義援金の募金箱にチャリンとお金を入れるたびに頭をかすめてましたね。
「これ、ちゃんと届くんだろうなあ。被災地に」
義援金は、基本的に善意ですから、おそらくは、管理が甘くなるのは必至。
そんな金が、いろいろな人の前を通過していくわけですから、確信犯で狙う人や、魔が差す人だっているんじゃないのかなあ。
ちょっとくらい、ガメても、誰も数えてやしないっショなんてね。
募金をする行為というのは、どこかマスターベーションなところがあります。
街頭や店頭でチョリーンと募金すれば、おお、俺っていいことしてるぞという気になれる。
そのマスターベーション。
だから、そこから先はどうなったのって、みなさん意外に関心が薄い気がしてます。
自分が寄付した義援金は、ちゃんと被災地に届いて、被災者の方の救援物資や家や道路の修繕に使われているのかどうか。
募金活動の方は、やたらニュースになるけど、その先は、まずニュースにしてくれない。
本当は、もっとそっちをちゃんと見てないといけないわけです。
でもまあ、そこらあたりは、ボランティアが基本だということになると、そうも厳しくできないかなあというところでしょうか。
今時は、路線便に荷物を出せば、「問い合わせ番号」で追っかけられて、受け取る方も、送る方も、荷物の配達状況がわかるシステムなんてあたりまえにあるんですから、義援金もそうすればいい。
もしくは、緊急NHKスペシャルで、義援金の流れをレポートして下さい。
少なくとも、そんな善意のお金が、実際に被災地まで届いていないのだとしたら、どこで止まっているかくらいは、払った方には知る権利はあるだろうし、知ってなきゃダメだと思いますね。
義援金というのは、当然ながら人々の善意なわけですから、基本として、携わるすべての人を「信じる」ということが暗黙の了解になってしまう気がするんです。
ですので、その致命的な脆弱性を狙う悪意のウイルスは、少なからずいると思って間違いない。
要するに、払う方も、募金募金で浮かれていてはいけないということです。
そこから先も、ちゃんと土俵の上にあげて、その行き先は、みんなで監視してないといけない。
先日、街に出た時に駅前で、ちょっとした義援金募集のイベントをやってたんですね。
けっこう、そこそこの方が募金に協力していました。
僕も給料をもらったばかりだったので、ちょっとふんぱつして1000円札を一枚。
かわいい女の子はあえて避けて、一番はじにいたオジサンの持っている箱に入れたんですね。
オジサンはちょっと意外な顔して僕に、「ありがとうございます」
そして、僕はちょっとこんなことを言ってみました。
「すいません。お名刺いただけますか。」
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