「ガルボが笑う!」
これが本作の映画宣伝のキャッチコピーでした。
グレタ・ガルボという女優が、ハリウッドにおいて、いかに神秘のベールに包まれていたか。
これは、70年代から映画を見始めた、僕の世代では、あくまでも知識として知るのみ。
僕の若かりし頃は、テレビの洋画劇場が毎日のように放送され、淀川長治、荻昌弘といった解説者や、和田誠のようなクラシック映画の伝道師がいたので、その情報をもとに、時代を遡って旧作を楽しむことが出来ました。
そして、テレビ放送では飽き足らなくなると、当時は関東一円の町ごとにあった名画座巡りをして、吹替えではない字幕スーパーの映画を追いかけるように見ていましたね。
しかし、グレタ・ガルボの全盛期だった戦前の映画となると、当時でもなかなか見る機会はありませんでした。
彼女は、サイレント時代から活躍していましたから、その美貌は主に映画雑誌で確認するのみ。
「椿姫」「アンナ・カレーニナ」など、彼女の代表作品のタイトルぐらいは知っていましたが、動くグレタ・ガルボで、唯一映画館で見た記憶があるのは、「グランド・ホテル」くらいのものです。
彼女はこの作品で、落ち目のバレリーナの役を演じていましたが、確かに笑顔の記憶はありません。
ですので、この先はAI による調査報告をベースに書かせていただきます。
初期作品での彼女は、顔の表情や身振りで感情を伝えるサイレント特有の技法が中心。
「肉体と悪魔」(1926)などで内省的な雰囲気、官能的な美しさを強調しながら、抑制された仕草と眼差しでミステリアスな女性像を演じていくようになります。
『アンナ・クリスティ』(1930)はガルボ初のトーキー映画。
そのハスキーな声を生かした低音の台詞回しや静かなリアリズムを前面に押し出し始めます。
この作品での宣伝キャッチ・コピーは「Garbo talks!」(ガルボしゃべる!)
笑ったり、喋ったりすることが、そのまま、映画の宣伝になるわけですから、それだけで並の女優でないことは伺えます。
そして、『椿姫』(1936)です。
この作品で、彼女が演じたヒロインは、虚飾と苦悩、破滅への道を歩む女性を細やかに演じ、抑制された感情表現の中に激しい内面の揺れを映し出して、女優としての彼女はより一層神格化されていきます。
そんなキャリアを積んできた彼女が、33歳にして初めて出演したコメディ映画が本作です。
神秘の憂いを纏った伝説の女優が、メルビン・ダグラスを相手役に得て、テーブルを叩いて大笑いをする演技に、当時の観客は皆ブッ飛んだわけです。
このコメディ初挑戦作で、受賞こそ逃しましたが、彼女はアカデミー賞主演女優賞にノミネート。
女優としての殻を破ることに成功した彼女は、次回作「奥様は顔が二つ」で、再びコメディに挑戦。
この作品の撮影時、彼女はまだ35歳の若さでしたが、撮影終了後、突然の引退を表明。
そして、この後、彼女は二度と映画に出ることはありませんでした。
「私は、ハリウッドに疲れ果てていたのです。」
これは、彼女が最晩年のインタビューに答えたもの。
引退時の彼女に何があったのかはわかりませんが、35歳といえば、女優としては最も脂の乗る年齢です。
この潔さが、女優としての彼女をまた伝説にします。
人気と美貌の絶頂でスッパリと引退した女優で思い出すのは、ハリウッド女優では、27歳でモナコ王妃になったグレース・ケリーくらいでしょう。
マレーネ・デートリッヒも、伝説の女優として引退しましたが、その時の彼女はすでに60歳近くになっていました。
さて、本作の監督はエルンスト・ルビッチ。
そして、この作品に、脚本家として一緒に取り組んだのが、若き日のビリー・ワイルダーとチャールズ・ブラケットのコンビです。
ワイルダーはルビッチを「自分の師」と公言し、その演出やユーモア、映画哲学に強い影響を受けました。
彼は、『青髭八人目の妻』や『ニノチカ』の2作品で共同脚本を手がけ、その過程でルビッチの映画作りやコメディ演出を間近に習得します。
ルビッチ独特の品格あるユーモアや「ルビッチ・タッチ」と呼ばれる洗練とウィットを、ワイルダーは自身の脚本技法の根幹にしています。
彼のルビッチへの尊敬は「自分の机に “How would Lubitsch do it?”(ルビッチならどうするか?)と大きく書いた紙を貼っていた」と語られるほど。
映画監督のキャメロン・クロウが、最晩年のワイルダーにロング・インタビューを敢行した著書のタイトルが「ワイルダーならどうする?」でした。
もちろん、この逸話がタイトルのネタ元になっているわけです。
そしてこの本には、ワイルダーの事務所に、実際にこの言葉がオブジェになって飾られていたと紹介されています。
ワイルダーも後年監督作で「ルビッチの品格あるコメディ観」「構造的な脚本作り」「人物描写の奥深さ」を意識したていたことは確実。
二人の師弟関係はこの『ニノチカ』が最も象徴的であり、ルビッチの精神と技法が、ワイルダーのコメディ映画の基盤となっていることを確認する意味でも、本作が大変興味深い作品だといえます。
ワイルダーの脚本は、とにかくキレキレです。
本作は、冷徹なソ連女性官僚ニノチカがパリへ派遣され、現地で資本主義の自由さや喜びに触れる中、フランス人貴族レオンと恋に落ちるラブコメディです。
任務と恋心の間で揺れ動いた末、ニノチカは祖国へ戻るものの、再会したレオンと結ばれることで心の解放と人生の新しい喜びを見出します。
当時の「共産主義」と「資本主義」の対立、そして体制主義に対する風刺を軸に、社会状況をコメディの中に巧みに取り込んだワイルダー=ブラケット・コンビのペンは冴えわたり、師匠ルビッチの演出をしっかりとサポート。
主人公ニノチカはガチガチの堅物官僚として描かれ、笑わない“ロボット的”無感情さは、共産主義社会の官僚主義や人間性の抑圧へのアイロニーとして描かれるわけですが、これにガルボの低音ハスキー・ボイスがドンピシャではまります。
そして、物語の中盤以降、ニノチカが西側文化や恋愛によって心を解放していく過程そのものが、資本主義大国アメリカから見た見事な社会風刺になっているわけです。
ちなみに、本作が日本で初公開されたのは、アメリカ公開から10年たった1949年11月8日。
この時期は第二次世界大戦後で封印されていたアメリカ映画の一斉公開が始まった時期でもありました。
風刺とコメディの要素、ガルボのスター性は日本でも話題となり、洋画ファンや知識層に根強く支持されたそうです。
ですが、それを映画館で見た世代は、今年66歳になる僕の二回りは上の世代。
グレタ・ガルボと聞いて、遠い目をする映画ファンは、もはや超少数派になっていることは否めません。
ですので、ここは僕らの世代が頑張って、微力ながらも彼女の魅力を伝える役目を引き継ぐべきでしょう。
映画文化は永遠に不滅です。見るものが入れ替わっていっても、スクリーン上の彼女は歳をとることはありません。
この一世紀も前の伝説の女優の魅力が、はたして今の映画ファンに届くのかどうかは、非常に悩ましいところ。
しかし、非常に興味のあるところでもあります。
映画産業が求める女優のニーズが時代と共に変遷していくことは否めないとしても、少なくともこのタイプの女優が、今の映画スターにはちょっと見当たらないというのが、僕の個人的感想ではあります。
グレタ・ガルボは、映画史に刻まれた伝説なのか、それとも映画作業が残した遺産なのか。
それを確かめる意味でも、今の若い方々が、本作を見る価値は十分にあると思います。
是非勉強して、感じてください。
彼女は生涯独身を貫き通し、1990年に84歳の長寿を全うして人生を終えました。
思い出すのは、日本の伝説の女優である原節子。
彼女は、40歳で女優を引退し、同じく生涯独身をとおして、95歳で鬼籍に入っています。
原節子の脳裏の中に、グレタ・ガルボの引き際の美学があったことは想像に難くありません。
案外二人は、天国でマティーニを傾けてよろしくやりながら、往生際の悪い数多の美人女優を見下ろして、笑い飛ばしているかもしれません。
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