1988年2月、愛知県名古屋市で強盗殺人・集団強姦事件が発生。
人間が行ったとは思えない残忍な手口と身勝手な犯行動機で、日本中が震撼。
犯人グループ計6名の大半が未成年。
通称・名古屋アベック殺人事件。
1988年11月、東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件。
この事件は、加害者が全て少年(未成年)。
犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったこと、などの点で社会に大きな衝撃を与える。
通称・女子高生コンクリート詰め殺人事件。
1990年2月2日、福岡県太宰府市で17歳の無職少年が7歳の男子小学生を誘拐。
大野城市の空き地に連れ込み猥褻行為をし殴ったうえで絞殺。
この少年は14歳の時にも8歳の女児を山中に連れ込み猥褻行為をしたとして少年院に入っており、仮退院から2年後の事件。
通称・福岡・佐賀連続児童猥褻事件。
1992年2月、少年(当時19歳)が、フィリピン人のホステスと性的関係を持ったことにより、暴力団関係者が200万円を要求。
工面に困った少年は、その数日前に交通事故で轢き強姦した女子高校生のA子さん(当時15歳)の家に強盗目的で押し入る。
少年は、現金8万円を奪った後A子さんの祖母(当時83歳)を絞殺。
その後、帰宅したA子さんを監禁。帰宅したA子さんの母親(当時36歳)を刺殺。
A子さんを強姦した後、帰宅したA子さんの父親の会社社長(当時42歳)を殺害
預金通帳を奪う。その後、A子さんの妹(当時4歳)も刺殺。
通称・市川一家4人殺人事件。
1997年に兵庫県神戸市で発生した連続殺人事件。
犯行声明文に記載された仮名から容疑者の少年Aを「酒鬼薔薇聖斗」と称したことから、別名『酒鬼薔薇事件』とも呼ばれている。
5月26日、男児が行方不明。
5月27日早朝、二枚の紙片(犯行声明文)が添えられた被害男児の頭部が市内の中学校正門前で発見。これ以前にも、二名の小学生が犠牲になっていた。
通称・神戸連続児童殺傷事件。
1998年1月28日、栃木県黒磯市(現:那須塩原市)で発生した生徒による教師刺殺事件。
この事件を起こした当時13歳の少年は、補導歴や問題行為などの無い、いわゆる「良い子」「おとなしい子」であったことが社会に衝撃を与える。
少年は当時26歳の女性教師に授業に遅刻したことを注意された際、カッとなって刺したという。
通称・栃木女性教師刺殺事件。
1998年1月8日。大阪府堺市の路上で上半身裸になった19歳の男が女子高生、幼稚園児と園児の母親を包丁で刺した。園児は死亡、他の二人は重傷を負った。
通称・堺通り魔事件。
1999年4月14日に山口県光市で発生した凶悪犯罪。
当時18歳の少年により主婦(当時23歳)が殺害後暴行され、その娘(生後11カ月)の乳児も殺害された。
通称・光市母子殺害事件。
2000年5月3日13時35分頃、九州自動車道太宰府インターチェンジ付近で、佐賀第二合同庁舎(佐賀県佐賀市)発西鉄天神バスセンター(福岡県福岡市中央区)行きの西日本鉄道(西鉄)の高速バス「わかくす号」を、刃渡り約40センチの牛刀を持った17歳の少年が乗っ取った。
犯人は3人を刺し、内68歳の女性1人が死亡。
通称・西鉄バスジャック事件。
1990年代になってから発生した、世間を騒がせた少年犯罪の主だったところをあげれば以上のとおり。、少年犯罪は、あきらかに、1990年代以降、爆発的に増加し、その内容も目を覆うものが多くなりました。
この少年犯罪の増加は、この時期、彼らの生活に、徐々に浸透していった、テレビゲームの影響とは無関係ではないでしょう。
殺人シーンなどが含まれる暴力的なテレビゲームと子供の行動との因果関係については未だはっきり結論づけられているわけではありませんが、暴力的なゲームが子供を殺人に駆り立てるという論調は、日本ではいまだに幅をきかせています。
それがすべての原因であるとは、もちろん僕も思いませんが、まったく影響なしかといえば、それも考えにくい。
いずれにしても、暗い部屋の片隅で、モニターの前に座って、ピコピコとやりながら、「脳」の中に、殺人の疑似体験を刷り込んでいく行為が、健康的であるわけがないですね。
さあ、こんな陰湿で残忍な少年犯罪が多発する日本で、そんな彼らに、「宣戦布告」してやろうという、とてつもなく「危険」で「エネルギッシュ」な老人がおりました。
映画監督・深作欣二です。
映画「バトル・ロワイアル」は、高見広春の同名小説を原作にした、2000年公開の日本映画。
中学生同士が殺し合うという原作の内容から、青少年への悪影響を危惧して、この映画の規制を求める運動が行われ、石井紘基は2000年11月17日、国会で大島理森文部大臣にこの映画に対する政府の見解を求める質疑を行いました。
これがマスコミに取り上げられることになり、社会の関心が集まります。
そしてそれが結果的に、この映画を、興行収入31.1億円の大ヒット作にしてしまったわけですから皮肉なものです。
出演は、藤原竜也、前田亜季、山本太郎、ビートたけし。
『バトル・ロワイアル』への出演によってブレイクした俳優は、柴咲コウ、塚本高史。
又、栗山千明は本作を鑑賞したクエンティン・タランティーノに認められた事から『キル・ビル Vol.1』に出演し、バトル・ロワイアルでの、彼女の出演シーンをオマージュしたシーンを自ら演じておりました。
この映画を、道徳的にどうのこうのと評価するつもりはさらさらありません。
とにかく、見ていて感じたことは、テレビの前で、シコシコと「殺人ゲーム」に興じている中学生たちを、映画という、ナマの現場に引っ張り出して、おもいきりリアルな殺し合いをさせてみたいという、深作監督のクリエイターとしての執念。
菅原文太でもなく、松方広樹でもない、パーチャル世界の住人である「中学生たち」が、実際にドスや拳銃やライフルをふりまわす様を、映像化する。
この危険かつ魅力的なアイデアに、この監督は、はまってしまったのでしょう。
彼の想いは、映画の中では、教師役ビートたけしのセリフになってぶつけられます。
「昔は、おまえら殴りながら、付き合い方を測れたもんだ。しかし、今では、おまえらに刺されても、文句ひとつ言えねえ。」
「はい、今日はちょっと、みなさんに、殺し合いをしてもらいます」
もちろん映画は、映倫よりR-15指定を受けます。
そして、2003年7月5日には続編にあたる『バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』が公開。
そして、2004年6月1日、この映画(15禁)のDVDを借りていた小学六年生の少女が、小学校内で同級生を殺すという佐世保小6女児同級生殺害事件が発生。
この子は小学3年生からこの小説のファンであり、事件の前にはこの作品の同人小説の創作に夢中であったということから、物議を呼び、再編集版『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌 REVENGE』の発売は延期されたとのこと。
「問題作」になることは承知で製作したこの映画は、注文どおりに「問題作」となっていきます。
しかし、深作監督としては、このあたりは「想定内」。
深作監督は、暴力的な作品を撮る映画監督というイメージが強いですが、1930年生まれの彼が、戦争という巨大な暴力を体験したことをきっかけに、逆に、暴力を描くことで、暴力を否定しようという考えを持つにいたったことは、想像に固くありません。
だからこそ、様々な批判を受けても、彼は最後まで作風を変えなかった。
「俺が、映画監督としてやりたいことは、説教でもメッセージの発信でもない。ただ、自分の前にある素材をエンターテイメントにするだけ。後は、そっちで考えてくれ。」
彼が、実際にそういっているわけではありませんが、この映画を見ながら、僕にはそんな、「彼の声」が聞こえたような気がしましたね。
2003年1月12日。深作欣二永眠。
合掌。