日本と韓国が、がっぷり四つに組んで作ったのが本作。
出資や出演者だけでなく、企画、製作、配給、脚本に至るまで、完全に共同製作。
ありそうでなかったスタイル。
それが、一番興味深く現れていたのが脚本です。
こういう映画なら、日本語吹き替え版、韓国語吹き替え版および字幕版などがあるのが普通。
つまり、どちらのバージョンで作るにせよ、あの吹き替えの違和感はあるもの。
でも、この映画、脚本段階から、そこはしっかりと作られていました。
主演の西島秀俊も、韓国女優のキム・ビジョンも、ちゃんとしたセリフとして、日本語と韓国語を使い分けていました。
つまり、二人の吹き替えはなし。
これが日本で公開される時は、二人の韓国語のセリフに日本語字幕がつき、韓国で公開される時は、その字幕が逆になるということ。
映画における言語の問題は、映画界では長らく、ほぼ暗黙の了解として、黙殺されてきました。
例えば、映画の舞台がどこであろうと、ハリウッド映画ならば、すべて登場人物の話す言葉は問答無用で英語。
例えば、あの名作「ドクトル・ジバゴ」は、ロシアの物語なのに、役者のセリフは、ロシア語ではなくすべて英語。
普通に考えれば、そんなことあり得ないのに、映画の中の常識の嘘として、これは作る方も観る方も、飲み込んでいました。
この映画のロケは、9割以上が日本で行われましたが、韓国俳優は、日本では頑張って自前の韓国訛りの日本語で演じていました。
もちろん吹き替えはなし。
そして、西島秀俊も、韓国ロケではちゃんと韓国語で演技です。
映画の中の言語の嘘というものを、完全にクリアした映画を、僕ははじめて見たかもしれません。
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