1960年代の10年間は、僕は1歳から11歳。
ですから、60年代の映画女優をリアルタイムで見ているわけではありません。
僕が、なけなしのお小遣いをはたいて、有楽町まで映画を見に行くようになるのは、
中学生になってからですから、60年代の映画は、そこから遡っているわけです。
当時は、「スクリーン」と「ロードショー」という、二大映画雑誌があり、
我が家は本屋でしたから、両雑誌は、隅から隅まで読んでおりました。
もちろん、60年代を飾った、銀幕のスターたちとの出会いは、埼玉の映画小僧にとっては、まずはそこから。
到底日常生活ではお目にかかれないような、ナイスバディの超美人たちに胸をときめかせて、
そこでいいなと思った映画を、巻末のロードショー案内をチェックしては、有楽町目指して、京浜東北線に乗り込んでいたわけです。
まだ、タウン情報誌「ぴあ」もなかった頃のお話です。
当時は、1000円札一枚握りしめていけば、日比谷映画街で、中学生料金でロードショーを2本見て、
かけそばを一杯食べ、往復の切符を買って、かろうじてお釣りがあったような時代。
マセガキだった僕は、月3000円のお小遣いを、躊躇することなく、すべて映画鑑賞に使っておりましたね。
そんなこんなで、60年代に活躍した映画女優たちは、多感だった少年の頃の僕に、しっかりと刷り込まれていったというわけです。
では、そんな60年代の映画女優たちを、僕のつたないイラストで紹介してまいりましょう。
エリザベス・テイラー。
まあ、なんて綺麗な女優さんなんでしょうか。
この人のデビューは40年代。
その頃の彼女は、まだ可憐な少女でしたね。
その彼女が、50年代になって、「花嫁の父」や「陽のあたる場所」では、ため息が出るくらいに美しいレディに成長し、60年代には、演技派としても成熟していきます。
僕が好きなエリザベス・テイラーは、1960年の「バターフィールド8」の娼婦役から、
リチャード・バートンと黄金コンビを組んだ「いそしぎ」の頃までの彼女。
1965年の、大作「クレオパトラ」で、美人女優としての頂点を極めた彼女は、それ以降、
美人女優の看板をおろして、演技派へと脱皮していきます。
「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」では、髪を振り乱しで、凄まじいオバサンパワーを
炸裂させていました。
しかし、ミーハーな僕としては、やはりオバサンになったエリザベス・テイラーには興味なし。
やはり、完璧な美を誇った、全盛期の60年代の頃の彼女がベスト。
映画女優ここにありといったかんじ。
作品としては、「予期せぬ出来事」あたりが、面白かったなあ。
次はこの方。
ジャクリーン・ビセット。
この人はメチォクチャ好きでしたね。
もちろん、それは今でも同じ。
何がいいのかと言って、説明できるものではありませんが、
まあ、お会いしたことがあるわけではありませんから、ビジュアルのイメージなんでしょう。
1973年にフランソワーズ・トリュフォー作った「アメリカの夜」に、彼女は主演しましたが、
その映画出演時の、彼女がトロピカルドリンクを飲みながら微笑むポスターは、
当時の僕の部屋の一番いい所に、ドーンと貼ってありました。
彼女のデビューは、1965年の映画「ナック」
そこから、「刑事」で、フランク・シナトラ、「ブリット」で、スティーブ・マックイーンなど、
大物たちとの共演で、着々とキャリアを重ねていきながら、
「クリスチーヌの性愛記」や、「シークレット」なんていう、B級作品では、ヌードを披露するなど、
当時色気ざかりの僕を、大いに喜ばせてくれたものです。
出番は少なかったけれど、「経験」という、映画の彼女は好きだったなあ。魅力的でしたね。
「ディープ」の水にぬれたТシャツは色っぽかったですが、これは1977年の作品。
アン・マーグレット。
この人も、肉感的で、セックスアピールが強烈でした。
60年代前半は、エルビス・ブレスリーの映画に出演したり、
達者なノドを披露したりもしていましたが、やはりなんといっても、
彼女を、歌って踊れるだけでなく、演技派としてもワンステージ上げたのは、映画「愛の狩人」。
あの映画の彼女は、超生々しく、リアルで、セクシーでした。
ジャック・二コルスンが、彼女の豊満なバストに、顔をうずめていくシーンが有ったのですか、
これが強烈な印象で、それ以後の、僕の女性の好みを決定づけたといっても過言ではないですね。
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