ビリー・ジョエルは大好きですね。
僕の遊び場でもあるカラオケサイト「SingSnap 」には、最初はなぜか彼の曲は、「Honesty」しかなくて、がっかりだったのですが、この1年であれよあれよと増えて、有名ドコロはだいたい歌えるようになりました。
有難いことです。
まだまだ、歌いたい曲は、たくさんありますので、どんどん増やしてくださいませ。
さて、2008年11月18日のビリー・ジョエルの日本公演は、東京ドームまで見に行きましたね。
もう見てくれは、かなりでっぷりとなり、頭も禿げ上がってしまって、往年の面影はありませんでしたが、
それでも、ビリー・ジョエルはビリー・ジョエル。
日本でしかあり得ない、のっけからの「ストレンジャー」で、会場は大盛り上がりでした。
一緒に行った相方からは、「聞こえないから、歌うのやめて」と怒られる始末。
彼は、事実上の引退宣言をしていますので、生の彼を見れることはもうないかもしれません。
さてビリー・ジョエルの名前を初めて知ったのは、実はテレビでした。
「11PM」という番組。
司会は、持ち回りでしたが、音楽やサブカルチャーの情報を主に取り上げていたのは水曜イレブン。
司会は愛川欽也。
音楽コーナーのサブ進行に、今は亡き今野雄二氏。
彼が、アメリカで話題になっているアーチストを紹介するコーナーが有って、
ここで取り上げられたビリー・ジョエルのライブの映像を見たのが僕にとっては最初の記憶。
「ストレンジャー」でしたね。
「11PM」といえば、僕達の世代では、もっぱらお色気系の企画がお目当て毎晩、
眠い目をこすって見てましたが、たまにはこんな番組もやってくれてました。
この頃の音楽収集は、もっぱらFM放送。
「FMレコパル」や「FMファン」などの情報誌に、マーカーで線を引いては、
お目当ての曲をエアチェックしていました。
この「ストレンジャー」と、グラミー賞受賞曲「素顔のままで」をフューチャーした
アルバム「ストレンジャー」と、続いてリリースしたアルバム「ニューヨーク52番街」は、
なんといっても、ビリー・ジョエルの白眉。
この2枚のアルバムは、何回聞いたか知れません。
まだ、カラオケなどなかった時代でしたから、シンコー・ミュージックの楽譜を買ってきて、
コードを追いながら、生ギターで歌っていましたが、ピアノで作る歌は、基本的に
コードが難しく、難儀しました。
今は、パソコンの前に座って、自分が好きな時に歌えるのですから、まったくもって感無量。
その次に彼は、、『グラス・ハウス』という、かなりロックンロールを意識したアルバムを発表し、
ヒットはするのですが、前二作のようなアルバムを期待していた僕としては正直イマイチ。
そこから、アルバム「ストレンジャー」以前の4枚のアルバムを、遡って聞きましたが、
こちらの方に、お気に入りの曲は多かったですね。
特に、「ニューヨークへの想い」「さよならハリウッド」を含む4枚目の「ニューヨーク物語」は、お気に入り。
アルバム・ジャケットの写真に、ビリー自身を含む、収録曲たちの主人公が写っています。
トータル・コンセプト・アルバムですね。
さて、「グラス・ハウス」の次に、ビリーが発表したアルバムは、「ナイロン・カーテン」。
これは社会派の力作でした。
彼自身も、「このアルバムは、僕にとってのサージェント・へパーズ」とコメントしていましたが、
これがアルバムセールスとしてはコケました。
そして、自作の「イノセントマン」で、ビリーは、完全に商売っ気に走ります。
耳心地の良い楽曲と、お金をかけたビデオクリップで、立て続けにシングルカット。
その甲斐あって、アルバムセールスは復活しましたが、僕としては、前作の方が、
ビリーの作品としてはシックリきて好きです。
まあでも、彼のアルバムで聞いたのは、ここまでかな。
この後も、彼は、3枚のアルバムをリリースしますが、こちらも30代以降になってきてしまうと、
音楽そのものを聴く情熱が萎えてくるんですね。
正直、あまり印象に残っている曲はありません。
さて、それでは、今までにもう何回歌ったか知れない、ビリーの代表曲を、
改めて、「SingSnap」で歌いなおしてみました。
ビリー・ジョエルのカラオケ7連発。
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ホール・アンド・オーツというと、僕としては、「ベストヒットUSA」ですね。
あの小林克也さんの名調子とは、切っても切り離せません。
彼らが活躍した、1980年代前半というのは、僕はちょうど大学生。
同番組の中の、トップ20(今でもやってます)で、はじめて見たのが「Kiss on my list」
これがかっこよかった。
いわゆる、70年代の、グランドファンクだとか、ドゥービーのような
コテコテハードロックを聞いてきた耳にはなんともオシャレで洗練されたポップソンク゜でした。
ちょうどこの頃は、巷にも「貸しレコード屋」というのがチラホラの時代。
僕は、京浜東北線の与野の駅前の本屋に住んでいましたが、
まだそんな田舎のローカル駅の周り(今はとんでもなく立派になってます)には、出店もなく、
講義の帰りに、大学周辺の店や、一つ先の大宮駅まで、借りに行ったものです。
当時は、ほとんどカセット録音。
「マクセルUD46」をしこたま買いだめして、どんどん増やしていましたね。
その頃の習慣はやはりいまでも続いていて、レコード(そして後のCD)は、僕は、
一枚も持っていません。
アルバムを録音すると、その中で自分で気に入った曲は、また違う「お気に入り」カセットに
録音していたのですが、この「Kiss on my list」の収録された彼らの『Voices』:モダン・ヴォイスは
このお気に入りの曲が目白押し。
「キッス・オン・マイ・リスト」の他にも、
「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」
「ハウ・ダズ・イット・フィール」
「ユー・メイク・マイ・ドリームス」
「ふられた気持」
それから「アフリカ」もよかったなあ。
てなことで、アルバムの半数近くの楽曲が、「お気に入りカセット」行きになってしまい、
アラアラという感じでした。
ですから、その次に彼らが出したアルバム「プライベート・アイズ」は期待でワクワク。
貸しレコード屋解禁の日にダッシュで向かいましたが「貸出中」
それからしばらくは、「貸出中」で、やっと店頭で見つけた時には、拳を握ってガッツポーズ。
まあ、そんなら借りてないで、買えよという話ですが、その頃は、
録音したカセットが増えていくのが快感で、やはりこれにこだわっていたようです。
彼らは、よく「ブルーアイドソウル」というくくられ方をしますが、
何かのインタビューで、ダリル・ホール自身が、この言われ方は、差別的で好きじゃないといってましたね。
彼らは、「ベストヒットUSA」において、最多登場アーティストだそうです。
特に日本での人気が高く、最近も来日公演がありましたね。
では、その録音したカセットを繰り返し聴きながら、口ずさんでいた彼らの曲。
カラオケで7連発。
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スティーリー・ダンは、大好きですね。
実は、僕は学生の頃は、キャンディーズの大ファンでした。
特に、ランちゃんですね。
そのランちゃんが、もう解散が決まっていた頃、なにかのFMの番組で、言っていたんですね。
「スティーリー・ダンはいいですね。」
その時までは、その名前を僕は知りませんでしたので、これはヤバいと思い、調べて初めて聞いたのが、
彼らの「ガウチョ」というアルバム。
実は、それが彼らの最後のアルバムでした。(後に復活しますが)
その中に収録されていた、「Babylon Sisters」。
この曲に、完全にノックアウト。
こりゃ凄いぞということになり、そこから、彼らが世に出したアルバムを、遡って聞いて、
完全にはまりました。
当時は、巷に、レンタルレコードが出始めていたころ。
大学近くの「黎紅堂」やら、「友&愛」など、歩き回って、全部のアルバムをカセットで揃え、
これも、ちょうど流行りはじめのSONY のウォークマンで、まあ、飽きることなく聞いていました。
とにかく、彼らの作り出すサウンドは、洗練されていましたね。
ロックというカテゴリーに入るのでしょうが、ジャズやフュージョンのエッセンスもたっぷり。
とにかく一曲のクウォリティの密度が半端じゃない。
まあ、スタジオで、ドナルドフェイゲンとウォルター・ベッカーと、そして才能あるミュージシャンが
練りに練ったサウンドは、かなり濃密でした。
その音楽を、当時の僕が、ちゃんと理解できていたかというと、残念ながらそれは無理。
やはり敵のレベルは相当高い感がありました。
僕としては、ビートルズやビリー・ジョエルの方が正直とっつきやすかったのですが、
でも、ちょっと音楽事情に明るい奴と、ウンチクの背伸び合戦をやる時などは、もう決めの文句は
これでしたね。
「でもやっぱ、スティーリー・ダンでしょ。」
こう締めて、首を横に振る奴はいなかったなあ。
聞いていないやつがいたら、「うそ」などといいながら、聞かせたのは、やはり「Babylon Sisters」
では、昨夜の歌謡曲から、うってかわって、今夜は都会派AORの4連発です。
さて、今宵は昭和歌謡。
これをやらないと眠れないほどストレスがたまりましたね。
昭和34年生まれの僕としましては、このあたりの昭和歌謡は、どれも毛穴から染み込んでいるかんじ。
どの曲もほぼ一発テイクでオーケー。やはりこれはこれで快感です。
僕は基本、洋楽カラオケ派ですが、最近は、たまにこれをやらないとバランスが取れなくなってます。
まずはこれ。
ジュリーの「カサブランカ・ダンデイ」。
この曲のモチーフになっている映画「カサブランカ」を見たのは、この曲がヒットしたずっと後。
あの映画を見て、僕ももちろん映画館のシートに丸くなって、「ククク・・・」と泣いたクチ。
そして、改めてこの歌を聞いて、惚れなおした次第です。
やはり、阿久悠あんたはエライ。ジュリー最高。
というわけで、この歌をどうぞ。
お次はこれ。
橋幸夫の「雨の中の二人」
1966年のヒットといいますから、僕は7歳。
家にレコードがあったわけでもありませんし、後年になってCDを録音した記憶もない。
完全に空気感染で、毛穴から染み込んでいた感じです。
当時は、僕は東京都のダウンタウン大田区の平和島に住んでいました。
おばあちゃんがやっていた本屋は「たま屋」。(おばあちゃんの名前が「たま」)
たぶん、お店には、ラジオがいつも流れていましたから、それで覚えたのかもしれません。
なんかこのイントロを聞くと、ジワーっと「昭和気分」になってしまいますね。
ではどうぞ。
お次はこれ。
布施明の「傾いた道しるべ」
この歌の作詞作曲は、小椋佳。
布施明と小椋佳といえは、レコード大賞受賞曲の「シクラメンのかほり」がありますね。
これは、そのコンビで、その後にリリースされた曲。
1975年といいますから、昭和50年。
僕は中学校三年生で、ギターなどを抱え始め、そろそろ音楽に色気づきはじめた頃です。
布施明は、この後で、オリビア・ハッセーと結婚しますが、ジュリエット・ファンだった僕としては、
けっこうショックでした。
ではどうぞ。
さて、お次はこの曲。
黛ジュンの「夕月」。
彼女の大ヒット曲といえば、レコード大賞を受賞した「天使の誘惑」が有名ですが、僕は圧倒的にこちらのファン。
演歌ではないですよね。ムード歌謡です。
実は、この曲をタイトルにして、彼女の主演で映画が作られています。
松竹映画でした。
当時、僕の友達に、松竹封切り映画館の息子というのがおりまして、彼の家に遊びに行く時には、いつもこっそりと上映中の映画を見せてもらいました。
この映画も、そうやって見た映画の中の1本。
僕は、この映画が見たい一心で、その週は、毎日のように遊びに行っていましたね。
豊川シンジ君。元気かなあ。
この映画で、今は千葉県知事をやっている森田健作がデビューしています。
ではどうぞ。
さて、お次。
平浩二の「バス・ストップ」
昭和47年のヒット曲。1972年ですね。
まあ、このあたりの歌謡曲は、僕らの世代はみんな「夜のヒットスタジオ」仕込みです。
あの番組の中に、出演者で、歌をテーマにしたドラマをやるというコーナーがありましてね。
この番組で有名なコンピューターの相性占いよりも、僕は、こっちの方が好きでした。
ですから、井上 順之の司会の頃よりも、今は亡きマエタケさんの司会の頃の方が好きだったなあ。
ではどうぞ。
お次はこれ。
松崎しげるの「愛のメモリー」。
この歌は、当時の黄金カップル三浦友和と山口百恵の出演したコマーシャルのテーマソングでした。
僕は、歌手の松崎しげるの濃すぎる顔とキャラクターは馴染めませんでしたが、この歌は好きでした。
とにかく、この歌を歌えれば、イコール歌がうまいということになりましたので、カラオケのない時代でしたから、ギターを抱えては密かに練習した思い出があります。
ではどうぞ。
さて、本日の昭和歌謡、最後はこちら。
城卓矢の「骨まで愛して」。
もう、昭和の香りがプンプンして、たまりません。
この曲も、同名タイトルで日活で映画化されてますね。
主演は、渡哲也。
本人も、本人役で出演しているのですが、僕は、どうもこの人の顔が、渡哲也とダブってしまいます。
この歌のタイトルのインパクトが、子供心にキョーレツだったのをよく覚えています。
ではどうぞ。
以上。
「昭和歌謡の夕べ」終了。
ありがとうございました。おかげで、ストレスはどこへやら。
気持よく眠れそうです。
では、おやすみなさい。
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アラフィのカラオケミーティングも、今回で会を重ねて14回目。
今回は、ちょうど同じ場所で、「東上線洋カラオフ会」という、イベントが催されるということで、メンバー3人で2時間ほど歌ったあとで、そのまま流れ参加させていただきました。
メンバーのうち、僕ともう一人は、東上線沿線在住。
もう一人の紅一点は、都内の方ですが、参加資格が「東上線を一目でも見たことのある方」ということで無事クリア。
同好のみなさんと、土曜日のほぼ半日、楽しい時間を過ごしてまいりました。
話を聞くと、「東上線洋カラ」のメンバーの皆さんは、ほぼ40代前半。
僕よりも一回り下の世代でしたね。
(もう少し下の世代の方もいらしたかも)
オアシスやら、ミスター・ビッグやら、ケイティ・ペリーなどは、ちょうど彼らのリアルタイム。
しかし、このあたりからの洋楽は、恥ずかしながら僕は完全に乗り遅れています。
90年代以降の洋楽は、完全に「おいてけぼり」状態。
歌うことはおろか、口ずさむことも出来ない。情けなや。
なんとか歌えて、80年代の前半までです。
アラフィのメンバーなら、同世代ですので、このあたりをちゃんと共有できるので安心なのですが、果たして、彼らにはどうか。
しかし、みなさんたいしたもので、こちらの心配をよそに、ちゃんと、70年台や80年代の洋楽まで守備範囲に入れてるんですね。
ほっといたしました。
レディ・ガガやレニー・クラビッツも飛び出しますが、その後には、ちゃんとクイーンも出てくれば、ジャーニーも出てくる。
どう考えても、彼らにとってリアルタイムではない洋楽クラシックも、「後追い」で、ちゃんと聞いてレパートリーにいれているあたりは、みなさんあっぱれでした。
そして、こういう世代ギャップがある時の、頼みの綱は、こちらとしてはやはりビートルズ。
しかしこれも、みなさんバッチリ歌ってくれました。
「涙の乗車券」や、「ペイパーバック・ライター」をハモれたのは、オジサンとしては、なかなか感動的。
こりゃ、こちらが、いつまでも、浦島太郎ではいかんと思ったオフ会でした。
また、参加させてもらおうと思います。よろしく。
さてそれでは、今回のアラフィ・カラオケ・ミーティングの中から、本日は一曲。
かぐや姫の名曲に、コーラスを協力してもらったこの曲。
なんだか今年は、雪の当たり年。
都会に住んでいると、雪はノーサンキューですが、歌の中の雪はノーテンキなくらいロマンティック。
雪をテーマにした歌には、名曲が目白押し。
さあ、そこで、今夜は、雪の歌メドレー。
何曲くらいご存知でしょうか?
80年代の、ナンバーワンアイドルといえば、やはりこの人。
まあ、僕は特にこの人のファンというわけではありませんでしたが、やはり歌は良かった。
ユーミンと松本隆がガップリ組んで作り上げだ楽曲のクオリティは、ちょっとその他のガールズ・ポップスとは頭ひとつリードしてましたよね。
ブリっ子と言われようと、うそなきと言われようと、やはり年頃の女の子の、淡い恋心を表現する彼女独特の歌唱と表現力は、その後のアイドル歌手の、見事なお手本になりましたね。
とにかく名曲がキラ星のように揃った彼女の作品の中から、今回は冬をテーマにした名曲を歌ってみました。
まずこれ。
これは、おなじみのシングル。「ハートのイヤリング」
ふられてしまう女の子の、心模様が切ない失恋ソング。
それから、「真冬の恋人たち」。
このアルバム「CANDY」に収められた聖子ウインターソングの決定版。
シングルにはなっていないのですが、この歌を初めて聞いたトキ、大学生だった僕はウルウルしましたよ。
いや、ほんとの話。
今僕は、松田聖子と同じ50代になっていますが、今でもやっぱりグッと来る。
これは、僕の中の、聖子ソングNo.1ですね。
歌の中で、男性パートがあるのですが、このパートを歌っていたのは、杉真理でした。
さて、最後は「SWEET MEMORIES」
これは、サントリーのコマーシャルソングでした。
特に冬の歌らしい歌詞は出てこないのですが、ペンギンが出てきた例のコマーシャルのイメージで、ウインターソングにさせていただきました。
さて、僕が使っているJOYSOUNDのカラオケですと、残念ながらキーコントロールがないので、今回はオリジナルキーで挑戦。
(80年代当時に使用されていた、動画カラオケを使用しているんですね)
では3曲続けて、松田聖子ウインターソング・カラオケショータイム!!