露し、演技者として、間違いなくその幅を広げたといっていいかもしれません。
もちろん、女優原節子の新しい顔を引き出したのは、成瀬巳喜男監督の手腕です。
原節子にしてみれば、「倦怠期の生活に疲れた妻」は、まさに新境地。
30歳を超えた彼女が、本作によって女優としての演技の幅を上手に広げたという気がします。
成瀬監督は、後に松竹社長となる蒲田撮影所の城戸四郎所長に、「小津は二人いらない」と言われたという話が残っています。
ところが、当の小津監督自身は、成瀬が監督した『浮雲』を見てこう言っています。
「俺にはできないシャシンだ」
黒澤明も自伝「蝦蟇の油」の中で、自身が助監督についた『雪崩』の撮影での成瀬について、その仕事振りを振り返り「映画のエキスパート」「その腕前の確かな事は、比類がない」と評しています。
黒澤のスクリプターとして多くの黒澤作品に参加している野上照代は「黒澤さんが一番尊敬してたのは間違いなく成瀬さん」と自著に書いていますね。
成瀬は、戦前のサイレント映画時代から活躍していた監督ですが、終戦後からしばらくは、作品の質も、興行成績においても低迷していた時期がありました。
しかし、本作はこんな地味な内容にもかかわらず、ひさしぶりの大ヒットを記録し、成瀬復活をアピールした作品になっています。
本作の出来に手ごたえを感じた彼は、こういっていますね。
「もう動かない。」
これは、もう自分の作風を変えるつもりはないという、彼の映画監督としての宣言だったと言えます。
以来彼は、文芸作品を中心に、市井の人々の厳しい現実を、リアルに淡々と描いていくという作風を貫き通します。
成瀬ならではの作家性が発揮された独特な世界が構築されていくことになります。
「貧乏くさい」「辛気臭い」「やるせない」「身も蓋もない」「盛り上がりがない」
成瀬監督は、そんな救いのない庶民世界をリアルに描くことで、周囲からは「ヤルセナキオ」などと言われてしまいます。
しかし、監督デビュー当時は、コメディー映画にその才能を発揮していた彼は、ユーモアも忘れません。
自慢のウイングチップの高級靴を盗まれた初之輔が履いているボロ靴のドアップや、コメディ・リリーフ大泉崑のベタなギャグには、その片鱗が見られます。
地味な素材を活かしながら、庶民の暮らしを淡々とスケッチし、派手なストーリー展開もなしに、なおかつそれを極上のエンターテイメントに昇華させていく手腕こそ成瀬映画の真骨頂と言っていいでしょう。
本作以降、溝口健二、黒澤明、小津安二郎に続く「日本映画第4の男」としての、成瀬の評価は海外でも高まっていくことになります。
さて、話を映画に戻しましょう。
倦怠期を迎えた初之輔、三千代夫婦の元に、東京から家出をしてきた初之輔の姪っ子・里子が転がり込んできます。演じるのは島崎雪子。
なに悪びれることなく初之輔に甘える里子に、三千代は次第に苛立ってきます。
日頃のストレスもあり、やがて三千代は夫に対して反乱を起こします。
里子を東京まで送るという口実で、三千代は大阪に初之輔を一人残し、東京の実家へと戻ってしまうという展開。
東京の実家にいるのは、母と妹夫婦です。
実家は洋品店を営んでいます。
母親役は、杉村春子。妹を演じるのは、成瀬作品常連の杉葉子。
そして、その亭主を演じるのは小林桂樹です。
やはり、上手いなあと思うのは、杉村春子ですね。
個人的には、小津作品を通じて、演技をしながらの彼女の所作のリアリティに感服していたので、本作においてもやはり注目点はそこでした。
なかなか帰りたがらない娘を窘めるシーンが良かったですね。
三千代が脱ぎ散らかしたままの着物をたたみながらのシーンなのですが、まあまあ、その所作の見事なことよ。
演技をしながらの、家庭の主婦としてはあたりまえの所作が実に自然でリアルなんですね。
ぜひチェックしてください。
しかし、初之輔の元へ帰るつもりのない三千代は、東京で仕事を探そうとします。
そんなところへ、東京で仕事があったという初之輔が、三千代を迎えに来るという展開。
それを知った三千代は、祭りの雑踏へ逃げ出しますが、そこで風呂帰りの初之輔とバッタリ。
多少の不安は抱きつつも、初之輔は、三千代に対し、いつもと同じようにしか振舞えません。
しかし、喫茶店で自分に会えた安堵感から美味しそうにビールを飲む初之輔を見て、三千代は決心します。
この人と一緒に大阪に戻ろう。自分の幸せはこの人と寄り添って行く先にある。
例えば、この素材を、増村保造が若尾文子主演で大映テイストで撮ったとしたら、ドロドロの愛憎劇になっていたかもしれません。
同じように、山田洋次が倍賞千恵子主演で、松竹テイストで撮ったたとしたら、コテコテの人情喜劇になっていたかもしれません。
しかし、そのどちらにもならないところに、確実に成瀬巳喜男の世界があります。
一歩間違えば修羅場になりかねないようなシチュエーションが多くありながらも、決してそうならない展開は、上原謙と原節子の演技が醸し出す絶妙な空気感と、キャラクターの善良性、そして清潔感に依るところが大きい気がします。
成瀬監督は、現場においても、感情的になる事は一切なく、声を荒らげることもなかったと言う証言は多いようですので、それも含めて、彼の人間性は、作品にも大きな影響を与えていると言ってもいいでしょう。
この作品において、映画監督としての自信を取り戻した成瀬は、この後、林芙美子の小説『稲妻』『妻』『晩菊』『浮雲』『放浪記』を原作にした映画作品を次々と発表していきます。
川端康成原作としては『舞姫』『山の音』。
室生犀星原作ものとしては『あにいもうと』『杏っ子』といった純文学作品を、彼は好んで映画化していきました。
丁寧に日常を積み重ねていく成瀬の映像手法が、純文学のテイストと相性が良かったと言うことは言えるかもしれません。
さて、古い日本映画を見る時の楽しみ方は、当時の風俗をチェックできることです。
1951年は、もちろん僕はまだ生まれていません。
しかし、父がまだ独身だった頃、家族で住んでいた当時の写真が、多く残っていて、それがちょうどこの時代なんですね。そのイメージは刷り込まれています。
新しもの好きな父は、当時としては、高価だったライカのカメラを買って、写真を撮りまくっていたようです。(ちなみに父は、初之輔が履いていたウイングチップの靴も持っていました)
その写真の静止画が、動き出すと言う楽しみが、古い時代の映画にはあります。
昭和の歴史は、映画から学ぶのが1番です。
夫婦の住む長屋には、玄関から入るとすくに土間があり、炊事場があります。
そして、お茶の間は、そこから履き物を脱いで1段上にあると言う建て付けですね。
我が家の写真から推察する限り、父親家族が住んでいた家もほぼそのような作りになっていました。
行商のおばさんが、土間まで入ってきて、商売をするシーンがありましたが、おそらくあんな光景も日常的にあったと思われます。
「めし」というタイトルですので、映画には、三千代が米をといだり、炊いているシーンが何度か登場しますが、炊飯には普通の鍋を使っていましたね。
もちろん、今のように自動炊飯器などない時代です。
当時はどの家庭にも鉄製のお釜があって、それを使って炊いている認識でしたので、鍋と言うのはちょっとビックリしました。
夕食シーンでは、その鍋がそのままお櫃にもなっていました。
夫婦2人暮らしの食卓のリアリティなのかもしれません。
家出していた里子の実家の軒先には、ヘチマがぶら下がっていましたが、僕の子供の頃でも、確かにあんな家はありました。
初之輔が、腕時計を見ながら、柱時計が止まっているのを指摘するシーンがあります。
これは当時の我が家でもちょくちょくありました。
時計のゼンマイを巻く係の僕が、ちょくちょくとサボっていたせいです。
当時を思い出して思わずニンマリ。
三千代が、夫に手紙を書くシーンでは、ペン先をインクポットに付けて書いていましたが、これもギリギリ経験があります。
僕の子供の頃は、すでにシャープペンが出始めていた頃でしたが、我が実家では文房具も売っていましたので、インクポットやペンは、まだ生活の中に当たり前にありました。
その他、近くの商店街を歩けば、当たり前にちんどん屋には出会いましたし、前がボンネット式になったバスも街中では見られました。
映画の中で、当時の市井の暮らしをチェックするのも、なかなか楽しいものです。
そういえば、進藤英太郎が初之輔の叔父の役で出演していましたが、なんとノンクレジット。
この当時の名脇役です。
台詞もちゃんともある役だったので、これはちょっと気になりましたね。
映画は、ヒロインが夫に書いた手紙を破り捨てて、列車の窓から捨てるというシーンで終わりますが、今時はさすがにこれはどんな田舎のローカル電車でやったとしても、顰蹙ものです。
松竹の「砂の器」にも、同じようなシーンがありましたが、あれは1974年の映画でした。
東宝の映画らしく、本作はハッピーエンドで終わりますが、原作者の林芙美子の作風を考えると、彼女がラストをそう描いたかどうかはかなり怪しいと思っています。
もしもこの夫婦が別れると言うラストになっていたとしたら、成瀬巳喜男がどんなラストを演出していたかは興味のあるところです。
案外、「浮雲」を越える傑作になっていたかもしれません。
「めし」というタイトルは、もしかしたら、「冷やめし」だったかも。
.
コメント