さて、安曇野3日目です。
この日は、午後は新幹線ですので、午前中いっぱいの安曇野めぐり。
前日、コースアウトして、まわれなかった「大王わさび農場」からスタートの予定。
それから、穂高駅の反対側になる安曇野山麓を急ぎ足で回るため、駅前でレンタカーを借りました。
6時間5300円なり。
さて、「大王わさび農場」に到着したのは、午前9時過ぎ。
売店やショッピングプラザはまだ開店前でしたが、園内は自由に見学できます。
わさび田もそうなのですが、僕のここのお目当てはなんといっても、黒澤映画で使用されたという水車小屋。
黒澤映画で水車小屋というと、僕の頭にピンと来たのは、なんといっても「七人の侍」。
「七人の侍」は、わが人生でも三本の指には入る大傑作です。
水車小屋のシーンというと、村の長老儀作爺さんが、村人たちに、「侍を雇うだ!」と野武士撃退法を伝えるシーンが確か水車小屋。
それから、大炎上する敵のアジトも水車小屋だったと記憶しています。
もちろん、どちらのシーンでもいい。
昭和29年に作られた映画のセットが残っているなら、この目で見てみたいと思ったわけです。
しかし、いってみると、水車小屋のシーンというのは、「七人の侍」ではありませんでした。
黒澤映画は、黒澤映画ですが、これは1990年に作られた「夢」というオムニバス映画の一話「水車のある村」でした。
なるほど、それはそうですね。
大炎上した「七人の侍」の水車小屋は、消防車を待機させて撮影したスタジオ内に作ったオープンセットのはずでした。
思い出しました。
もちろん「夢」も見ています。
「水車のある村」は、今は亡き名優笠智衆の出演した、この映画最後の一編。
確かに、水車は、この話の重要なアクセントになっていました。
さて、その安曇野の原風景が色濃く残る「大王わさび農場」
ここは、安曇野随一の観光スポットともいってもいいでしょう。
園内には、レストランも、ショッピングコーナーもあります。
「大王わさび農場」は、わさび田をそのまま観光スポットにしてしまったようなところ。
わさび田としては、日本一の規模です。
わさびを栽培するのに、最も大切なのは自然の湧き水。
この場所は、北アルプスの雪解け水が半年かかって湧き出す水で、濁りがないのが特徴。
上質のわさび栽培には、欠かせないものです。
ここでのわさび栽培は、平地式と呼ばれるもの。
この場所を流れる蓼川、万水川から、水路を引き、平坦地を数メートル掘り下げて、伏流水の湧き出るところに、砂で畝を作り、その両側にワサビを植え付ける方法をとります。
水路には、まんべんなく水流が行き渡るように、いろいろな工夫がしてあります。
掛け水は、小石を盛った隙間から水をしみこませる仕組み。
排水は、その水を水路に戻す仕組み。
そして畝と畝間の微妙な角度などなど。
そして、もう一つの条件が、年間を通して、水温を一定に保つこと。
12度から13度くらいだそうです。
そのために、夏の時期は、直射日光を避けるために、わさび田全体を、寒冷紗で覆います。
広いワサビ田一面に張られた寒冷紗は、この時期の安曇野の風物詩でもあります。
わさびは大変にデリケート。
しかし、そんな栽培法で、わさびたちを守っているため、大王のわさびは、時期に関係なく、一年中収穫可能。
ショッピングセンターには、そんなワサビを使ったわさびソフトクリームや、わさびコロッケも販売していますが、残念ながら、開店前とあって、やむなく次の目的地へ移動。
というわけで、昨日から引き続きの、ここまでの「大王わさび農場と道祖神めぐり」コースの動画はこちらです。
さて、次に向かった場所は、穂高駅の反対側、安曇野山麓の国営アルプスあづみの公園。
この公園の駐車場に隣接した山口家住宅からスタート。
この山口家も、昨日の等々力家同様、松本藩長尾組の大庄屋を務めた家。
母屋が築造されたのが元禄年間。
屋敷構えと、庭園の見事さは圧巻。
・・という説明なのですが、火曜日は残念ながら、休館日。
中に入ることはできませんでした。
実は、以前から、古い家には興味がありましたね。
定年退職後も、どこか地方で格安の古民家を見つけて終の棲家にしようと計画しています。
多少の、暑い寒いは、この際、我慢するつもりあり。
藁ぶき屋根でも、板ぶき屋根でも結構。
縁側があって、引き戸があって、少々の庭を眺められる。
山の向こうに沈む夕日。
そんな家に住む老後を想像しながらシミュレーションもしたかったのですが、休みではやむなし。
あずみの国定公園に歩を進めます。
ここは、園内でも新規オープンした「里山文化ゾーン」エリア。
岩原口から入園すると、そこに広がるのは、「懐かしの風景」エリア。
古田は、昭和20年代に開拓された水田。
「ぬるめ」と呼ばれる、水温を高めるための水路が水田周りに巡らせてあります。
そして、農家風のあずまやと、水車小屋。
このあたりの古き安曇野の農村の面影を残す景色は、やはりNHKの連続ドラマ「おひさま」の撮影に使われたという案内がありました。
鳥のさえずりが空にこだまするのどかな田園風景です。
この先に棚田も広がっているのですが、時間の都合で断念して、次のポイントまで車で移動。
次のコースは、「安曇野山麓ウォーキングコース」。
こんなコースです。
スタート地点にあるのは、八面大王足湯。
グルリとコースを歩いて、最後に足湯というコースでしたが、時間がないため一番最初に足湯につかることにしました。
さて、この八面大王。
八つも顔のある妖怪変化というわけではありません。
話は、その昔、大和朝廷が全国統一をめざしていたころに遡ります。
東北に力をもっていた蝦夷(えみし)を平定するために、坂上田村麻呂を大将にした朝廷軍が、その侵攻の足掛かりにする地として選んだのがこの安曇野の地。
信濃の国にきた朝廷軍は、住民たちから行軍に必要なものを搾取し始めます。
鍬は持っても、武器は持たない農民たちは、たちまち恐怖のどん底でパニックに陥ります。
そこに、安曇野の民を救わんとスクッと立ち上がったのが八面大王。
もともとが京の都でクーデターに失敗し、都を追われて安曇野に流れ着いたという猛者。
彼は再び、安曇野の地で朝廷軍に立ち向かいます。
朝廷軍に比べれば、圧倒的な兵力不足をものともせず、八面大王は、勇敢に戦い、最後はこの地に散りました。
安曇野の里を守るため、最後まで戦った八面大王が討たれた砦には、その後、たくさんの鬼つつじの花が咲くようになったとさ。
これが、この地に伝わる八面大王の伝説。
その大王の勇壮な面構えを見上げながら、足湯に使い、安曇野最後になるコースをスタートいたしました。
このコースは、小鳥のさえずりを聞き、郷愁を誘う農家の佇まいなど、日本の原風景を楽しみながら、心身ともにリフレッシュをしようというコース。
コースのポイントには、こんな案内板があり、非常に回りやすいコースでした。
しかし、なんとしても時間が足らず、コースはあちらこちらでショートカット。
挙句の果てに、道も間違う始末。
しかし道を尋ねれば、これでもかというくらい、丁寧に教えてくれる地元の人たちの優しさに気をよくしながら、昨日の疲れも何のその。
この日もまた、頑張って歩きました。
山裾に広がるのは、カラ松林。今はちょうど新緑の季節。
都会の喧騒に毒された身には、なんとも染み入る自然と人の手のコラボレーション。
それが里山の醍醐味です。
都会の風景も悪いとは言いませんが、やはり、自然を意識的に排除する分だけ、どこか頭でっかちな、綺麗に整いすぎた不自然さを感じてしまいます。
でも人間も、元を正せば自然の一部。
やはり、自然に対しては、謙虚に一歩引いて、相手を尊重しながら調和していくという姿勢の方が、人間らしいという気がします。
というよりも、人間の歴史をたどれば、ここほんの100年程度の著しい都市化以前は、人の歴史は、ずっとその歴史だったわけです。
人間は、ベーシックな部分では、やはり今でも、自然のお裾分けをもらって生きている。
都会にいると、どこかで人間は、傲慢になり、自然さえコントロールできるほど偉い身分なんだと、恐ろしい勘違いをしてしまいそうになります。
そんな人間の驕りが、今の環境問題の根っこあると考えて間違いなさそうです。
考えてみれば、僕らの子供の頃に、「環境」なんて言う言葉自体がありましたか?
おそらくなかったはずです。
どうしてなかったか。
簡単なことです。
つまり、昔々は、人間と環境の境がなかったんですね。
人と環境は一体だった。
だから、環境という言葉も存在しなかった。
それが、人間の頭が独り歩きから、暴走をはじめ、だんだなんとおかしな話になってきた。
我々の住んでいる世界は、人間様が真ん中にいて、その周りに環境があるなんて、考え始めたわけです。
つまり、人間が人間を特別扱いを始めてから、環境問題というやつが首をもたげてきたんですね。
人間と環境って、そもそも別の話だと思いますか?
おっと、話が変な方にそれ出しました。
閑話休題。
さて、安曇野です。
山麓道路を渡りしばらく歩くと、林の中にひっそりと立つ安曇野山麓美術館。
絵画に造詣が深いというわけではありませんが、素人のお遊びながらも、絵を描くのは好きですので、フラリと立ち寄ってみました。
この美術館はその名のとおり、山岳をモチーフにした絵画が展示されている美術館。
古民家風の造りが、こじんまりとして、落ち着く雰囲気。
催されていたのは、原田達也展。
絵画オンチとしては、恥ずかしながら存じ上げない名前でしたが、聞けば山岳画家としては有名な方。
ヒマラヤをはじめ世界各地の名山を描いてきた方です。
1997年、パキスタン・カラコルムのスキルプルム峰で写生中、爆風雪崩で死去。
ですから、今年でちょうど没後20年という節目の年なんですね。
僕は、基本的に風景画は描かないのですが、なるほど、こんな絵を描いてみるのもありだなと感じ入った次第。
僕は、筆もキャンパスも使わず、もっぱらお絵描きは、iPad と指専門。
でも、自分の登った山くらいは、「芸術」とまではいかなくとも、絵にしてもいいなと思いました。
絵というのは、心にゆとりがないと描けないものです。
還暦引退後、田舎に移住したら、まずはこのあたりから、人生を再スタートしてみようかなと思った次第。
ゆっくりと絵を描ける環境なんて、いまのところ、夢の夢。
まあ、待て待て。還暦までもう一息です。
今は、そんな明日のために、今日の仕事を頑張るとしましょう。
さて、気がつけば、列車の時刻は、迫ってきています。
もう泣いても笑っても、安曇野で回れるのはあと一箇所。
ガイドブックとにらめっこをして、安曇野散歩の最後に選んだのは、「曽根原家住宅」。
国指定の重要文化財です。僕の好きな遠い古の民家です。
まずは、一句。
古民家が時を隔てて文化になる
朝訪問した、山口家住宅が、残念ながらこの日は休館でしたので、最後の訪問先は、やはり古民家にいたしましょう。
古民家オタクとしては、賢明な選択でしょう。
安曇野には、重要文化財級の古民家が、あちらこちらにあります。
さて、曽根原家もまた、江戸時代松川組新屋村で代々世襲で庄屋を務めた庄屋の家柄。
建築年代は、17世紀後半。ですから江戸時代の慶安年間頃。
大梁の丸太、丸田半割材は、ほとんど曲がりのない断面円に近い均整の取れたもの。
これを格子状にかけわたし、その交点に小屋束をたてて小屋組みをした、いわゆる「本棟造り」と呼ばれるもの。
屋根は板葺き石置きスタイル。
間取りは、大きな居間に隣接して、上座敷と下座敷。
寝室となる奥部屋と小座敷。
そして、建物面積の半分以上が、土間と馬屋というレイアウト。
古民家オタクとしては、ワクワクしてしまいます。
300円なりの入場料を受け取ったオバアサンは、「それではごゆっくり。」といいながら
母屋に戻ってしまいましたので、観光客は僕一人。
冷暖房はなくても、ひんやりとした空気が漂う古民家。
旅の疲れもあって、奥部屋で、おもわずゴロリン。
目に飛び込んでくる天井の梁組と小屋束の織りなす幾何学模様を眺めているうちについウトウトとしてしまいました。
おっと、やばいやばい。
それでは、ここまでの、「安曇野山麓ウォーキング」コースの、動画はこちら。
さて、いよいよ電車の時間が迫ってまいりました。
レンタカーを走らせ、穂高の駅に着いたのが午後1時過ぎ。
名残惜しいですが、さて帰るとしますか。
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