言わずと知れた西部劇の傑作ですね。
多分一番最初に見たのは、テレビだったと思います。
そして、大学生になって、どこかの名画座でも見ているはずです。
それ以来ですから、40年ぶりに鑑賞。
Amazone プライムのラインアップにありました。
本当は、未見の新しい映画も見ないといけないとは思いつつ、やはりどうしても旧作に手が伸びてしまいます。
これも年齢のせいでしょうか。
どうも新しいものを受け入れようとする感性が、年齢とともに劣化しているようです。
まあ、それもまたよし。名作は名作で、それは何度見ても、その時の年齢ごとに、新たな感動があるもの。
昔観た映画も、今この年齢になって見直して、やっと理解できることもあるものです。
さて、「シェーン」です。
まず、今回見て気がついたことがひとつ。
それは、この映画では、敵のライカー一味を、よくある西部劇のように、一方的な悪者としては描いていないということ。
例えば、黒澤明の「七人の侍」では、敵となる盗賊たちに、監督は一切感情移入をしていません。
徹底的な「悪者」として描くことで、侍たちの正義を際立たせ、映画をあのクライマックスのカタルシスに盛り上げていきます。
その他の数多いB級西部劇でも、その多くは基本勧善懲悪。
悪者のインディアンにも盗賊にも、最後はヒーローの正義の拳銃が火を吹きます。
それは、東映の高倉健主演の一連の任侠ものでも同じ。
ヒーローは、敵の卑劣な悪行に耐えるだけ耐えることで、ラストの殴り込みを盛り上げていきます。
それはこの手の映画の、セオリーといえばセオリー。
しかし、この映画での敵役の描き方はちょっと違う。
ドンパチの前には、かならず「話し合い」の場を設けて、交渉が入る。
彼らにはちゃんと彼らの言い分があるわけです。
そして、それが決裂してやむなくドンパチ。
殺しのシーンでも、いきなりズドンはなく、かならず相手に拳銃を抜かせてから撃つというルールがある。
考えてみれば、彼らは、なかなか紳士的であります。
少なくとも、この映画では単なる無法者としては描いていない。
彼らは、開拓農民であるスターレットたちが、この土地にやってくるよりも前にここにいて牧畜業を営んでいた先住者。
つまり、後からやってきたここに入植した農民たちは、彼らにしてみれば侵略者ということになります。
自分たちの暮らしを守るため、後からやってきた開拓農民を追い払って何が悪いというわけですね。
しかし、開拓農民たちが、侵略者で「悪者」ということになると、そもそもこの映画が娯楽映画として成立しない。
では、どちらの言い分が正しくて、筋が通っているのか。
若い頃は、そんなことは気にもとめませんでしたが、齢を重ねてくると、そんなところが妙に気になるわけです。
そこで、この映画の時代背景をちょっと調べてみました。
開拓農民と先住牧畜業者。
法律的には、どちらが、正式なこの土地の住人の権利を持つのか。
映画シェーンの時代背景を語るのに、忘れてならない西部開拓史の事件が、調べてみるとふたつ出てきました。
ひとつは、南北戦争の後で、時の大統領エイブラハム・リンカーンが成立させた法律。
ホームステッド法です。1862年に制定されました。
これは、アメリカ合衆国所有の公有地に移り住み、住居を建てた上で、そこで5年間農業を営んだという実績を作れば、その土地160エーカーを、無償で払い下げるというもの。
アメリカが、その広大の西部の地を開発開墾するために、民間人の力を借りようとしたわけです。
この法律で、開拓農民たちのモチベーションを上げ、機会均等のアメリカン・ドリームを実現させてあげようというわけです。
この法律は、21歳以上のアメリカ人と、すべての移民たちに適用されました。
もちろん、スターレット一家も、その土地を、合衆国政府から、正式に払い下げを受けるために移住してきた開拓農民。
つまり、少なくとも彼らは、きちんとアメリカ合衆国の法律にのっとって、この地やってきて開墾しているわけです。
一方、ライカー一味は、先住しているとはいえ、正式にはアメリカ合衆国政府には無許可。
法律的根拠で言えば、やはりこれは、一応スターレット一家たち開拓農民の言い分に、分がありそうです。
そして、もう一つ、この映画の下敷きになっているアメリカ合衆国の西部史に残る事件がありました。
それが「ジョンソン郡戦争」です。
西部の先住牧畜業たちが、ホームステッド法に基づき、やってきた開拓農民たちを虐殺したという忌まわしい事件。
この史実を元にした映画に、マイケル・チミノ監督の「天国の門」があります。
先住牧畜業者たちが、開拓農民たちを追い出すために選んだ手段は暴力。
そのために流れ者のガンマンを、殺し屋として雇います。
それが、この映画では、二丁拳銃の黒づくめのガンマンである、ジャック・パランス演じるウィーリー。
そして、おそらく、主人公のシェーンも、映画では明言していませんが、かつてはその一人だったと思われます。
ホームステッド法は、やがて、シェーンたち、ガンマンの居場所を奪っていきます。
シェーンは世の中の変化を肌で感じ、今までの自分を変えるため、そして、自分の新たな居場所を探すために西部を放浪します。
そして、たどり着いたのが、ワイオミングの開拓地。
そこで、彼は、かつては自分が拳銃を向けた開拓農民であるスターレット一家と心を通わせ、ガンベルトを置いて鍬を持ちます。
これがシェーンの導入部でした。
しかし、そこにライカー一味が現れ、シェーンは今度は開拓農民側の立場で、彼らと対峙することになります。
そして、最後の対決。
この主人公の、映画では説明されない心理の葛藤が、少なくともアメリカの観客たちには理解できるのでしょう。
だから、「人はそう簡単に変われるものではない」と、去って行くシェーンの後ろ姿に、アメリカの観客たちはおもいきり共感しました。
監督の、ジョージ・スティーブンスは、もちろん、このあたりのツボをきちんと踏まえて演出しています。
だから、この映画は、娯楽映画にありがちな、暴力礼賛の映画にはなっていない。
西部劇のお決まりのドンパチシーンは、他の西部劇に比べて、ストイックなほど控えめです。
だからこそ、ラストの決闘シーンの、あの静かな迫力につながっているわけです。
一流の映画とはどういうものか、この監督はよく心得ています。
ジョージ・スティーブンス監督が、この「シェーン」の前に撮っているのが「陽のあたる場所」。
この後に撮っているのが「ジャイアンツ」。
そして、その後が「アンネの日記」。
「シェーン」という、西部劇の傑作を撮っているので、さぞやたくさんの西部劇を撮っている監督なのかと思いきや、彼のキャリアで、純粋な西部劇は、実はこの作品一本のみ。
これは意外でした。
この監督は、作品ごとに、まったく違うジャンルの映画に挑んでいます。
彼のデビュー2作目は、なんとフレッド・アステア主演のミュージカルでした。
巨匠といわれるタイプの監督は、およそ二つのパターンに別れます。
ひとつは、ひとつのジャンルにこだわらず、いろいろなジャンルに挑む監督。
スタンリー・キューブリック、ウィリアム・ワイラー、黒澤明たちです。
そして、もうひとつは、得意のジャンルにこだわって、そのスタイルを極めるタイプ。
こちらは、スリラーの巨匠アルフレッド・ヒッチコックが白眉。
日本では、小津安二郎が典型でしょう。
そして、このジョージ・スティーブンスはといえば、これは明らかに前者。
そのバラエティに富んだ作品群は、並べてみれば一目瞭然。
どれも一流の映画です。
それだけで、彼が監督としていかに優秀であるか、はっきりと分かります。
主演のアラン・ラッドは、これがまさに一世一代の当たり役になりました。
彼のこの他の作品というと、ちょっと浮かびません。
彼は、身長が165㎝といいますから、僕とほぼ変わらない。
ハリウッドのスターたちの中ではきわめて小さい人です。
しかし、この映画ではそれがさほど気にならない。
おそらく、アングルや立ち位置の工夫で、そうは見せない撮影演出をしているのでしょう。
ジョージ・スティーブンス監督の工夫と苦労が伺えます。
しかし、アラン・ラッドの、0.4秒とも言える早撃ちはトリックなし。
これは、映画俳優としての彼の努力の賜物でしょう。それは今見てもすごい。
ジョーイ少年が、それを見て、目をまん丸にしますが、それは観ているこちらも同じ。
掛け値無しに、この映画の見せ場の一つです。
ちなみに、アラン・ラッドは、一宿一飯のお礼にと家の外の切り株を、斧で切って抜こうとしますが、その斧を振るう腰つきもなかなかサマになっています。
僕も、畑に出て鍬を使いますから、それはよくわかります。
僕が畑の師匠から教わったのは、「鍬をふるのに力は使わない。遠心力を利用して鍬の重さで掘る。」ということ。
アラン・ラッドの、斧をふる腰つきもまさにそれだったので、ここは改めてニヤリでした。
開拓農民ジョー・スターレットを演じたバン・ヘフリンは、 ずっと後に見た、1970年製作のパニック映画「大空港」で、爆弾を抱えた乗客を演じていたのを覚えていました。
そして、それよりもビックリしたのは、その妻を演じたジーン・アーサー。
彼女は、この映画撮影時になんと53歳でした。
夫役のバン・ヘフリンよりも、10歳も年上なんですね。
これは絶対にそうは見えない。映画女優おそるべし。
この映画は、彼女の最後の出演作品になりました。
ちなみに、1913年生まれのアラン・ラッドは、この映画撮影の時には40歳。
映画の中で二人仲良くダンスを踊るシーンがありますが、その二人の年齢差が13歳もあったなんてちょっと思えません。
話はまったくそれますが、この映画のことを熱く僕に語っていた1931年生まれの、今は亡きわが父親は、この映画を日比谷のロードショーで見た時が25歳。
そして、このブログを書いている僕が、当時49歳だったジョージ・スティーブンス監督よりもずっと上の59歳。
時の経つのは恐ろしいものです。
さて、この映画を語る時に忘れてならないもう一人は、ヴィクター・ヤング。
この映画の音楽を担当した作曲家です。
彼がスコアを書いた主題歌は名曲「遥かなる山の呼び声」
この映画に漂う叙情性にしっかりと貢献してるのが彼の音楽と言えます。
この主題歌のタイトルをそっくりいただいて、山田洋次監督が、高倉健主演で、北海道を舞台にしたあの名作を撮ったのは有名な話。
映画のラストカットで、相手の拳銃に撃たれていたシェーンは、実は馬上で死んでいたのではないかということが、この映画ファンの間で密かに囁かれていたそうです。
確かに、そのラストカット、シェーンの顔から生気は失せ、手はだらりと下がり、しかも通り抜けている背後には墓地。
ファンたちの邪推もわからないではない。
その正解は作ったジョージ・スティーブンス監督に聞いてみれば手っ取り早いのでしょうが、あいにく監督はすでに雲の上の人でそうもいかず。
しかし、彼はそう聞かれれば、おそらくしてやったりとニヤリと笑うでしょう。
そして、こう答えるのではないかと思いますよ。
「どうぞ、お好きに想像してください。」
名監督といわれる人たちは、総じて、映画に答えを明示しないもの。
たいていは、その解答の行方は、観客たちに委ねるものです。
つまりこれは、観客たちにそんな声を囁かせた時点で、作り手の演出の勝ちですね。
そして、ジョーイ少年が去って行くシェーンに向かって叫ぶ有名すぎるラストシーン。
映画のオリジナルはもちろんこれ。
「シェーン! カムバック!」
でも、僕が一番最初に見た淀川長治解説の日曜洋画劇場の吹き替えではこうでしたね。
「シェーン! 行かないで〜!」
では今回の、Amazone プライムの吹き替え版ではどうか。
おそらくラストは、「行かないで〜」とくるのかと思いきや、それまでずっと日本語で喋っていたジョーイ少年が、「シェーン!カムバック!」
なんと、ラストシーンだけ英語で叫んでいました。
さすがに、これにはちょいと苦笑い。
さて、40年ぶりに、この名作を見返した、かつてはコテコテの映画青年だった僕もいよいよ来年還暦の59歳。
いまや髪の毛の方もさすがに寂しくなってきております。
というわけで、長々と映画「シェーン」の感想を述べてきた、このブログの最後はこれで締めたいと思います。
「シェーン! 髪バーック!」
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