僕の住んでいる川越から、圏央道が高尾まで伸びたんですね。
これで、我が家から高尾山までが1時間かからずにいけるようになりました。
ちなみにその途中の、入間市に会社があります。
土曜日は、早朝の会議がありましたので、そのあとに早退させてもらって、そのまま高尾へ直行。
武蔵野の秋の紅葉を楽しんで参りました。
高尾山は、ちょうど「紅葉まつり」。
いろんなイベントもやっておりましたが、生憎の雨。
しかし、山ガールやヤマハおばさんたちが相方や仲間と一緒に、山歩きホリデー。
けっこうな賑わいでしたね。
ケーブルカーで、山の中腹まで上り、そこから高尾山頂までの山歩きが小一時間。
高尾の秋の紅葉をなめて、関東平野一円、遠くは相模湾まで望めようかという大パノラマを
満喫して参りました。
高尾山にある薬王院は今から約1200年前に開山された真言宗の寺院。
正式には「高尾山薬王院有喜寺」。
この寺院の造形も、秋の紅葉にしっかりとシンクロしていてなかなかステキでした。
やはり、50歳も越えてくると、自然の中に身をおくことがやたらと快感になってきます。
手持ちのWi-Hi ルーターを見ると、しっかり「圏外」。
これで初めて、仕事から離れて休日モードですね。
ちなみに、自然が快感といっても、例えば、尾瀬のように、手つかずの自然ということになると、実はちょっと引いてしまうようなところがあります。
もちろん、そういうところを保護しなければというのは理屈ではわかります。
しかし、そこまで面倒くさいことになると、僕としてはご勘弁。
そういうところは、専門のNPO法人か、地元の人か、学者先生にお任せという気になります。
かといって、すべてが人工の都市空間というのも、さすがになノーサンキュー。
なにがいいのかというと、自然と人間がちょうど折り合っているような田舎くらいの自然が、断然心地いいんですね。
今回も、高尾の山を歩きながらそう思いました。
木の生い茂る山に、人間作った寺院のシンメトリーな構図が、ポコッと現れると、思わわずデジカメでパチリ。
なにか、そこにある自然と相談しながら、お互い譲りあって人工の物を建設する。
そんな、謙虚な配慮があれば、自然だって、無下にへそは曲げないだろうという気がします。
この山に最初は、ツバメはいなかったそうです。
最初、山の下の木造の商店街に巣を作り始めたツバメが、ケーブルカーを作ってから、山の中腹にも、おみやげ屋ができ始めて、だんだん、山の上にも進出。
今では、高尾山全体の生態系に、ちゃんと名を連ねる鳥になっているそうです。
自然の保護を謳った看板は、高尾山のあちらこちらに見られましたが、僕としては、保護よりも、いかにして自然と付き合うかの方が、大切なような気がしてしまいます。
なにか「保護」といってしまうと、人間のほうが、自然よりも格上というような印象を感じてしまうんですね。
自然の反対語として、人工という言葉があるように錯覚してしまいますが、そもそも、人間自体は立派に自然だと思います。
都市という空間は、あくまで人間の「意識」が作り出した空間です。
つまり、元々は、人間の脳の中にあったもの。
ところが、人間には、意識だけではなく、無意識というものももっています。
例えば、呼吸をする。血液を循環させる。夢をみる。
こういうものは、すべて、無意識です。
人間の、遺伝子の中に、組み込まれているものを、体が、僕達にはそれと意識させずに、日々粛々と機能させているわけです。
血液の流れを、止めようと「意識」して、止められる人はいません。
この「無意識」の部分が、実は自然なんですね。
当然、無意識は、人間には、意識できませんから、形にはできません。
したがって、都市という、人間が作った空間にも、形や仕組みを作れません。
都市という空間には、もともと、人間が意識として、納得できているものしかありませんから、
無意識が、形になることを都市の住民は非常に嫌がる。
だから、都市から、コントロール出来ない自然は、どんどんと排除されることになるわけです。
しかし、その無意識の自然だって、実は人間を司る紛れも無いパーツなんですね。
これを無視することが、実は、都市に起こる問題のすべてのおおもとになっているような気がします。
都市の中に、人間の意識しないものが出現するとどうなるか。
例えば、ゴキブリです。
なんで、あのゴキブリは、都会の人達にあそこまで、ヒステリックに嫌われるのか。
それは、彼らが、人間が作った空間に、予期できない状況で、モゾモゾと現れるからなんですね。
つまり、人間がコントロールしている空間では、彼らは完全に予想外の存在。
だから、ゴキブリは、都会の人にだけ、目の敵にされます。
例えば、カブトムシやクワガタは、その造作は、冷静に見れば、ゴキブリとそうは変わらない。
しかし、彼らは、元々、森や林にいたものを、人間が捕まえて、人間がデパートに売り、
それを人間が買って、部屋の虫かごにいる。
つまり、彼らの存在は、人間がきちんと想定して、人間のいる空間にいる。
その手続を踏んでいるから、彼らは、同じ昆虫でも、ゴキブリのような憂き目には会いません。
ゴキブリだって、もしも、高尾山の自然の中に生態系としてもぞもぞしているなら、それを、山歩きの人が見かけたとて、悲鳴まではあげられないと思います。
なにやら、話が、高尾の紅葉から、ゴキブリまですっ飛んでしまい恐縮です。
まあ、そんなとりとめもないことを考えられた、貴重な休日でした。
というわけで、撮って参りました動画を、久しぶりに、Youtube にアップいたしました。
ご覧いただければ幸いです。
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