騙されるのが好きな人なんていないでしょう。
もちろん僕もそうです。
悪意を持って、あるいは金銭を巻き上げる目的で、他人をだまそうとする者たちを通常は詐欺師といいます。
日本の刑法においては、詐欺罪は第246条に規定されていますね。
簡単に言ってしまえば「人を欺いて財物を交付させた」場合に成立します。
刑法第246条では、詐欺罪に対する罰則として「10年以下の懲役」が定められています。
罰金刑はなく、有罪判決を受けた場合は懲役刑が科されます。
刑法上は詐欺罪は一般的に思うよりも重い犯罪とされており、詐欺行為が発覚した場合には厳しい処罰が待っているといえるでしょう。
口八丁手八丁の詐欺にひっかかるのは、ひっかかる人間の危機管理意識が甘いから。
昔は偉そうにそんなことを言っていましたが、最近はそんなことも言えなくなりました。
それほど巧妙とも思えないようなフィッシング詐欺にまんまと引っかかってApple のパスワードを盗まれてしまったのが、つい三年ほど前のこと。
金額の被害が出ているのに気づいて、慌ててApple やクレジット会社に連絡。
必死に事情を説明したところ、同様の詐欺事件が多発していたようで、そのあたりも考慮して、被害金額は全額返還されました。冷や汗が吹き出る事件でしたね。
寿命が縮む思いをしましたが、結局犯人はわからずじまい。
この事件で、それまでの「詐欺には強い」という根拠のない自信は見事にひっくり返されました。
お恥ずかしい話をしてしまいましたが、以上申し上げたように実生活では憎むべき詐欺ではありますが、こと映画の中の詐欺となると話は違ってきます。
映画というものは、ある意味で観客を上手に騙すことが、極上のエンターテイメントになるという側面があります。
映画の醍醐味の一つに、「どんでん返し」がありますが、これが見事に決まっている映画の多くは、映画史にその名を遺す傑作になっていることが多い。
映画ファンにとっては、巧みなミスリードで物語を引っ張り、最後で「あっ」といわせる「どんでん返し」映画はたまらないものです。
映画という娯楽は、通になればなるほど物語の先読みをして、自分の映画リテラシーの高さを確認したくなってしまうもの。
しかし、多くの傑作は、その予想のさらに上をいくサプライズがしかけられているのが常で、僕程度の映画マニアは、簡単にその術中にハマり唸ってしまいます。
「やられたあ!」と思わず膝を叩いてしまうのですが、なんのなんの、これがなかなかの快感なんですね。
実生活で騙されるのはノーサンクスですが、この快感があるのなら、映画やドラマでは、どんどんと騙してくれと思ってしまいます。
むしろ、こちらから透けて見えてしまうような陳腐な騙しの方は、エンターテイメントとしては二流で、「出直してこい」ということになりかねませんが。
さて、「どんでん返し」もある意味では観客をだますというトリック映画ですが、これをさらに詐欺という犯罪行為にフォーカスして、エンターテイメントにしたのがコンゲームというジャンルの映画です。
最近の邦画では、長澤まさみ主演の「コンフィデンスマン」シリーズがこのジャンルの嚆矢ですが、誰でもが思い当るコンゲーム映画の大傑作といえば、1974年製作のジョージ・ロイ・ヒル監督作品「スティング」でしょう。
ギャングの親分から「いっちょカモろう」という、一味の詐欺テクニックの鮮やかさは、それが犯罪と分かっていても拍手喝采もの。
この作品は、アカデミー賞作品賞にも輝きましたから、この分野を一躍映画エンターテイメントの最前線に押し上げたという意味でも画期的な作品でした。
というわけで、大変前置きが長くなりましたが、この「スティング」が作られるよりも、8年ほど前に作られたこのジャンルの隠れた佳作が本作「テキサスの五人の仲間」です。
主演はヘンリー・フォンダ。ジョアン・ウッドワード。
監督は、フィルダー・クック。
この人は、残念ながらこの作品以外の監督作は知りません。
もともとは、1962年に作られたアメリカのテレビ・ドラマが原作だそうです。
西部劇ではありますが、本作にはインディアンも登場しませんし、ガンファイトもありません。
舞台となるのは、酒場の奥まった一室。
ここに、年に一度、街の金持ちたち五人が集まって、大金をかけたカードゲームが行われます。
行われるカードゲームはポーカー。
デジタル・ゲーム全盛時代の若者たちはほぼ知らないかもしれませんが、僕ら前期高齢者世代ならば、ギリギリ、リアルで遊んだことのあるトランプ・ゲームでしょう。
ポーカーゲーム最強の手である、ローヤル・ストレート・フラッシュの名前くらいはどちら様もご存じかもしれません。
配られた五枚のカードで役を作るのですが、一度だけカードを交換するチャンスがあります。
そして、確定した手にチップを賭けていきます。
自分の手が良ければ、強気でチップを賭けられるわけですが、相手が自分の手では勝てないと思って下りてしまうと、たとえその役が相手よりも良かったとしても、賭けたチップは全部持っていかれてしまいます。
これがこのゲームの面白いところ。
つまり、自分の手があまりよくなくても、そんなことはおくびにも出さず、いい手であることをシラっと演じ切り、ハッタリだけで、相手を下させてしまうことも可能なわけです。
もちろん、全員を下させてしまえば、その手は相手に開示する必要はありません。
つまり、ポーカーというゲームは、メンバー全員に、そこそこいい手がいき、全員が自分の手がこの場で一番だと思って、賭け金がどんどん吊り上がっていくという展開が、最もスリリングだといっていいでしょう。
これを理解した上で、この映画を見ると、本作が実によく出来ていると感心します。
1896年、街きっての5人の金持ちが酒場に集まり、年に一度の恒例のポーカーゲームを開きます。
ゲームが続けられる中、旅の途中のメレディスと妻メアリー、息子ジャッキーが、幌馬車でホテルに立ち寄ります。
ポーカー好きでギャンブル依存症だったメレディスは、妻の努力で今は賭け事からは足を洗い、10年間で貯めたお金を元手に、新天地で農場を買って、家族水入らずで暮らす予定でした。
そんなメレディスでしたが、ふとポーカーゲームのことを知り見学を申し出てしまいます。
心配そうな息子のジャッキー。
しかし、見ているうちにメレディスのギャンブル熱に火がついてしまいます。
そして彼は、家族の制止も振り切ってポーカーゲームに参加してしまいます。
しかし、ギャンブルの女神は彼には微笑まず、メレディスの持ち金はやがて尽きてしまいます。
そんな中、彼の手に配られた五枚のカード。
そこには、人生最高の一手が並んでいました。
しかし、その場では、他の五人の手中でもいい手が完成しており、彼らもこのゲームを下りません。
レートは次第に吊り上がり、もはやメレディスの賭けるチップが底をつきます。
カメラは、メンバーのカードの手は一切映しません。
追っているのは、自分の手を見入る役者のクローズ・アップのみ。
ある意味、この場面はこの映画のサスペンスを盛り上げる最大の見せ場なのですが、やはり主演のヘンリー・フォンダの顔芸が頭一つ抜きんでていましたね。
ここまでくれば引くに引けないメレディスは必死になりますが、全財産を換金してもゲームを続行できるだけのチップが集められません。
万事休すというところで、さらにメレディスを心臓発作というアクシデントが襲います。
駆け付けた医者は、彼を自宅に搬送させますが、その際、メレディスの手にあった五枚のカードは妻のメアリーに託されます。
ちなみに、この医者をやっていた俳優がバージェス・メレディス。
あの映画「ロッキー」で、ロッキーのトレーナー役をやっていた俳優です。
意を決して、5人の待つポーカーのテーブルに座るメアリー。
彼女は毅然としてこういいます。
「私には、自分たちの全財産を守る義務があります。さあ、ルールを教えてください。」
唖然とする5人。
しかし、5人が場に賭けただけのチップをテーブルに乗せないとゲームが続けられないことを理解したメアリーは、この5人を引き連れて、酒場の前の銀行に向かい支配人に融資を交渉します。
当然のように担保を要求する支配人に、メアリーは状況を説明した上で、自分の手の中にある5枚のカードを提示します。
一度は面食らって、融資を断る支配人ですが、数分後、メアリーへの融資金を携えて、ポーカー会場にさっそうと登場。
メアリーの隣に陣取って、場の賭金をさらに吊り上げさせます。
これで5人のギャンブラーたちは一気に戦意喪失。
結局勝負に挑むことなく、全員がゲームを下りてしまい、メアリーはその場のすべてのチップを手に入れます。
家に帰ったギャンブラーの一人ヘンリー・ドラモンド(ジェイソン・ロバーツ)は、これから結婚式を開けようという娘婿に向かってこう言います。
「おまえの結婚の目的は、俺の財産だろう。悪いが俺には自分の娘の女としての価値はよくわかっている。
おまえがあいつにまともな愛情をもつとは思えない。お前のために言う。女房にする女はきちんと選べ。
おまえを幸せにしてくれる女はきっとどこかにいる」
明らかに、ドラモンドは、絶体絶命の亭主のために、ギャンブルの修羅場に身を投じて、家族を救ったメアリーに心を動かされていたことは間違いありません。
というわけで、本作はここで終わっても、そこそこ楽しいコメディ映画であったはず。
ところが・・・・・
この先はもちろん語りません。VODにも挙がっている映画ですので、是非ご覧になって楽しんでくださいませ。
しかし、このジャンルの映画が、西部劇の中で展開されるという意外性。
そして、主演俳優ヘンリー・フォンダの、役者としてのキャリアを逆手に取ったキャスティングの妙。
ヘンリー・フォンダは、本作の後の「ウエスタン」という西部劇で、キャリアの中ではじめてといえる極悪非道の悪役を演じています。
このあたりも興味深いところ。
興味深いといえば、メアリーを演じたジョアン・ウッドワードは、「スティング」の主演俳優の一人ポール・ニューマンの奥様ですね。
見終わってみれば、なんといっても秀逸だったのは、本作の邦題タイトルです。
本作のオリジナル・タイトルは、"A Big Hand for the Little Lady"
直訳すれば「奥様の手に大きな手が」みたいなことでしょうか。
しかし、これにつけられた邦題が、「テキサスの五人の仲間」。
最初は正直よくありがちな味もそっけもない邦題だなと思ってしまいました。
映画を見始めると、すぐにこの五人が誰のことなのかは想像がつくわけです。
ところがです。
映画を見終わってみると、なんとこの五人が見事に入れ替わっているんですね。
これには感心しました。
邦題自体がどんでん返しになっているという実に秀逸なタイトルでした。
ここまで書いてしまうと、勘のいい方なら当たりがついてしまうかもしれませんが、ネタバレだろうと突っ込まずに、是非映画をご覧になってご確認ください。
いやあ、映画で騙されるのは実に気持ちのいいもの。
是非とも、こんな映画感想文ごときに騙されることのなきよう。
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