歩きに歩いた月曜日でした。
歩数にして、38408歩。距離換算で29.41km。
あともう少しで、30km。
山手線を一周すると、ほぼ35kmですから、それにちょっと足りないくらい。
頑張った自分の足を、まずは褒めてあげることにいたします。
さて、安曇野散歩に最初に挑んだコースはこれ。
「桜並木と安曇野一望コース」
長峰山に登って、山道を歩き、光城山を経て、桜並木の山道を下ってくるというコース。
二つの山のビューポイントからは、北アルプスの全景が一望できます。
北アルプスに登ることは今はまだ無謀といわれてしまいそうですから、今回は、その北アルプスを、まずは、間近で眺めていくことにいたします。
スタートは、国道19号線から少し入ったところ。
長峰山の麓にある長峰荘。
安曇野市の保養センターです。
もちろん宿泊も可能なところ。
なるべく早い時間の出発にしたかったので、6時30分にホテルにタクシーに来てもらって、現地到着7時前。
さて、ここから標高933mの長峰山の山頂まで1.8㎞の登り道。
いきなり本日のクライマックスです。
標高差およそ400m。
この程度の標高差ならば、今までも、さんざん上ってきたので大丈夫のはず。
それに、こちらは、仕事で毎日10キロ近くは歩いているのですからこれくらい心配無用。
・・のはずでした。
しかし、しかしです。
情けないことに、登り始めて10分もしないうちに、息が上がってきました。
「おいおい、こんなはずでは。」
やはり3年間の山歩きブランクは、大きかったようです。
とにかく、自分の進むコースの山道を見上げるたびにため息。
そして、そのため息は、時間が経つにつれ、しまいには悲鳴に変わります。
こ、こんなはずでは・・・・
これは、いきなり、北アルプスの燕岳なんて、完全に無理でしたね。
今のこの脚力なら無謀もいいところ。
あちらは、標高2,763m。
標高差にしておよそ1000mの岩道です。
こんな情けない状況では、とうてい登り切れる道理がありません。
今回は断念して賢明でした。トライしていたら、おそらく大恥をかくところでした。
いくら仕事で日々歩いているとはいえ、やはり相手が自然だと同じようなわけにはいかないようです。
ヒーフーワーワー言いながらやっとの思いで山頂にたどり着いたのがおよそ30分後。
1時間にも2時間にも感じられた30分でした。
やっと山頂です。
トレッキングはまだ始まったばかり。
大丈夫か、今日は?
さて、長峰山の山頂には、立派な展望台がたっていました。
登ろうとして、ふとその先を見ると、見晴らしのいい山裾のベンチに老人が一人。
悠々と、そこから広がる雄大な景色を眺めています。
おいおい、こちらがこんな汗びっしょりで、ゼイゼイしながら上がってきたというのに、この爺さんは、顔色一つ変わっていないのか。
愕然としながらまずは挨拶。
声をかけると、老人は、ここまでは、車で上がってきたと教えてくれました。
なるほどね。それなら納得です。
その老人は、地元の方のようで、いろいろ聞いてみると、そこから見える景色を、詳しく教えてくれました。
聞けば、彼は一日おきにここに、ワラビを取りに来ているとのこと。
「いいじゃないですか。この景色。ゆっくり見てってください。」
長峰山山頂のライブカメラはこちら。
地元の老人も、太鼓判を押す風光明媚が、この長峰山山頂からの景色。
かの文人、川端康成も、井上靖も、かの画人、東山魁夷も、ここからの景色を絶賛したとのこと。
その景色を、さらにもっと上から眺めようと、早速展望台に上って、老人の説明を反芻しながら撮影。
見れば、山の中腹に横一直線に雲。
ここから推察する限り、おそらく、麓の山麓道路あたりから見上げたこの日の天気は曇りのハズです。
しかし、山頂まで登れば、空は見事に快晴。
関東から来た僕には、ここから眺めた景色は、多少の雲はあっても、ほとんど快晴に見えたのですが、空全体に、これだけ雲の量が多いと、こちらでは「曇り」とジャッジするとのこと。
先ほどの老人がそう言っていました。
それにしても、空のグラデーション。
すっきり快晴の景色も、もちろん最高ですが、こういう微妙なバランスの山もなかなか味わいがあります。
さて、長峰山の山頂からは、約3㎞の山道を、尾根伝いに歩いて、光城山に向かいます。
光城山は、こう書いて「ヒカリジョウヤマ」。
この季節の山道は緑に覆われています。
ウワズミカズラ、コバノガバズミ、エノキ、イヌザンショウ、イボタノキの緑の中、蝶の飛んでいない「蝶の森」抜け、ウダイカンバ、ネムノキ、ケヤキ、サンショウの緑の中を、第二ポイント光城山に歩を進めます。
途中に天平自然公園。
これは、天平と書いて「あまってら」と読ませます。
緑の山林はしばらく続きます。
アカマツ、イタヤカエデ、ホオノキ、カラマツ、ナナカマド・・・
そうこうしているうちに、光城山に到着。
ここは、遥か戦国時代にかなり規模の大きい山城のあったところ。
山城の名が「光城(ヒカリジョウ)」。
それで、ヒカリジョウヤマというわけです。
鎌倉時代にこの地に居を構えた海野氏の一族、光氏によって築城された山城です。
山頂には、古峯神社の古いお社。
火を奉る神社なのは、この山が戦国の時代、狼煙の拠点として利用されたから。
こんな山のてっぺんで、ちゃんと住所があるのにはビックリ。
山の頂から見下ろすと、目を引いたのが白い花をつけた木。
コブシか?
いや、コブシは、春に咲きます。
違うぞ。じゃなんだ。
同じようタイミングで山頂に上がってきた、登山客に聞いてみました。
「あ・・・あれは、山法師ですね。」
恥ずかしながら、今まで聞いたことのない花でした。
さて、光城山を後にすると、あとは、山を下る道。
ここが、「桜並木」になっている名所。
もちろん、この季節にはもう桜は咲いていませんが、桜の季節に思いを馳せます。
時刻は10時を回っていました。
登りの長峰山までは、しんどかったのですが、登り切ってしまえば、あとはなだらかな山道で、残るは下り。
ここは問題なく、景色を楽しみながら歩けました。
この時刻になると、光城山の山頂を目指して上がってくる登山客と、山道で多くすれ違います。
でもみんな、寡黙に淡々と上がってきますね。
僕のように騒がしく上がってくるのはいない。
それも、僕より年上のカップルだったり、主婦同士のペアだったり、若い山ガールだったり。
これは、もう一度、山歩きを鍛えなおさないとダメだなと痛感した下り道。
さて、そうこうしているうちに麓にたどり着きました。
あとは、平地の田舎町を歩き、出発した長峰荘まで戻るだけ。
本日最初の山歩きコース終了です。
このコースの動画をまとめましたので、ご覧ください。
さて、次に選んだのは、「旧篠ノ井線廃線跡コース」
近くのJR「明科駅」から、出発するコースですが、ここはゴールまでタクシーで移動し、反対にスタート地点を目指すことにしました。
そうした方が、次のコースへもまた、タクシーで移動するのに都合がいいと判断。
この移動のタクシーの運転手が、親切な方で、ゴール地点までの道すがら、そして、ゴール地点でも、親切にコースのアドバイスをしてくれました。
歩くのは、こんなコース。
篠ノ井線は、現在も走っている路線です。
この廃線跡は、路線の一部に、新ルートが開通したため、使用しなくなった部分が昭和63年に廃線になりました。
その跡地というわけです。
全線のレールと枕木はきれいに撤去して、歩くのに邪魔にならない、踏切や信号などはそのまま残してあります。
趣のあるトレッキングコースとして、自然遊歩道に整備されところ。
山道ではなく、線路の下に敷いてあった砂利をそのまま残してあるので。非常に歩きやすいコースでした。
コースの脇には、線路を自然災害から守るために植えられたケヤキの木が続きます。
篠ノ井線西条~明科間は、潮沢南側の山地の裾を削り、幾筋かの深い谷を埋めるという難工事の末、明治30年に開業した路線。
このあたりは、長野県下でも有数の地すべり地帯。
開通後も、しばしば災害に見舞われて、これじゃたまらんということで旧国鉄が新線引き直した区間です。
しかし、今はその面影はなく、のどかな絶好のトレッキングコースになっていました。
特に風情があったのは二つのトンネル。
「漆久保トンネル」「三五山トンネル」
ふたつとも明治時代に作られた総レンガ造りのトンネル。
特に、「三五山トンネル」は、2010年に一般公開されたばかり。
中に入ると、センサーで、裸電球がつき、その薄明かりが赴きたっぷり。
いかにも怪しげなモノノケが出そうな雰囲気で、パワースポットにもなっていそうなところです。
このあたりには、遠い平安の昔、坂上田村麻呂が、鬼退治をしたという伝説の残るところ。
お化けの一人くらい、面会できてもよいかなと思いましたが、残念ながら現れず。
トンネルを抜けると、北アルプスの山々が、鮮やかに視界に飛び込んできます。
そこからもうしばらく歩くと潮神明宮。
ここまで歩いてくると、明科駅は間近。
このコースの動画は、こちらにまとめました。
さて、明科駅から、タクシーで穂高の市街に向かいました。
次に選んだコースは、「わさび田と道祖神めぐりコース」。
わさびは、山からの奇麗な湧き水に恵まれた安曇野の名産品。
これは、昨日から気になっていました。
このコースのスタート地点は、「本陣等々力家」。
こんなコースです。
まずはスタート地点にある本陣等々力家。
等々力家は、江戸の初期からこの地にあった大庄屋。
松本城主である石川のお殿様が、釣りや狩猟をする際の、休憩場所として利用したところで、この辺りでは名家だったところ。
その屋敷構えは、まず長屋門があり、本屋の奥に、殿様座敷を設けという造り。
庭園も、桃山文化の名残が随所に残り、趣がたっぷり。
門の柱には、当地で起きた百姓一揆の際に、なだれ込んだ農民に鉈でつけられた傷がまだ生々しく残っています。
2011年に放映されたNHKの連続テレビ小説「おひさま」は、この安曇野が舞台。
主演は、井上真央。
この等々力家でも、奥座敷に繋がる渡り廊下で、ロケが行われたとのこと。
ここ以外にも、安曇野には、「おひさま」のロケ地だった場所の案内は、あちらこちらで見かけましたね。
入場料300円を払って中に入ると、ママ友ペアの先客がいて、僕の入場を待って、受付のオネエサンが丁寧にガイドしてくれました。
さて、本陣等々力家を出ると、目の前がすぐに東光寺。
この寺は、その前身を東龍寺といい、その開基が、今見てきた等々力家。
東光寺は、その正式名称が、禅宗 曹洞宗吉祥山東光寺。
この寺、門の周囲になぜかビッグサイズの下駄のレプリカが数体。
「願いが叶う安曇野 吉祥仁王さまの下駄」だそうです。
なんで下駄なのか?
これは禅宗の教えだそうです。
「脚下照顧」
どういう意味か。
これは、自分自身の足元をしっかり見つめて、一歩一歩着実に歩む中で物事が成就されていきますよという教え。
まあしかし、これだけ大きな下駄だと、大の大人でも一歩も歩けないんじゃなかろうか。
さて、この安曇野周辺には、町のあちらこちらにむ道祖神が祭ってあります。
道祖神は、村の守り神として、その多くは、道の辻や三叉路に立っています。
「五穀豊穣」「無病息災」「子孫繁栄」という、村人たちにとって、生活に根付いた身近な祈願をするために祭られてきた神様。
神像というと、通常は、凛々しい一人の立ち姿が多いのですが、この安曇野の道祖神たちは、皆カップルなんですね。
それも、遠慮がちに寄り添うものから、手を握るもの、堂々と腕を組むもの、抱擁するもの、なかには接吻しているものまで。
そのカップルの愛情の形態は様々。
よくみると、そのカップルを背後で眺めながら、いかにも嫉妬しているように、怖い顔でにらんでいる像もあったりします。
少々失礼かもしれませんが、安曇野の神様は、かなりユーモアたっぷりで庶民的とお見受けいたしました。
さて、そんな道祖神をチェックしながら、目指したのは、「大王わさび農場」
ところが、どこでどう道を間違えたのか、歩けど歩けど、目的地に着きません。
いい加減歩いたところで、あまりに様子がおかしいので、道行くおばあさんに尋ねたところ、完全にコースアウトしていました。
時計を見ると、戻るのは絶望的な時間。
とうてい、タクシーなど拾える場所ではなかったので、この日は、「大王わさび農場」は諦めることにいたしました。
幸い、穂高駅までは、そう遠くな距離でしたので、駅近くのホテルに向かいながら、立ち寄ったのが穂高神社。
このあたりでは、かなり大きな神社です。
上高地や奥穂高にも嶺宮があるので、その通称は「アルプスの総鎮守」。
ここは、9月に行われる「御船祭」が有名ですが、神社内には、そこで使われる大人船や子供船、木偶と呼ばれる人形などが保存展示されています。
ここにたどり着いた頃は、時刻も夕刻の4時過ぎ。
さすがに足は棒です。
本日行きそびれた「大王わさび農場」は、明日朝一番で行くことに決めて、歩きに歩いた月曜日はこれにて終了。
ホテル到着後は、ドボンと湯船につかり、集めてきた資料に目を通す間もなくパタンキュー。
それでも、自然の空気をたっぷりと充満できた体には、なんとも心地よい疲労感。
定年退職後の、田舎暮らしを十分にシミュレーション出来た一日となりました。
さあ、明日も早起きするか!
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