さて、今回はまだWiki にそれほどデータが出そろっていない若手推理作家の、最新作をチョイスしました。
著者の白井智之氏は、1990年生まれといいますから、今年34歳の若手作家。
もちろん本書を手にするまでは、存じ上げない作家でした。
デビューが2014年で、処女長編が「人間の顔は食べづらい」。
その後に続く作品が、「東京結合人間」「おやすみ人面瘡」。
すべて未読ですので、あくまで印象ですが、ミステリーというよりは、ホラーに軸足を置いてきた作家かと想像する次第。
グロテスク描写を前面に押し出して、自分の作風にしていらっしゃる作者かなとお見受けいたします。
しかし、なんだかんだ言っても、この路線には一定数のコアなファンがいることは事実。
作者としてはB級ホラー作家といわれることなど当に織り込み済みかもしれません。
いえいえ。決してそれをディスっているわけではありません。
誤解のなきよう。
小説も映画も同様、需要があれば供給があるのは当然の話。
それがエンターテイメントとして成立している以上、モラルがどうのと偉そうなことを言うつもりは毛頭ありません。
楽しむほうは、それを承知でお金を払っているわけですから。(ちなみに本書は図書館で借りました)
嫌いならば、読まなければいいだけの話です。
しかしB級テイストを侮ることなかれ。
本書のタイトルともなっている「名探偵のいけにえ」が、1974年のトビー・フーバー監督によるスプラッター・ホラーの金字塔「悪魔のいけにえ」をオマージュしていることは明白。
さらに白井氏の前作のタイトルが「名探偵のはらわた」ときますから、こちらも1981年のサム・ライミ監督の快作「死霊のはらわた」への氏なりのリスペクトが込められていることは間違いのないところ。
両作品とも、僕が学生時代に見て、おおいに楽しませてもらった映画ですので、本書のこのタイトルにはおもわずニンマリ。
嬉しくなってしまいました。
というわけで、本書の著者白井氏が、このテイストにこだわるのはあきらかに確信犯と想像します。
さらにいえば、両作品の両監督とも、これをきっかけにこの分野での押しも押されぬ大監督になっていった経緯は、映画マニアなら誰もが共有している周知の事実。
この若きミステリー作家も、いずれ綾辻行人や有栖川有栖のようなミステリー界の大御所になってゆくのかもしれません。
著者は本文中で、「げぼ」(嘔吐物)とか、「ぬちゃり」「くちゃり」といった生理的嫌悪感を刺戟する表現を意図的に使用してきます。
文章を映像変換しながら読む習慣があるので、これは正直眉間にしわを寄せてしまうのですが、おそらく著者は、虫も殺さないような顔をした読者の中には、この手の表現に眉一つ動かさないで楽しめる人がいることを経験的に知っているのでしょう。(意外と女性に多い)
白井氏は、本作を読んだ限りでは、エンターテイメントに徹しています。
B級、露悪、グロテスク上等。
少なくとも現時点での作者は、直木賞も芥川賞も取る気はないと思われます。(この先は分かりませんが)
さて、本作をB級テイスト満載といってしまいましたが、決して作品そのものをB級とはいっていません。
本作は、紛れもない堂々たる本格ミステリーです。
構成もしっかりしていますし、ロジックも綿密に練られています。
本作をミステリーのジャンルで分ければ、特殊設定ミステリー、そして多重解決ミステリーということになります。
まず、特殊設定ミステリーですが、このジャンルは近年になって増えてきたなという印象です。
「特殊設定」として、作者が用意したのは、1978年にアメリカで実際に起こった人民寺院事件をベースにした設定です。
まだ日本にオウム真理教が登場するよりも前の事件でしたが、カルト宗教という存在を我々が認識させられた事件でした。
概要は以下の通り。
アメリカ合衆国のカルト集団「人民寺院」の信者909人が、教祖ジム・ジョーンズの指示により、ガイアナのジョーンズタウンにて集団自殺を遂げた事件。
人民寺院は、1955年にジム・ジョーンズによって設立されたキリスト教系の新興宗教団体。
当初は人種差別や貧困に対する活動で高い評価を得ていましたが、次第にジョーンズによる独裁的な支配が強まり、カルト化していく。
1970年代に入ると、ジョーンズは信者をガイアナのジョーンズタウンに移住させ、外部からの隔離を深める。
そして、1978年11月17日、アメリカ合衆国下院議員レオ・ライアンらによるジョーンズタウン視察団が銃撃を受け、死者5名を出したことをきっかけに、集団自殺へと至る。
人民寺院事件は、カルト宗教の危険性を世界に知らしめることとなり、この事件をきっかけに、アメリカ合衆国ではカルト宗教対策が強化されることになります。
白井氏は、この事件をかなり綿密に調べた上で、虚実を巧みに織り交ぜて、この中で起こる殺人事件のプロットを組み立てています。
ガイアナの鬱葱としたジャングルを切り開いて作ったジョーデン・タウンは、外界と遮断されているという意味では、完全なクローズド・サークル。
そして信者たちは、教祖ジム・ジョーデンのマインド・コントロール下で、全員が集団妄想状態にあるという、かなり非日常的な空間です。
この特殊な状況の中で、日本人の探偵が、事件に巻き込まれ、それを推理していくというのが本作の基本的ストーリー。
個人的な見解ですが、これからのミステリーは、こういったエッジの効いた特殊設定のアイデアを、いかに考え出せるかどうかが、ミステリー作家の重要な才能になってくるような気がしています。
とにかく、ミステリーが娯楽小説として産声を上げてからほぼ150年。
本格ミステリーでは、星の数ほどのトリックが、編み出されてきて、もはや全く新しいトリックは生まれようがないのではないかという状況です。
しかし、トリックではなく、舞台の方を、おもいきり特殊な設定することによって、過去のトリックの再利用が、単なるパクリではなくなる。
いやむしろ、オリジナルよりも魅力的なトリックになることも有りうる。
これでミステリーの可能性は、無限に広がるという気がするわけです。
僕のようなクラシック・ミステリー・ファンとしては、あまり特殊な設定になりますと、ついていくのが大変ですが、「遊び」として、ロールプレイング・ゲームにガッツリはまってきた若い世代の読者には、それを本格ミステリーといっても、何の違和感も持たないのかもしれません。
少なくとも、非日常をエンタメとして素直に受け入れられる感性は、僕のような老人には真似のできない若い人の特技で、これはうらやましい限り。
さて、本作の主人公は、日本の探偵事務所の所長です。(漢字変換が出来ないので名前は割愛)
自分の助手だった女子大生が、このカルト教団の村に出かけたまま戻ってこない状況となり、ルポライターの友人とともに現地へ探しに行くというのが本書の基本的プロットです。
日本人が、地球の裏側にある国のカルト教団の村へ調査に行くというストーリーの骨子に違和感を持たれないように、導入部はかなり丁寧に描かれています。
物語の冒頭に、いきなり集団自決のリアルな描写があるのも上手でした。
殺人事件発生を含む、中盤までのいろいろな展開が、すべてそこに繋がっているとわかっているだけで、緊張感は持続します。
そして、カルト教団の村にやってきた調査チームのメンバーが、一人ずつ殺されていく・・・
いったい犯人は誰なのか?
張り巡らされた伏線は縦横無尽。
そして、証拠となる事実や証言が出そろったところで、探偵の助手であった頭脳明晰な「女子大生名探偵」が全員の前で謎解きを始めます。
え? もう? 解決編なの。
ちょとそんな気になって、残りページを確認すると、まだ150ページ近くあります。
まだ全体の三分の一程度は残っているわけです。
通常の本格ミステリーなら、名探偵の謎解き最終章は、どんでん返しも含めて、全体の10%といったところが相場でしょう。
なるほど、これが本作の売りである多重解決パートの始まりというわけか。
そこで、多重解決ミステリーというジャンルをちょっとWiki してみました。
「一つの事件に対して対して、何通りもの解決が並立的に与えられる趣向。どんでん返しの一種。
探偵が複数いる場合、推理合戦によって提示された異なる解決をそれぞれ検討し、誤答を排除するパートに移行して真相が絞り込まれる。」
古典ミステリーとしては、1939年発表のアントニー・バークレーの「毒入りチョコレート事件」があると書かれていましたが、これは未読。
最近作には案外多いようですが、本格的な多重解決ミステリーは実はまだ読んだことがありませんでした。
ちなみに、白井智之氏の前作にあたる「名探偵のはらわた」も、このジャンルのミステリーだそうですから、多重解決は作者が個人的にこだわっているジャンルなのかもしれません。
ただ、小説としては読んでいないものの、映画でなら見ていますね。
1976年のアメリカ映画「名探偵登場」です。
ミステリー好きの大富豪が、世界の名だたる名探偵たちを屋敷に招待して、自らが仕掛けた殺人トリックの謎解きを競わせるというコメディタッチのミステリー映画でした。
とにかく、誰もが知っている名探偵たちを徹底的にパロディにしていて、ミステリー好きにはたまらない映画でした。
脚本を担当したのが、ニール・サイモン。
登場する探偵たちの一人一人の謎解きを披露させたうえで、一人屋敷に残った真犯人がたからかに観客に向かって笑うという、実に秀逸な脚本でしたね。
ニール・サイモンという人はミステリーというよりも、洒落た都会的コメディで才能を開花させた人ですので、多重解決パートになると、目まぐるしくひっくり返る物語をロジックというよりは、ギャグにして楽しませてくれました。
この映画には、姉妹編もあってタイトルは「名探偵再登場」。
こちらも往年のハリウッド映画のパロディがふんだんに詰まっていて、クラック映画好きにはたまらない映画でした。
ここで、老婆心ながら懸念が浮かびます。
解決パートが、二重三重と転がりすぎてしまうと、せっかくのミステリーが、コメディになってしまうのではないか。
少々早すぎる解決パートの始まりに一抹の不安がよぎったことは事実です。
しかし、そんな不安は心配するに及びませんでした。
本作は最後まで、見事に堂々たる本格ミステリーでしたね。
確かに、結末は二転三転するのですが、それがジリジリと真相に近づいていく構成は、ギャグではなく完全に理詰めでした。
謎解きがひっくり返っても、物語が破綻しないように、周到に伏線が張り巡らされていました。
そして、そのすべての伏線が回収されて迎えるラストのあっと驚くどんでん返し。
最後は人民寺院事件で実際に起こった歴史的事実に、結末をそろえる手腕もあざやか。
トビー・フーパー監督の「悪魔のいけにえ」という邦題は、観客の興味を煽るために映画会社がつけたものでしたが、本作のタイトルは、きちんとミステリー作家が仕込んだ見事なオチになっていました。
YouTube動画に出演していた白井氏の弁では、本作のグロ描写はかなり控えめでファンの方からも指摘を受けていたとのこと。
これで控えめだとしたら、この人が本気を出したら、どんなグロ描写が炸裂するのか。
少々気にはなりますが、タイトルから読む小説を選ぶことが多いので、白井氏の初期の作品群には、正直なかなか手が伸びそうもありません。
作者が、今後どういう方向の作品を発表していくのかということについては、本書を楽しませてもらった読者としては、おおいに興味の湧くところ。
出来れば、ゾンビ系RPGなど全くプレイしたことのない年寄りでも楽しめる、高水準の本格推理モノを、切望したいところです。
ちなみに、グロは苦手ですが、エロならどこまでも付き合えることだけは申し添えておきます。
コメント