「あのさあ。なんとか、満タンにしてくれないかなあ。」
柳川信二は、震災一週間後の、埼玉県内のガソリンスタンドの給油渋滞に5時間も並び、やっと給油ができた。
一人一回20ℓまでという、スタンドの店員に食い下がっていた。
「ちょっと、これ見てよ。マスクやトイレットペーパーや紙ナプキン。
これ、なんとか今日中に、茨城の被災地に届けなきゃいけないんだよ。
向こうじゃ待ってんだよ。わかるでしょ
20ℓじゃ、行ったって帰ってこれないでしょ。
あっちいったって、ガソリンスタンドなんかやってないんだからさあ。
こっちで満タンにしていくしかないでしょ。
なんとか入れてよ。満タン。」
年配のスタンド店員は、柳川のけんまくに困惑した顔を隠せないが、その後ろに並んでいる行列の運転手の顔をチラリとみて、首を横に振る。
「申し訳ありませんが。」
その横の列では、別の若い定員が、四葉マーク(高齢者運転標識)をつけた軽自動車に給油している。
「すいません。4リットルしかはいりませんね。」
顔を出して、店員にカードを渡す老婦人。
「あらそう。じゃあ、それでいいわ。」
呆れ顔で、レシートを取りに来た店員が、年配の店員にぼやいた。
「あの、おばあちゃん、昨日も今日も、それから一昨日もこの行列に並んでるんですよ。
燃料なんか全然減ってないのに。
よく、これっぽっち給油するために、この行列に並びますよね。
よほど、ヒマなんですかね。
それに、あれ見てくださいよ。あれも毎日ですよ。
あれは、どこへいくんですかね。」
若い店員の指差した先の、老婦人の軽自動車の後部座席には、カップラーメンやトイレットペーパーが、ぎゅうぎゅうに押し込まれていた。
「地震発生から本日で1週間が経過をいたしました。
亡くなられた皆さん、そして御家族の皆さんに心からのお悔やみを申し上げます。
また、被災され家族が行方不明である皆さんに対しても、本当に御心配のことと心からのお見舞いを申し上げます。」
共同記者関係での管総理大臣のメッセージ。
震災発生以来、管総理大臣をはじめ、政府関係者は多忙を極めていた。
管総理は、記者会見を終えると、首相官邸に戻った。
但し、ここにいられるのも小1時間。
防衛大学校でのスピーチの確認をした後は、被災地である宮城県石巻市の視察に向かわなければならない。
この未曾有の災害が、自分の総理在職時に発生したということは何かの運命だ。
今ここでの自分の対応は、よきにつけ悪しきにつけ、後々まで語られることになる。
自分が、歴史に名を残す総理大臣になれるかどうか。
これは試練でもあり、チャンスでもあった。
総理のテンションは、いやが上でもあがる。
しかし、震災以来の疲労は、極度に達していた。
内閣総理大臣執務室は、静かだった。
机に座って原稿のチェックをしている総理。
部屋には、若手の秘書以外、誰もいない。
「総理。お疲れではないですか。」
「大丈夫だ。」
原稿から、目を離さずに総理が答えた。
「今、コーヒーをお入れします。」
「ありがとう。」
総理のデスクの横に、コーヒーを置きながら秘書がいった。
「しかし、報道関係はあいかわらず、勝手なことばかり言ってますよね。
そりゃ、今の日本では、震災対策は、最優先事項ですから、それはわかりますが、政府がやらなければいけない仕事はそれだけじゃないですからね。」
総理は、一瞬秘書を見たが、すぐに視線を原稿に戻す。
「大連立のことか。」
「はい。もう震災以外のことをちょっとでも言おうものなら、すぐに空気をわかっていないみたいな言い方をしてきます。野党も報道関係も。」
「・・・・」
「自民党の連中なんて、こんなに時でも、総理のアラを探して、あわよくば、政権を取り戻すことしか考えてない。
まったく、空気を読んでいないのは、どっちだという話ですよ。」
総理は、原稿を置き、ゆっくりとコーヒーを飲みながら、秘書の言うことを聞いていた。
「外国のメディアなんかひどいものですよ。
まるで、枝野官房長官だけが、奮闘していて、総理は、バタバタしているだけなんて、失礼極まることを書いています。
日本の総理大臣は、枝野官房長官だと勘違いしている人もいるなんて、とんでもない話です。
ひどいもんですよ。まったく。
対応の甘い東電に怒鳴ったのは総理じゃないですか。
それを、総理の品格がどうとかこうとか。
まったく好きなこと言ってますよ。
わかってるんですかね。
確かに、枝野さんは、睡眠時間も削って、記者会見に対応していますが、ずっと永田町です。総理は、日本全国飛び回っているのに。
それに、ほとんど寝ていないのは総理も一緒です。
総理だけじゃない。みんなそうです。
こんな時に、ノンビリと胡坐をかいて、ボーッとしている政治家なんていやしませんよ。」
秘書は、いつのまにか、熱くなっている自分に気がついてハッとした。
「あ、すいません。お仕事のお邪魔をしてしまいまして。」
総理は、そんな秘書の話を聞きながら、コーヒー片手に、机を離れ、官邸の庭から見える、桜の木の蕾をながめている。
「マスコミの連中は、こういう時でも、自分たちが書きたいようにしか書きません。
政府がこれだけ不眠不休でがんばっていても、疲れて、移動中にコックリしているような写真ばかり撮りたがるんですよ。総理もお気をつけにならないと。
まったく、油断もスキもあったもんじゃない。
こんなに働く政府なんて、世界中のどこの国へ行ったって、いやしませんよ。
それに・・・」
話が止まらなくなっている秘書を総理が制した。
総理は、このエラく饒舌な秘書の顔を、しばらくじっと見てこういった。
「すまないが・・」
「はい。」
「ちょっと5分。一人にしてくれないかね。ちょっと家に電話もしたいのだが・・」
「あ、はい。わかりました。
離れるなと言われているのですが、では、隣の部屋で待機しておりますので、お呼び下さい。」
秘書はそういうと、総理の飲み終えたコーヒーカップを持って隣室に下がった。
管総理は、秘書が離れたのを確認すると、桜の木の見える窓のカーテンをゆっくりと閉め、再び机に戻る。
そして、スピーチの原稿を横に置くと、両手をおもいきり広げ、続けて二度大アクビ。
誰もいないのはわかっていても、思わずあたりを見渡してしまった。
総理はゆっくり席を立つと、扉の向こうにいる秘書に向かっていった。
「よし、戻ってきてくれ。」
震災発生から、一週間が過ぎていた。
前の会社をやめて以来、山田宏は、正業に就いてていない。
40歳にもなろうというのに、アルバイトで日々の生活をつないでいる。
独身。結婚経験はない。
市県民税の滞納を続けており、お国から督促状がきている。
サラリーローンの返済もありで、どうにも首がまわらない。
今のバイト先からは、すでに前借りもしており、これ以上無心すれば、解雇もありうる。
にっちもさっちもいかない山田宏。
こういう時に、脳裏に浮かぶのは、哀しいかな、やはりスロットだ。
11日に東日本を揺るがせた大震災の後、スロット店は、軒並み営業を自粛していたが、昨日辺りからソロリソロリと、照明を控えめにしながら、営業をはじめる店も出始めた。
悪いが、スロットだけは自信がある。
授業料はだいぶ払い込んでいるが、それでも台のヨミが当たれば、ざっと10万から15万円の現金収入。
これを2回から3回連チャンできれば、当座の借金は挽回できるのだ。
しかし、こちらの状況が逼迫していればいるほど、スロットの台は、憎らしいほど微笑んではくれない。
震災の前の日に勝った勢いで、今日は一気呵成に、8万円ほど突っ込んだが、閉店10分前、スロットは最後のメダルを吸い込んでしまった。
万事休す。
店員にはわからないように、台にゲンコツをくれて、椅子から立ち上がろうとしたときに、となりの椅子の下になにか黒いものがみえた。
なんだ?
黒いものは、財布だった。
閉店間際、幸い周囲に、それを見ているものはいない。
山田宏は、さっとその財布を拾い上げると、何食わぬ顔で店を出た。
「すげえ。18万円。」
開いた口が塞がらなかった。
なんと、その財布には、18万円もの現金が入っていたのだ。
落としたヤツのうろたえた顔が、頭に浮かんだ。
落としたヤツ名は、すぐにわかった。
長岡伸一。
財布の中に免許証があった。。
長岡伸一は、アンガ-ルズの背の高い方にどことなく似ている。
免許証の写真が神経質そうにひきつっていた。
しかし、長岡伸一には悪いが、山田宏の笑いは止まらなかった。
濡れ手に粟の現金収入18万円。
この現金、この写真の男が持つには、ちょっと似つかわしくないほどの大金ではあるが、金は金。
悪いが、これは落としたアンタが悪い。
申し訳ないけれど、この金は、自分の借金の返済に、遠慮無く使用させてもらうことにしよう。
山田宏は、躊躇なくそう決めた。
さあ、18万円だ。
しかし、情け無いかな、これでも、当座のローンの返済や市県民税の支払いには、大きく足りない。
あといくら足りない?
計算すれば答えはすぐにでも出た。
あとジャスト20万円。
合計38万円ないと、借金の返済はできないのだ。
そんなことを考えながら、黒い財布の現金を抜き取って、中身をチェックしていると、一枚のメモが出てきた。
そこには、「アルバイト」と書かれとており、3件ほどの会社と電話番号。
なるほど、こいつも、俺と同じくフリーターだな。
山田宏にはピーンときた。
しかし、フリーターの分際で、財布の中身18万円はちょっと多かろう。
そんなことを考えながら、カードらしきものがもう一枚。
それには、こう書かれていた。
福島県いわき市小名浜◯◯
長岡啓三。
これは、おそらく財布の落とし主の父親だろう。
免許証、実家の連絡先、落とし主の個人情報・・・
山田の脳裏に、黒いものが横切った。
さあ、やろうと思うなら、今ここにフリコメ詐欺に必要なものが、すべて揃っている。
山田宏は、きっかり一分間考えて結論を出した。
この男が持っていた現金18万円。おそらく、この金は、この両親からの仕送りに違いない。
東京で暮らすフリーターごときが、財布に入れて持ち歩ける金額ではない。
こんな30歳を過ぎた男が、東京でノラリクラリとフリーターでやっていられるのは、この親が、土地かなんかをしこたま持っている資産家だからだ。
今なら、この震災のドタバタを理由にすれば、あと20万円くらいの送金くらい、簡単ににしてくれるはずた。
それに、花粉症がマックスで、鼻水がズルズル。
おあつらえ向きの鼻声になっており、声なら、本人と多少違っても、うまいことごまかせる。
山田宏は、長岡伸一の財布のカードや、メモなどから、いくつかの個人情報を頭にインプット。
コンビニのカード電話から、長岡啓三に電話した。
「もしもし。伸一だけど・・」
「伸一?。なんか声が変だぞ。」
「声? ああ花粉症で、鼻が詰まって・・」
「花粉症? そうか。一昨日はなんともなかったぞ。」
この息子は父に、一昨日も電話しているらしい。
「急にだよ。まいった。それでさあ・・」
「だめだ。」
「だめ?」
「いいか。何度言ってもだめだぞ。」
「いや、まだなにもいってない・・」
ここから、父親、啓三は一気にまくし立てた。
「気持ちはうれしいが、絶対に来るな。
ここに来るなら歩くしかない。無理だ。
それに、今来ても、おまえが危ない目に合うだけだ。
おまえは、東京にいろ。
うちはまだ、電話もつながるが、ミツルおじさんのところは、家も畑も全滅だ。
連絡もとれない。生きているかどうかもわからない。
金もいい。今そんなもの振りこんでも、銀行なんかやってない。
赤十字の義援金にでも寄付しろ。
そっちだって、いろいろと大変だろう。
こっちは、かあさんとなんとかやるから、心配するな。
今は、助かっているものだけで、力を合わせて、やっていくしかない。
もう、この携帯も、充電出来ないから電池がきれたら繋がらない。
大事な電話もあるんだ。もう電話してくるな。
もう何回も言わせるな。こっちは大丈夫だから・・・」
電話は、そこで突然切れた。
電池が切れたのかもしれない。
山田宏は、コンビニの電話の前で、地蔵のように固まっていた。
*******
翌日、長岡伸一は、アパートのポストを見て、声を上げた。
昨日、どこかで落とした財布が、届けられていたのだ。
財布は、裸でいれられていた。
拾い主が、直接届けてくれたのだろう。
伸一は、恐る恐る財布の中身を確認した。
被災した、実家に送ろうと、銀行からおろしてきたばかりの20万円がはいっていたはずなのだ。
いや違う。これを30万円にしようと思って、スロットに2万円使ってしまった。
確か18万円だ。
伸一はゆっくりと数える。
「え?」
伸一は、また声をあげた。
財布の中身は、20万円あった。
もう一度数えた。
確かに20万円ある。
伸一は、財布の中に小さなメモがはいっていることに気がついた。
メモは、よくいくスロット店の換金レシートの裏面。
そこには、きたない殴り書きで、こう書かれていた。
「東日本大震災義援金追加分 2万円」
「いつ戻れるのか」「戻れないかも」。
そんな不安の中での避難所生活が始まって3日目。
この避難所に集まった人たちの、大半は原発事故から逃れて来た○○村の人たち。
こういう非常時の中でも、人々は、残りわずかな、それぞれの食料や、生活品を分け合っている。
極度の疲労とストレス。
老人の避難者の中には、毛布にくるまったまま、起き上がれない人も多い。
そんな老人たちに、声をかけ、すすんで世話をする主婦たち。
比較的気丈な老人たちの中には、親にかまってもらえない子供たちの相手を引き受けている人もいる。
こういう場所で、隣になったのも何かの縁。
プライバシーは守れなくても、人々は互いに、心を通わせることで、暗くなりがちな避難所生活と闘っていた。
そんな避難所の片隅で、ミネラルウォーターのペットボトルを片手に横になっているのが老人がひとり。
じっと目をつぶっている彼にひとりの主婦が声をかける。
「おじいちゃん。大丈夫。」
静かに目を開ける老人。
「寒かったら、毛布あるわよ。」
老人は、主婦の顔をじっと見ている。
「え。どうしたの。おじいちゃん。そんなにじっとみて」
「田中です。」
「え?」
「田中ですよ。おたくの部屋の向かいに住んでいる田中です。榎本さん。」
「・・・」
老人に、榎本といわれた主婦は、そういわれても老人の顔を思い出せない。
自分は、確かに「榎本」。
しかし、403号室の向かい、410号室にある表札が「田中」であることはすぐに思い出せた。
「え?田中さん。向かいの?」
ゆっくりとうなづく老人。
自分の部屋の向かいの田中さんは、元小学校の校長先生で、しばらく前に奥さんに先立たれて、今は一人暮らしをしているというのは、仲のいい主婦友達から聞いて知っていた。
しかし、彼女は、自分の部屋の向かいに住む田中老人の顔を知らなかった。。
いや、この同じマンションのどこかでは、一緒になったこともあるのかもしれないが、それが向かいの田中老人とはわからずにいた。
「ごめんなさい。全然知りませんでした。」
田中老人は、この避難所に来てから、はじめて微笑みながら、主婦にこういった。
「はい、はじめまして。」
最近のヤングママたちが、子供の名前をつけるときに、忘れていると思われることがあると常々思っておりました。
まあ、我が子だから、「可愛い」のは当然でしょう。
少子化という時代背景もありましょうから、今の親が子供に注ぐ愛情たるや、昔の比ではないと思っています。
昔は、4人5人の子持ちはあたりまえでしたから、そうそう一人にも構っていられない。名前も、順番に一郎から五郎とか。
おそ松、トド松、十四松・・・・とか。(これはないか)
まあ、今の感覚から言ったら、「手抜き」ではないのかという名前の付け方もけっこうありました。
しかし、そこへいくと、今の親の名前の付け方は凝っていますよね。
なにか、親のこだわりを、子供に押し付けているような名前もあったりで、アラファイブのオジサンとしては、苦笑しきりです。
そんな、名前持ったら、子供もプレッシャーだろうなあという名前もけっこうあります。
名は体を表す。
昔からそういいますが、やはり名前にはどうしても、イメージが付属しているようで、好むと好まざるとにかかわらず、人は誰も、自分に付けられた名前のイメージに縛られるということはありましょう。
さて、本題。
今の親たちが、子供に名前を付けるときに、完全に頭から外れていると思われるこがあります。
それはズバリ。
名前は、一生使うものであるということ。
どうでしょう。
もしや、自分の子供は、一生子供のままだなんて思っていないでしょうか。
いつまでも、可愛い子供のままだなんて、勘違いしていないでしょうか。
エリカ、マリア、カリナ、ジュリア、ミユウ、カエラ、マイカ・・
まあ、ご存知の通り、たいていはこの名前に、凝った漢字の当て字がしてあるわけです。
まあ、辞書と首っ引きでネリに練るんでしょう。
まあ、気持はわかります。
可愛いのもわかります。
ただ、よく考えてください。
この名前を付けられた娘は、70年後も、この名前と付き合っているということです。
その時に、もうすでに、その名前を付けた親はいないでしょうから、知ったことではないかもしれませんな。
しかし、70年後には、病院の受付で、「松本ジュリアさん」「佐藤エミリさん」と呼ばれて、立ち上がったのが、腰の曲がったしわくちゃバアサンだったなんてことが、日本全国で起こるわけです。
もしも、その場にぼくがいたら、やはり目が点になるだろうと思いますね。
そして、声には出さないまでも、ひそかにつぶやきます。
「もう少し、考えて名前つけられなかったかねえ。昔の親は」
しかし、時代と文化は移ろうもの。
今の感覚では、妙であっても、案外その時代になれば、「エリカばあちゃん、カリナばあちゃん」は、世の中に馴染んでいるのかもしれません。
そして、病院の受付で「ジュリアばあちゃん」の名前を読み上げた、若い20代ピチピチのナースの名前が、案外「とめ」ちゃんか「うめ」ちゃんてなことになっているのかも・・・。
「私の飼い猫の名は?」
とある高校の教諭が、そんなテスト問題を出題して、問題になったそうです。
セクハラだ、性的暴行だというバカ教師よりは、まだましだと思いますが、またかという感じ。
教師の身問題は、後を絶ちませんね。
2つの視点があると思うんですよ。
ひとつは、教師という職業に就く人の資質の問題。
最近では、だいぶ「品格」なんてな言葉が使われていますから、まあそれでもいいでしょう。
いにしえの昔は、教師は「聖職」なんていう時代もありました。
とにかく「先生」といわれるわけですから、昔の教師たちは、この職業を生業とするもの、学力だけではなく、人間としての品格も、それなりでなければいけないという使命感というか、プライドみたいなものをみんな、黙って持っていたように思います。
周囲からの「尊敬の念」を考えれば、うかつなことはできなかった。
自分で自分を制していたんだと思います。
ところが、今教師になる人たちに、それがあるか。
少なくとも、ちょっと前のドラマのような「熱血」タイプは、今の学校見渡してもいなそうです。
就職する方にも、教師という職業に対する特別な思い入れなどなく、あくまで、数ある職業の中で、比較的安定している職業のひとつというぐらいのノリ。
特に人格者でなくても、やることやっていれば文句はないでしょうという感覚ですね。
これは、よくいえば、先生の「普通の人化」といえるかもしれません。
ですから、よくとるなら、今の先生たちは、生徒たちにとってとても近い存在になってきたということはいえるかもしれませんね。
しかし、それはとりもなおさず、先生の権威の失墜とイコールです。
今の教師の人たちは、教師になったからといって、無理に「人格者」でいなければいけないなんていう義務感がサラサラない。
そんな「きゅうくつ」な課題を自分に課すつもりもない。
そういう若い教師がチラホラ出始めていたことは、僕としてもウッスラ感じてはいましたが、時代はめぐり、バブルははじけ、いつのまにか気がつけば、そんな若い教師たちも、いい加減分別盛りの年齢になって、教師の世界に、あまたに広がっていたということでしょうか。
そんな彼らを、あえて弁護をするなら、彼らは教師として「構えていない」分、無防備なってるというようなこともあるのかもしれません。
それを、いまどきの、過激な親や、かしこい子供地たちに、いいように突っ込まれて、墓穴を掘るというパターンのなんと多いことよ。
先生なんだから、そんなこと「想定しろよ」といいたくなります。
そうでないんだったら、せめて「なりすませよ」ってところですね。
まあ、「教師の権威」なんて言葉は、今の世の中、だんだんと死語になりつつあるといっても過言ではないかもしれません。
金八先生も、「スクールウォーズ」の熱血教師も、いまは昔ということ。
いまどきの先生は、思考回路が、子供たちや普通の若者たちと、そう大差がないまま、教師というステレオタイプのモノサシで測ってくる、世間の「厳しい目」にさらされている気がします。
ご愁傷さま。
さて、もうひとつの視点。
こんなことがしきりにニュースの明るみに出てくるという背後には、子供たちと、その親の関係もあるぞと思っています。
先生の品格が問題というなら、やはり親の品格にも問題はあるぞといっておかないと片手落ちかもしれません。
先生が「普通の人化」なら、今の子供たちにとって、親たちも、負けず劣らず「友だち化」しているぞと、僕はにらんでいます。
これ、「尊敬している」というのとは違いますよ。
あくまで友だち。
これとて、僕に言わせれば、「親の権威の失墜」です。
とにかく、最近の家庭事情をリサーチする限り、子供と仲のいい親たちのなんと多いことよ。
これをもちろん、悪いとはいいません。
ただ、これを、親の権威の失墜と読むのか、はたまた、子供と親たちの距離の異常接近と読むのか、これは微妙なとみころ。
しかしこれだけフレンドリーに親密になった親子は、そのコミュニケーションツールとして、とりあえず「学校の話題」くらいは、頻繁に語り合うかもしれません。
さあ、そうなると話題のカモにされるのが、当然、学校の「顔」であるところの先生たち。
恋愛相談とて、あたりまえにするようになってきた親子関係ですから、学校の先生だって、下手をすれば、共通の敵くらいにされてしまうかもしれません。
良くも悪くも、明らかに親が、子供のレベルまで下がってきていますね。
ちなみに、僕らアラファイブ世代が学生だった頃なんて、いい年して、親とイチャイチャしているなんてことは、まったくもって、言語道断。
例え、ワルにボコボコにされようと、先生に手をあげられようと、そんなこと恥ずかしくて、親になど、間違っても言わなかったもんです。
とにかく、僕たちは早く親離れして、独立することこそ、かっこいいという世代でしたから、今の「異常接近の親子関係」にはなにか生理的な違和感を感じてしまいます。
閑話休題。
話を戻しましょう。
つまり、今の先生たちは、子供という商品を学校という企業に預けている「親」というクライアントたちからすれば、絶好のクレームの標的だということです。
ネット隆盛の時代、個人の自己主張がどんどんエスカレートしていく中で、とにかく、文句やクレームをつけることが、にくらしいほど巧みになってきた世代が、これもそのまま「親」になっています。
そして、片方の、クレームを受ける側は、そのクレームを防御するための最大の防御は、ひたすら「品格」を磨くことしかないはずなのに、そんな自覚を持つこともなく、あいもかわらず、「さあ、突っ込め」といわんばかりにスキだらけ。
いまどきの先生たちは、教育に情熱を持てといっても「無理言わないでくれ」と言わんばかりで、そんな、「親」たちからのクレーム攻撃から、自らの保身をはかるので精いっぱいというテイタラク。
まあ、いろいろ考えると、この手の「教育現場へのクレーム」は、この先も、増え続けるのは、火を見るよりも明らか。
いずれにしても、教師というある種「権威」だったものに対して、子供と親がタッグを組んで、簡単にケンカをふっかけられるという世の中の仕組みになってしまったということと、その「権威」自体が、そもそも怪しくなってきてしまったということ。
このふたつをもって、教師受難の時代は当分続くのかもしれません。
生徒と一緒になって、夕陽に向かって走っていけば「かっこよかった」先生たちも、いまは、自宅のパソコンに向かって、憎き生徒に見立てたゾンビにマシンガンをぶっぱなして、ストレスを発散させています。
チンパンジーの脳は、平均で約400g。
ホモサピエンス、つまり僕ら人間のおよそ三分の一です。
しかし、京都大学霊長類研究所のレポートによれば、そんなチンパンジーの脳には、人間以上の機能が備わっている部分もあるといっています。
それは、「瞬間識別能力」。
たとえば、タッチパネルの任意の場所に、数字を表示させて、それをパッと、■に変えてしまいます。
すると、チンパンジーたちは、その■を、数字の順番通りに、正確に指でタッチしていくというんですね。
嗅覚や聴覚ならともかく、脳みその能力で、人間がチンパンジーに負けるわけにはいかない。
なめんなよと思って、同じことをやって、僕がおっかけられたのは、せいぜい「5」まで。
これを敵は、顔色一つ変えずに、「19」までは、やってのけます。 あきらかに、この能力において、僕はチンパンジー以下でしたね。
チンパンジーは、パッと目で見たものを、瞬時にして頭に記憶する能力において、400gの脳でも、十分に人間の脳の上をいっています。
それでは、それでも彼らの3倍もあるという脳みそを、人間は、いったい何に使っているんじゃいという話です。
その前にひとつこんなお話。
この京都大学霊長類研究所で飼われているチンパンジーの中に、怪我のために、半身不随になってしまっているチンパンジーがいるそうなんですね。
まあ、幸いかな、このチンパンジーは、研究所の方の保護を受けて、不便な生活ながらも元気に暮らしているそうなんですが、人間ならば、行き先を悲観して、自殺でもしたくなるような状況でありながら、彼の表情はけして暗くないそうです。
どうしてなのか。
研究所の方は、こう考えたそうです。
チンパンジーの脳は、実は、「今」起こっていることにどう対応するかに、多くの部分を使われるようになっていて、過去がどうだとか、この先がどうだとかいう、今目の前にあること以外のことに脳が使われることがない。
なるほど。
そうくれば、今目の前にあることに対応する能力という意味で、さきほどの「瞬間記憶能力」が、人間より勝っているという点もうなづけます。
では、ここから自殺のお話。
自分の先行きを考えるから、人は悲観します。
世を儚むわけです。
しかし、チンパンジーは、それを考えない。
そんなことよりも、今自分の前に出されたエサがまずくて悲しい。
足が不自由だから、届かなかったところに手が届くようになってうれしい。
自分の置かれた状況は状況で受け入れながらも、このチンパンジーにとっては、そんな中で暮らす毎日の「今」が関心事のすべて。
要するに、彼らは、今の状況がどうだから、将来がどうなるなんてことを考えることはしない。
だから当然、悲観もしない。
だから、チンパンジーは自殺をしない。
まあ、そういうことです。
つまり、地球上の生物の中で、ダントツのトップを誇る人間の脳みその大部分は、実は「今」以外のことを考えるために使われているということなんですね。
「今」以外のことを考えることを、僕らは、「想いを馳せる」といいます。
この「想いを馳せる」「想像する」という脳の使い方こそ、実は、一番脳みそを進歩発達させた使い方というわけです。
僕らの脳みそは、「過去」や「未来」をイメージするということに使われてきたからこそ、生物の中で、もっとも質の高い、大きな脳を持つにいたった。
それゆえ、人間は地球のイニシアティブをとれるところまで進化してきた。
しかし、これには、生物学的に予期せぬ副産物も発生した。
それが、自殺でしょう。
数ある生物の中で、「自殺」なんていう、生物学的に理解不能な行動に走るのは、もちろん人間だけ。
世を儚むサルはいないし、首をつる猫もいない。
人間だけが、それをするわけです。
進歩したはずのご自慢の脳で、いったい我々は、何を考えているのよという話です。
つまり、人間の進歩しすぎた「脳」は、ひとたび、不幸な状況に陥ると、そこからご丁寧にも、不幸な「未来」を推測して、よせばいいのに勝手に脚色までほどこしてドツボにはまっていく。
そして、挙句の果てに、そのイメージから抜け出せないまま自殺。
まあ、チンパンジーからすれば到底理解不能な行為にはしってしまうというわけです。
今の世の中、不幸な人は多いでしょうが、不幸なチンパンジーだっています。
失恋するチンパンジーもいれば、親に死なれるチンパンジーもいる。
半身不随のチンパンジーだっている。
しかし、人間は自殺しても、チンパンジーは自殺しない。
では、チンパンジーに生まれた方が幸せか。
それとも、人間に生まれた方が幸せか。
どうでしょうね。
ちなみに、うちの相方は、「猫になりたい」と日々ため息をついていますが、なんだかんだといっても、僕としては、チンパンジーよりは、人間に生まれてよかったなあと思いたいところ。
だってそうでしょう。
チンパンジーに生まれてしまったら、カラオケもできなければ、映画も楽しめない。
しかし、京都大学霊長類研究所の半身不随のチンパンジーは、高らかに笑います。
「ご自慢の脳みそ、もうちょっとちゃんと使えません?」
小沢一郎・民主党幹事長の身辺がにぎやかになっております。
氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る政治資金規正法違反事件ですね。
東京地検特捜部が小沢氏側に対し、事情聴取を要請したようです。
かの田中角栄氏の秘蔵っ子だったのが小沢一郎氏。
そのDNAは、脈々と彼にも受け継がれているはず。
さあ、この「政治と金」の問題に、どう決着をつけるか。
お茶を濁して欲しくはないですが、自殺者が出るような展開は避けてもらいたいものです。
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投稿情報: 午後 03時30分 カテゴリー: 時事問題 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)