さて、そんなわけで、ゴールデンウィークをずらして取ることが出来ましたので、福島へ行ってまいりました。
2012年の8月に行った時には、仙台から海沿いの道を南下してきたのですが、南相馬市の先が、通行止めになっており、やむなく東北自動車道まで迂回して、いわき市に入りましたが、今回は国道6号線が全線開通とききましたので、海沿いの走れなかったところを、どこまで走れるか再チャレンジです。
5月12日火曜日。南相馬市の渋佐海岸からスタート。
南相馬市には、前日に入りました。
ビジネス・ホテルくらいなら当日でも泊まれるだろうとたかをくくっていたら、現着して、いくつか電話したホテルはすべては満室とのこと。
どうやら、復興事業関係で東北に出稼ぎに来ている作業員たちの宿泊場所として埋まっている気配。
確かに、海岸沿いに近づけば近づくほど、ダンプやトラックなどが目立つようになり、立ち寄ったラーメン屋も、ほぼそれらしき作業員でいっぱい。
仕方がないので、ネットカフェを iPhone で探して見つけ一泊。
早朝6時、工事中の、渋佐海岸の堤防に立って、太平洋を眺め、カーナビとニラメッコをしながら、出来る限り海沿いの道をチョイスして、いわき市まで南下していきます。
堤防工事の海岸には、生命力旺盛のスギナがあちらこちら。
こいつは会社の畑では天敵で、抜いても抜いても生えてくるやっかいものですが、こういう場所で見かけると、たくましいやつだなと思ってしまう次第。
さて、前回に来た時は、まだWi-Fiの電波が届かなくて、インターネットはほぼ使用できない状況でしたが、
今回はところどころ途切れるものの、かなりつながりました。
Google Map の3Dを、航空写真モードで眺めながら移動していると、走っている場所がほぼ俯瞰で確認できて、今回の強力な助っ人となってくれました。
ストリートビューも、ほぼ震災後の画像に更新されていて、状況を確認しながら走れましたね。
ナビとニラメッコをしながら、海沿いの道を探しますが、ことごとく阻む看板がこれ。
その度に、国道6号線まで迂回して、また海岸へ向かう道を探すという繰り返し。
まず、南相馬市で、海岸までいけたのは、小高区塚原。
ここは、堤防工事は行われていましたが、海沿いの一体は、いまだ震災後の津波で、町ごとさらわれたまま。
堤防の手前は広い野原で、家の基礎部分だけが残っている状態。
高台にある家も、1階部分が軒並み津波でえぐられたままで、震災当時のままの家がまだそのまま放置。
震災後に改築したらしき家も併存していましたが、見る限り人の住んでいる気配はなし。
もし、人が住んでいたとしても、この地区がはたして、街として機能するかどうかはちょっと疑問です。
道路の周辺に、いまだ津波にやられたままの民家が点在する田園風景を眺めながら、しばらく走ると浪江町。
しかし、浪江町に通じる道は、浪江町に入ると同時にバリケードで完全シャットアウト。
そこから先へは、入れません。
浪江町は、「帰宅困難地域」に指定されているところ。
国道6号線側からしか町へは入れないという案内ですが、国道6号線に迂回しても、通行許可証がなけれぱ入れません。
しばらく6号線を走ると、双葉町。
この町も、帰還困難区域にしていされているところ。
国道6号線は走れますが、そこから町へ入る脇道はすべて綺麗にバリケード封鎖。
ところどころに、通行許可証を提示してはいれるゲートが有ります。
国道に面した施設や店舗も営業している気配はなく、入り口は塞がれて、立ち寄ることは不可。
このあたりは、ただ6号線は走って通過するしかないという状況です。
ちなみに、ここはJAふたば。
農協ですね。
ここで、原発に一番近い農協で売っている福島産の野菜の苗を買って帰って来いというミッションがあったのですが、残念ながらクローズド。
双葉町を過ぎると、いよいよ福島第一原発の町、大熊町。
長者原を過ぎて、中央台の交差点まで来ると、JR常磐線の大野駅へ続く道から、大型のバスがひきりなしに入っていきます。
入り口にゲートらしきものは見えなかったので、試しに入って行くと、やはり検問はありましたね。
やむなく、引き返してくると、反対側からは、大型ダンプが、これもひっきりなし。
朝の9時ということを考えると、入っていった大型バスに乗っていたのは、原発内で働く作業員たち。
出てきたのは、原発内の廃棄物を積んだダンプ。
まあ、そんなところでしょう。
野次馬根性で、申し訳ありませんが、やはり福島第一原発は、中に入れないまでも、その遠景くらいはこの目で確かめておきたいところ。
ここは、いつかまた来ることにします。
さて、大熊町の隣は富岡町。
ここは、バリケードはなく、町の中へ来いって行けました。
しかし、避難区域であることは間違いなく、多くの住民の方がいまだに避難生活をしているところ。
町は、除染作業の真っ最中でした。
一時帰宅している住民もチラホラ見かけましたが、概ね作業している人の方が目立ちました。
さて、町まで入っていけたならばと、海岸を目指しました。
このあたりは、国道6号線も、JRの線路もグッと海沿いになってきます。
危険地域という看板は、チラホラと見かけましたが、なんとか海岸までたどりつきます。
海岸周辺は、いまだに悲惨な状態でした。
海岸沿いには、汚染物処理施設がたてられ、町から運ばれた黒い排気物のフレコンがうず高く積まれ、海沿いの県道391号線は、その置き場所として使われており、ほぼ通行不可。
まだまだ、行政の復興事業はまだまだ届いていないという印象です。
さて、大熊町の隣は、楢葉町。
この先は、小名浜まで、比較的順調に海沿いの道を走ることが出来ました。
海岸沿いに、かすかに見えたのは、福島第二原発かなと思っていたら、iPhone で確認したところ、広野火力発電所でした。
天神岬スポーツキャンプ場がありましたので、ここでまた海岸を目指します。
海岸あたりまでくるまと、人通りが多くなってました。
営業しているのかなとおもいきや、このあたりは、大手ゼネコンの現場作業員宿泊施設になっているんですね。
プレハブの簡易宿泊施設がズラリと並んでいました。
車のナンバーを見ると、「島根」「新潟」青森」と全国津々浦々 。
みんな農閑期の出稼ぎにきているようです。
いわき市の6号線を走っていると、道の駅よつくら。
この辺りまで来ると、国道沿いには、営業している店舗のほうが多くなってきます。
前回、東北の海沿いを走った時には、漁港のダメージが痛々しかった記憶ですが、四倉漁港に来てみると、港には、たくさんの漁船が繋いでありました。
このあたりは、かなり復興が進んでいると言った印象です。
こういうところは、おそらく役人よりも、現場の人が元気なのでしょう。
しばらく走ると、塩屋岬灯台の案内。
今回の東北ドライブのしめくくりとして、どうしても高いところに登りたいと思っていたので、ここは迷わず行ってみました。
灯台の前の土産物屋は営業していませんでしたが、下りてくる人を見つけて営業していることを確認。
階段を登って行くと、次第に浜風が強くなってきました。
200円なりの入場料を支払って、ヒッチコックの映画「めまい」に出てきたような110段の螺旋階段を上がって灯室に上がると、信じられないような海風。
人ごと飛ばされそうな風に、かなりヒビリましたが、ここまで来てカメラを回さないわけにはいきません。
幸い人は誰もいなかったので、灯台の壁に背中をへばりつけ、足で柵につっぱりながらソロリソロリと一周。
冷や汗モノでした。ああ、怖かった。
さて、ここまでくればゴールは間近。
前回のゴールだった小名浜まで、海沿いを走りました。
小名浜漁港は、午後4時ということもあり、人は誰もイませんでしたが、明らかに復活して営業している様子。
漁港がやっていれば、「らら・みゅう」の海鮮売り場も営業。
小名浜には、だんだんと以前の活気が戻ってきていました。
さて、これで、あしかけ4年がかりで、関東以北の本州太平洋岸を愛車プリウスで全線走破終了。
もちろん、ところどころ、通行不可で、国道に迂回した箇所もありますが、東日本大震災以降の、被災地の様子はこの目でしかと確認してまいりました。
いろいろと言いたいこともありますが、ここでは控えておきましょう。
現在、会社の農業プロジェクトに参加して、野菜作りをいちから修行中の身ですが、退職後は、何処かの田舎に移住して、農業をするつもりです。
この福島も移住先の候補地の一つなのですが、ここでの農業はかなり厳しいかなというは、実感として残りました。
福島産の苗を、我社の畑で栽培してみようと思い、あちらこちら探しましたが、「コメリ」でも「カインズ・ホーム」でも販売している苗は、すべて他県のもの。
やはりこれは風評被害でしょうか。
福島での地産地消は、今の段階ではかなり難しいのかもしれません。
定年まであと4年。
60才以降のセカンド・キャリアを始める場所として、これから追々と、関東周辺の田舎をいろいろとめぐるつもりです。
今回の福島は、4年たった東日本大震災の被害状況の確認という目的がありましたが、いずれまた、自分が住むところとしてどうかという目線で、尋ねてみることにします。
ではここで、今回の東北ドライブで詠んだ拙い俳句をご紹介。
最後になりましたが、今回の東北ドライブの様子をYoutubeにアップしました。
百聞は一見にしかず。
このブログで、能書きもたらたらと書かせてもらいましたが、このブログに書いたことを、動画で映像として確認していただければ幸いです。
上っ面だけで申し訳ありませんが、まぎれもない今現在の福島です。
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