1912年に執筆された、72ページの中編小説。
これもオーディオ・ブックで、車の運転をしながら聞いていました。
カフカの作品を読んだのは初めて。
というよりも、恥ずかしながら、文学作品というものを、本として読むことはほぼありません。
高校の図書室あたりが最後ではなかったかという記憶。
普段は、趣味と道楽のヤクザな本ばかり読んでいますが、オーディオ・ブックの選択がこういう作品になるのはその反動でしょうか。
そして、聞けば、作文オタクとしては、感想も述べたくなります。
しかし、これはアウト。
はじめに白状しておきますが、そのテーマは最後まで、まるで理解できませんでした。
まず、この作品のジャンルがわからない。
ホラー?
コメディ?
ファンタジー?
悲劇 ?
不条理もの?
風刺もの?
とにかく、ある朝起きたら、男が虫に変身していたという異変から物語がスタート。
これに、なんんの伏線もなく、なんの説明もされないまま、物語は淡々と進行していきます。
虫になった男には、虫にな変身する前の現実がちゃんとそのまま引き継がれます。
勤め先の上司はやってくる。
母はうろたえ、父は怒り、妹は泣く。
しかし、それはあくまでも、みんなその非現実をちゃんと受け止めた上でのリアクション。
一番あってしかるべきリアクション。
「えーっ。なにそれ。ウソー。信じられない。」が決定的にない。
それでも、こちらは、必死に、作業する手をしばし中断してまで、そこに隠されたサブテキストを発見しようとします。
なんだなんだ。
いったい、カフカはこの設定で何を言いたいんだ。
この小説の行間には、何が潜んでいるんだ。
差別問題か?
家族問題か?
神の問題か?
決局、最後までそれはわからずじまい。
カフカは、死後になって、友人が続々と彼の未発表作品を出版社に送って、実存主義の作家として認知されるようになったとWiki には、ありましたが、そもそも実存主義ってなに?
ヒントとして、カフカは、この作品を出版する際に、挿絵や本の装丁に、具体的な虫の絵柄を載せないように指示しています。
はたして、これが意味するところは?
まったくお手上げ。
恥ずかしながら、僕がこの作品を聞きながら。しばしば頭の中にイメージしていたのは、子供の頃に見た「ウルトラQ」。
この22話のタイトルが「変身」でした。
これは、恋人と山に行って、特殊な蝶の鱗粉を浴びた男が、巨大化してしまうというもの。
この30分ほどのドラマのラストで、ナレーターの石坂浩二がこういいます。
「これは架空の話ではありません。あなた自身の話なのです。
もしもあなたの恋人がアンバランスゾーンに中へ落ちた時、それでもあなたの愛が変わらないと言えるでしょうか。では、また来週・・・。」
この物語の脚本原案は、金城哲夫。
彼がカフカの「変身」にインスピレーションを得たかどうかは、定かではありませんが、でもこう言われれば、当時6歳だった僕にも物語のテーマがは理解できました。
是非、カフカにも、この作品を見てもらいたいところ。
でもそれは、可?不可?
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