小学校3年の春から、サラリーマンになるまでの、およそ15年ほどを、JR与野西口駅前で、過ごしました。
昭和41年から、昭和57年くらいまでですね。
西暦で言えば、1966年から、1982年まで。
御存知の通り、与野駅西口は、区画整理事業後、まるで様変わりしてしまっています。
今、ここを訪れても、駅前に関してだけいえば、僕が住んでいた当時の面影は微塵もありません。
あそこに住んでいたものとしては、複雑な思い。
僕のブログでは、うちに残っていた写真で、当時の与野駅西口を紹介したこともあるのですが、
今回は、試しにネットの画像検索で、「与野駅西口 昭和」と入れてみました。
すると、僕がブログででアップした写真の他に、僕が住んでいた以前の与野駅界隈の写真もヒット。
おもわず声を上げてしまいました。
レトロ写真オタクとしては、これは嬉しい限り。
ちょっと紹介しておきましょう。
まずこれ。
これが、おそらく昭和20年代の、国鉄(当時)与野駅から撮った与野駅西口駅前通。
向かって右側に見えるのが、「興文堂」。
本と文房具を扱っているお店です。
これが、僕の実家「いずみ書店」の前身。
この時代は、僕の祖母の妹の旦那さん(ややっこしいね)が店主をやっていました。
さて、この写真をじっくりと眺めて、僕がおもわず「おっ」と声を上げたのが、向って左側の、
我が「興文堂」のほぼ正面に、かすかに屋号が読める丸い看板です。
これが「百蘭」という、中華そば屋の看板。
ここのラーメンがとにかくメチャクチャ美味しかったんですね。
じつは、僕がそれに気がついたのが、このラーメン屋がまだ昭和の時代に店をたたんでから後のこと
というのも、子供の頃は、ラーメンといえば、僕はここのラーメンしか食べたことがなかったわけです。
ですから、そもそも、ラーメンという食べ物は、こういうものだと、僕自身は、ずっと思っていた。
それが、この「白蘭」がある日突然、店を閉めてしまい、「アンデス」というパン屋さんに
なってしまいました。これはショックでしたね。
以後は仕方なく、あちこちの中華そば屋に足を伸ばすようになり、いろいろなラーメンを
経験していくことになるのですが、これが、どうにもおいしくない。
というか、「白蘭」のラーメンは、完全にその他のラーメン屋とは、まるで別次元の味でしたね。
しかし、それに気がついた時には、すでに、「白蘭」はなし。
ここから、今でも続く、僕の「美味しいラーメン」探しが始まりました。
それ以降続けた「おいしいラーメンツアー」で、僕は征く旅の先々で、おいしいラーメンを
探し続けましたが、この「白蘭」のラーメンに届くラーメン屋は未だ巡り合わず。
その中でも、味で、かなり肉薄したのは、荻窪にある中華そば屋「春木屋」でした。
しかし、それでも残念ながら、僕にとっては「白蘭」のラーメンには届きません。
白蘭の大将は、その後、お弟子さんに暖簾分けしているとは聞いていたので、
いつか死ぬまでには、なんとかあの味を探し当てて、あのラーメンを、もう一度食べてみたいと
心秘かに思っている次第。
ついでに申し上げておきますと、「白蘭」は、ラーメンだけでなく、餃子も、焼きそばも、
カツライスも、すべて絶品でした。
中でも、僕が特に好きだつたのは、「ワンタンメン」。
ランチ前になると、母親が忙しくて、食事の支度ができない時には、
いずみ書店全従業員と、僕たちお子様分の丼を持って、よく白蘭に足を運んだものです。
さて次。
これが昭和38年くらいでしょうか。
「興文堂」は、「いずみ書店」と名前を変え、当時としてはまだ珍しかった、鉄筋コンクリートの
ビルに変身しております。
「主婦の友」「三菱鉛筆」の横看板が見えるビルですね。
僕は、ずっとあのビルの3階に住んで、そこから、与野駅周辺を眺めていました。
当時はまだ、雑居ビルで、2階には家具屋。
1階には、保険屋さんなどの事務所もありましたね。
いずみ書店はまだ6坪程度の小さなお店でした。
そして、最終的にこのビルに、いずみ書店だけが残ったのが、昭和40年代。
この写真では、我が実家「いずみ」の看板と、2階の家具屋の看板が確認できます。
この写真で見る限りは、そこそこの人出ですが、当時、与野駅は、浦和と大宮という
埼玉県の看板都市に挟まれて、ひっそりとした佇まいでした。
しかし、かつて、与野駅と大宮駅の間に広がっていた、国鉄大宮操作場の広い敷地が、
今や、埼玉副都心に大変身。
与野駅西口にあった、我が「いずみ書店」も取り壊され、平成の時代になると
モダンなビルが立ち並ぶ都会に様変わりしてしまいました。
さて、そんな与野駅西口の歴史を刻む写真の中から、もう一枚紹介しておきます。
これです。
これが、昭和の時代、与野駅周辺に、たった1館だけあった映画館「与野文化劇場」。
この写真の頃は、昭和33年。
ですから、僕の生まれる前の年の画像です。
それですでに、この朽ち具合ですから、僕が頻繁に「ガメラ」シリーズを見ていた頃は、
もっと惨憺たる状態でした。
椅子のスプリングは飛び出ているわ、天井は抜けて空がのぞいているわ、
窓ガラスは割れたままだわ、
もちろん映写機も、相当ガタが来ていたようで、上映が中断することもしばしば。
入場料は、当時子供料金が、50円から70円だったと思います。
見たい映画がかかると、怪獣映画限定で、親から100円玉ひとつもらって、
お釣りの30円で、ポップコーンとサイダーを買って、1日中、繰り返して見ていましたね。
大映の映画の他にも、新東宝や松竹の映画も見た記憶があります。
そんなわけで、この与野文化劇場で、かかる映画は、与野駅西口界隈の
あちこちに、ポスターが貼られていました。
当時は、もちろんインターネットも、タウン誌もない時代。
映画の情報は、もっぱらこの街角のポスターが、メインソース。
中には、絶対に、子供がみることは許されないような、際どいタイトルの映画ポスターも。
関根恵子主演「成熟」。浅丘ルリ子主演「女体」。渥美マリ主演「いそぎんちゃく」
ませたガキであった、柿沢少年は、そんなポスターを食い入るように眺めながら、
自分も早く大人になって、この映画を見たいと思っていたものでした。
そうそう、実は、この大人の映画のさわりを見て、ドキドキしたのも、この与野文化劇場の
暗闇の中。
そうです。予告編ですね。
正直に白状しますが、僕が「ガメラ対ギャオス」と「大魔神」の併映を朝から晩まで、
何度も見ていたのは、本編よりも、この予告編見たさでした。
まさか、我が両親も、予告編が目的で、息子が映画館に通っているとはつゆ知らずだったでしょう。
ですから、今でも、あの当時の映画ポスターを見ると、AVをみるよりもはるかに
胸がワクワクドキドキしてしまいます。
先日は、そんな映画ポスターの資料を探しに、図書館まで出かけてきた次第。
今セッセと、そのポスターのイラストを製作中で、けっこうドツプリハマっています。
これは、次回のブログで、紹介することにいたします。
今、こういう写真を見るともっと自分のうちの近所の写真を撮っておけばよかったなぁ・・と思います。それは実家のあったところではなくて、今住んでいるあたりです。
平成になってからも変化が激しくて、なんといっても駅前にあった結婚式場の日本閣の在りし日の姿を自分で撮っておきたかったと思います。もう今となってはかなわない在りし日の姿。
昭和の写真を見るとほっとするのは自分が年をとったからだと思います。与野という文字も略字ではなく看板に表記されていて見たときはなんとかいてあるのだろう?と思いました。
投稿情報: ゆみりんこ | 2014年6 月13日 (金曜日) 午前 07時59分
コメントありがとうございます。
その風景がなくなってしまってみると、写真の貴重さが身にしみます。
実家が、解体され始めた時には、ビデオカメラを持って、わざわざ録画しに行きました。
もちろん、DVDにして、親戚一同には配布いたしました。
その映像も、あと10年して定年退職後にでも、ゆっくり見たらさぞや、感傷的になるでしょうね、
投稿情報: sukebezizy | 2014年6 月13日 (金曜日) 午後 01時51分
実は主人と浦和の上木崎に住んでいた時、母がよく連れて行ってくれた白蘭という美味しい支那そば?屋さんのラーメンが私にとって最高のラーメンだった!と話していて何気なくパソコンを検索していたら、こちらにたどり着きました。懐かしいですね〜、今は結婚して金沢におりますが白蘭の中華そばは今でもわたしにとって最高です。
投稿情報: 古瀬公子 | 2016年2 月 9日 (火曜日) 午後 07時18分
コメントありがとうございます。
与野駅周辺だった上木崎1丁目2丁目界隈はまるで変ってしまいましたが、旧中山道の向こう側の3丁目4丁目あたりは、まだ当時の面影を残している路地も残っていましたね。
三菱研究所や島忠はまだ同じところにあるんじゃないでしょうか。
上木崎小学校の角にあった「鎌田煎餅」はまだあそこにあって、僕の同級生がやってましたね。
投稿情報: sukebezizy | 2016年2 月 9日 (火曜日) 午後 09時31分
初めまして。旧与野市生まれの54歳です。幼少期はいずみ書店さんにはお世話に成りました。(笑)駅前周辺はほんとに変わってしまいましたね。あの映画館も目にしています。四谷怪談のポスターが怖くて泣いた様な記憶が有ります(笑)商店街の色々なお店が思い浮かびます。そうそう、いずみ書店さん上のマル輿家具さんに、あの北野武巨匠が働いて居たそうです。昔、ラジオ番組で告白していました。(笑)
投稿情報: こんちゃん | 2017年10 月28日 (土曜日) 午前 08時09分
貴重なコメントありがとうございました。
北野武さんの件は、知りませんでした。
あの家具屋さんの引っ越した後は、僕ら兄弟の遊び場になっていました。
投稿情報: Sukebezizy | 2017年10 月29日 (日曜日) 午後 05時18分