なんとも摩訶不思議なタイトルです。
とりあえず、ミステリーのつもりで、図書館から借りてきましたが、よもや哲学系純文学ではあるまいかと心配になって、まずは目次をチェック。
「ジョーダンバット」「オングストローム」「類人猿ディスカッション」「ヘップバーニング」「地球の自転とレース」などなど、意味不明の章の合間に、一応「ミステリーにおける退屈な手続き」なる章も挟み込まれていたので、これはミステリーと断定。
この小説は映画化もされているようなのですが、ミステリーは極力予備知識なしで読みたいというこだわりがありますので、一切の事前チェックなしで読み始めました。
「春が二階から落ちてきた。」
これが、本作の出だしの一行ですが、なんともシュールです。
これで、のっけから完全に著者のペースにはまってしまいました。
気が付けばノンストップで一気に読破です。
そうさせてしまうのは、なんといっても作者の語り口にそこはかとあふれるユーモアと、様々なジャンルを横断する知見の魅力でしょう。
春というのは、もちろん季節の春ではありません。
主人公の弟の名前です。
本作の主人公・泉水(いずみ)と弟の春は仙台で暮らしていますが、春は母がレイプされた際に生まれた子供という背景を持ちます。
湊かなえがこの設定で書けば、ドーンの重苦しい空気が漂うイヤミスにしてくれそうですが、不思議と伊坂氏のタッチはどこかドライで爽やかささえ漂います。
兄弟は、街で発生する連続放火事件と、その現場近くに残される謎めいたグラフィティアートに興味を抱きます。
二人は事件を追いながら、自分たちの家族が抱える過去の秘密や、遺伝子工学を巡るテーマにも直面していきます。
なに?
謎の落書きと連続放火殺人事件の関係が、DNAの構造に絡んでくる?
なにせ理系オンチなものですから、読んでいて頭が痛くなってくる前に、ここは少し予習しておこうといったん本を置きます。(実際はiPad)
さて学習結果。
DNAの二重らせん構造は、2本のヌクレオチド鎖が互いに巻きついて形成されます。
これらの鎖は、アデニン(A)、チミン(T)、シトシン(C)、グアニン(G)の4種類の塩基を持つヌクレオチドから成り立っています。
アデニンはチミンと、シトシンはグアニンと水素結合を形成し、対になって二重らせんを安定させます。
アミノ酸の塩基配列は、DNAの塩基配列がRNAに転写され、そのRNAがリボソームで翻訳されることで決定されます。3つの塩基(コドン)が1つのアミノ酸を指定し、これが連続してタンパク質を形成します。
このプロセスは、遺伝情報がどのようにしてタンパク質に変換されるかを示す重要なメカニズムです。
このATCGが、事件の重要な鍵になってくるという寸法です。
なるほど。
謎の放火犯は、このメカニズムを熟知したうえで、放火計画を立てているわけか。
ということは、このミステリーで起こる犯罪は見立て殺人ならぬ、見立て放火というわけか。
この連続放火とグラフィックアートの規則性に気が付くのは春なのですが、巻き込まれていく泉水の勤める会社がDNAを扱うバイオ系の会社という設定。
そして、癌の手術を前に入院中の彼らの父親が、春の推理をもとに犯人の捜査に興味をもって、病院のベッドの上から参戦。
ここに絡んでくる人物が二人います。
高校時代に、春のストーカーだったという郷田順子。彼女は整形手術をして見違えるような美女になって現れます。
そして、もう一人は、探偵の黒澤。
探偵とはいっても、いわゆる興信所の身元調査員なのですが、この人物がゴルチエのコートを着こなすようなちょいとクールで粋な人物です。
なぜ放火犯はこんな手の込んだ計画を実行していくのか。
そして、この親子は、この事件にどう絡んでいくのか。
本作には、父親の蔵書を二人の兄弟が愛読しているという形で、誰もが一度は聞いたことのある有名な短編がいくつか登場します。
芥川龍之介「トロッコ」「地獄変」
太宰治「走れメロス」
井伏鱒二「山椒魚」
どれも一度は読んでいるはずなのですが、悔しいことにパッと物語が思い出せないので、ここでいったん本を置きます。(正確にはiPad)
どれも青空文庫でササッと読める短編ですので改めて再読。
サラリーマン現役時代は無理でしたが、定年退職して時間に余裕ができると、時間を贅沢に使って読書が出来るのはうれしい限りです。
これで二人の兄弟の心象風景をかなり共有できたつもりになれます。
本作において、登場人物たちから、やり玉に挙げられていたのが、フランスの哲学者ジョルジュ・バタイユの「エロティシズム」論でした。
恥ずかしながら初めて聞いた名前でしたが、スケベジジイを自認している身としては、「エロティシズム」論と聞いては素通りできません。
気になってしまったので、ここでもいったん本を置きます。(正確にはiPad)
さて、学習結果。
バタイユによれば、エロティシズムは「生と死の間にある緊張関係」を象徴しています。
彼はエロティシズムを通じて、人間が自己の限界を超え、他者との深い結びつきを求める行為と見なしました。
これは単なる肉体的な結びつきだけでなく、精神的、宗教的な次元にも及びます。
また、バタイユはエロティシズムを「禁忌とその侵犯」としても捉えました。
彼は、社会が設ける禁忌を破ることで、人間は一時的に自己を超越し、より高次の存在と接触することができると考えました。
なるほど。
この哲学者は、セックスを少々高次元のイベントに神格化し過ぎということでしょうか。
春の出生の秘密を共有する親子にとっては、バタイユのおっしゃることは、あまりに綺麗ごとで、絵に描いた餅に等しいということだと理解できそうです。
絵といえば、家族の誰にもない春の芸術の才能も、本作では重要なモチーフです。
ピカソ、ゴッホ、マネ、エッシャー、シャガール・・
これらの画家について兄弟二人が語り合うシーンのなかに、事件の真相につながるヒントがあるのかと思うと、やはりこれも気になり、またここで本を置きます。(正確にはiPad)
今は便利です。これらの画家の名前で検索すれば、重い美術全書を開かずとも、作品はすぐに確認できます。
岸田劉生の「道路の土手と塀」に迫る春の風景画。
マネの「草上の昼食」に描かれているあの不自然な裸婦が意味するものは・・
春が入院中の父親に勧めたCDも気になりました。
気に入った父親は、それを泉水にも薦めることになるのですが、そのアーティストがローランド・カーク。
1973年に42歳の若さで亡くなった盲目のジャズ・プレイヤーです。
ジャズも含めて、音楽には相当明るいつもりでいましたが、この人の名前を聞いたのは初めてでした。
親子の会話では、オススメ曲として″Volunteered Slavery" という曲のタイトルまで出てきます。
そういわれてしまうと、やはり気になりますので、いったんここで本を置きます。(正確には・・)
今は便利になりました。この人の名前をYouTubeで検索すると、トップ画面にこの曲の 5分45秒のライブ音源がヒットしました。
首から数本の管楽器やパーカッションをぶら下げた異様な姿のガタイのいいサングラスの黒人がローランド・カーク。
いったいどこでブレスをしているのだと心配になるほど、複数の楽器を同時にハモらせるハイテンションのパフォーマンスにビックリ。
しばらくは、これを聞きながら読書を進めましたが、なるほどこの曲を聞くと、春が泉水にいう以下のセリフもストンと腑に落ちます。
「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ。」
この家族の抱えたトラウマに正面から向き合いながら、読者に深刻さを感じさせないのは、やはり作者の飄々とした筆致によるところが大きいでしょう。
兄弟の母親は、すでに亡くなっているのですが、グラビア・タレントをやっていた彼女が、仙台市役所職員をしていた旦那に一目ぼれ、恋愛もへったくれもなく、荷物をまとめていきなり引っ越して来たというエピソードが強烈です。
そして、この美しい母親を亡くした後の、父親と息子二人の強い絆も、淡々ととしていながら、妙に胸をしめつけます。
ラストで、母親をレイプした強姦魔と対峙した春が男に向かって言い放つ言葉には痺れましたね。
「赤の他人が父親面するんじゃねえよ。」
母親がまだ生きている時、小学生だった春の油絵が県のコンクールで大賞を受賞します。
しかし、春の出生の噂を聞いている審査員のオバサンが、春の絵の才能について、チクリと嫌味を言うと、逆上した春はその絵を振り回して審査員に襲いかかります。
そして、止めに入った母親も、春からその絵を取り上げると、その審査員をバチン。
春の大賞は取り消されます
ある日、この家族はサーカスを見に行きます。
ピエロの空中ブランコ演技を見てヒヤヒヤする子供たちに、母親はこう言います。
「楽しそうに生きていれば、地球の重力なんてなくなる。」
なるほど、このミステリー小説の真の主役は、実はこの母親なのかもしれません。
コメント