さて、「悪魔くん」の第6話を見て、ブラウン管の前で、凍りついた7歳の僕は、同じ年、映画館のスクリーンの前でも背筋をぞっとさせていました。
映画館で震えてしまった映画は、あの「大魔神」。
日本特撮映画史にその名を刻むこの映画は、フランス映画「巨人ゴーレムをインスピレーションとし、それに日本の民話や伝説を加えた初の特撮時代劇として製作された、当時の大映京都特撮陣の職人技が光る看板シリーズの第一作目。
高速度撮影や、大胆なブルーバック合成を取り入れた巨大感の演出と、大魔神が城門を木っ端微塵に吹き飛ばす、緻密でリアルなミニチュアワークは、この分野のパイオニア、東宝の円谷プロと比べても、けしてひけをとることのない出来栄えです。
これは人間の約2.5倍という大魔神に合わせ、2.5分の1に縮小されてセットが組まれたもので、当時一流の映画美術の技が十分に生かされた重厚なものとなっています。
特に人間の眼をそのまま利用した大魔神の眼の演技は圧倒的。
この眼による威嚇の恐怖は、カメラの前では、一切まばたきをせずに、充血した眼で、「大魔神」を演じきった橋本力氏(元毎日オリオンズ)によるところが大きいといえましょう。
大魔神といえば、やはりパッと頭に浮かぶのは、穏やかな表情の埴輪武人像が、一瞬のうちに憤怒の形相の大魔神に変身する際のカタルシスでしょうか。
この「大魔神」の強烈なインパクトは、僕も含めた、当時の子供達を震え上がらせましたが、昔ながらの勧善懲悪のストーリー展開と、卓越した特殊技術により、子供だけではなく、大人の鑑賞にも充分耐えうる娯楽作品になっています。
今、いい大人になって見直しても、「どうせ子供が見る映画」という作り手の手抜きは一切無し。子供をなめてかかっていない重厚なつくりが、この映画の醸し出す「恐怖」の根底にはあります。
そのエンターテイメント性と、大魔神の造形は、間違いなく一流ですね。
さて、この映画のクライマックス・シーン。
下剋上で城主の座を奪った上に、重税と苦役で領民を苦しめ、あげくの果てに、魔神像の破壊までも命じた元家老の大舘左馬之助を追いつめた大魔神は、左手で左馬之助をワシづかみにすると、ちょうど十字架型になっている破壊された家屋の柱に押し当て、左馬之助の手下が額に打ち込んだクイを右手で抜き取り、左馬之助の胸に突き立てます。
処刑をおえて、ゆっくり振り返った「大魔神」の顔の、まあ恐いこと。恐いこと。
しかし、僕が、この映画を見たその晩に、夢の中でしっかりリプレイされて、うなされたほどの恐怖シーンというのは、実は、このクライマックスシーンの直前にありました。
大魔神に追われて、場内を逃げ回る、悪城主左馬之助。そして、城を破壊しながら、次第に追い詰めていく大魔神。
城の小部屋に逃げ込んだ左馬之助をつかまえようと、大魔神の手が追いかけます。
逃げる左馬之助。
さあ、ここまではこれまいと左馬之助が、後ずさりしていく、その背後に、大魔神の大きな手が忍び寄ります。
「あ、後ろ後ろ!」
スクリーンの前の少年たちは、みんな心の中で、そう声を出していたかもしれません。
そして左馬之助が振り返って逃げようとした瞬間、大魔神の手は、ガッシリと左馬之助を捕らえます。
いやしかし、そのシーンのこわかったのなんのって。
やはり、恐怖の演出というのは、つまるところ、鑑賞している側の心理を手玉に取るような緩急をつけた「見せ方」なんですね。
同じ大映の大ヒットシリーズ「ガメラ」は、特にシリーズ後半、子供映画に成り果ててしまっいましたが、この「大魔神」3部作は、子供に下手に迎合しなかった分だけ、当時の子供たちには、強烈な印象を与えました。
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