「あ。写ってるじゃん。百蘭。」
正月に久しぶりに集まった弟たちと、昔の写真をつらつらと見ていたら、末の弟がその写真を発見しました。
写っていたのは、伝説のラーメン家。
その名を「百蘭」といいます。
我が家の実家は、JR京浜東北線から与野駅西口を降りてから徒歩で58歩のロケーションにあった本屋でした。
この界隈は、区画整理で、今はもうまったくの様変わり。
昭和40年代当時の面影は、ほとんどありません。
もちろん、そのラーメン家「百蘭」も、今はもうありません。
写真を見ていただければわがるように、「百蘭」は、我が実家の本屋から見ればほぼハス向かい。
小学校時代の僕は、本屋の仕事で忙しい両親から、百円玉1個をもらっては、足しげく「百蘭」通いをしておりました。
当時ラーメン1杯70円。ワンタンメン90円。チャーシューメン120円。
ほとんど二日に一度のペースで食べていたこの店のラーメンでしたが、実はこのときはまだ、この店のラーメンがそんなにおいしいという認識はありませんでした。
というよりも、当時の僕にとっては、外で食べるラーメンといったら、ほとんどこの店のラーメンしかなかったわけですら、優劣はつけようがありません。
僕が、この店のラーメンが、実はそんじょそこいらある中華そばとは訳が違うんだと思い知るのは、この「百蘭」が閉店したあとのこと。
都内の大学に通う行き帰りに、いろいろなラーメンを食べるようになるのですが、どこでどんなラーメンを食べても、あきらかに「百蘭」には及ばないラーメンばかりだったんですね。
さあ、そうなると俄然、この「なつかしい」ラーメンの味が恋しくなります。
「百蘭」のラーメンは、いわゆる醤油ペースの中華そば。
まだ、「とんこつラーメン」は、九州地方のローカルラーメンで、東京には進出していない時代です。
覚えているのは、「なると」と「シナチク」「ほうれんそう」のトッピングに、フチが赤くなっていたチャーシュー。そして、どんぶりのフチまでたっぷりかかっていた「味の素」(らしきもの)。
少年の僕は、とにかくいつでも、このラーメンを最後の汁一滴まで残さずたいらげていました。
この百蘭のご主人は、当時ですでにかなりの高齢。
商売っ気はまるでない人で、「道楽」でやっているんだといっていたのを聞いた記憶があります。
5~6卓ほどの、4人がけのテーブルに丸椅子がおいてあるだけの店内。
ラーメンが出てくるのは、いまの常識からすれば、少々待たされるくらいの時間でしたが、それはけして苦にはなりませんでした。
この店は、閉店後は、「アンデス」というパン屋さんになってしまいます。ご主人の娘さんが店長になっていました。
子供心に、、あの百蘭のラーメンは、もう食べられないんだという寂しさは感じたものです。
その後、うわさでは、このご主人の弟子が、大宮駅のどこそこで、暖簾を継いでいるという情報を耳にしたことがあり、それらしいラーメン店を捜しましたが、見つけたラーメンの味は、明らかに百蘭の味とは違っておりました。
もし今、あのラーメンに再会したら、僕ははたして、あの味を覚えているものなのか。
その後、いろいろなラーメンを食べ歩いて、それなりにこえた舌でも、あのラーメンは果たしておしいしのか。
この百蘭のラーメンは我々兄弟にとっては共有の思い出です。
2009年の正月、一枚の写真から、おもわずラーメン談義に花が咲きました。
さあ。インターネットの時代です。どなたか、この「百蘭」のラーメン情報をお持ちの方がいれば、是非とも教えてくださいませ。
今でしたら、それがたとえどんなに遠いところにあっても、飛んでいきます。
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