映画の感想も、後でちゃんと述べますが、まずはこれを言っておかないと。
映画館で映画見るのが、実に30年ぶり? でした。
といいますか、最後に映画を見たのがいつで、なんの映画だったか。
それすらまるで思い出せない。
それくらい昔です。
もしかしたら、もっと前かもしれません。
とにかく、平成時代に、映画館に行った記憶がまるでありません。
時代は令和に変わり、自分も定年退職して、久々の映画館での映画鑑賞。
どうしてか。
やはりこの映画だけは、今このタイミングで見ておきたいと思ったわけです。
とはいえそれでも、ちょっと遅きに失した感は否めず。
この映画の作り手の意を組んで、その感想をブログに載せようというなら、やはり、この参議院選挙前であるべきでした。
そうすれば、微力ながらも選挙結果に、一票でも二票でも影響を与えられたかもしれません。
それくらい、映画の内容は現政権の暗部を、リアルにえぐっていました。
さて、社会人になってからは映画館に行った記憶がないとはいっても、それ以前ということになれば、話は別です。
中学から大学にかけての学生時代は、ほとんど、映画の虫でした。
タウン情報誌の「ぴあ」を定期購読。
その映画欄に見たい映画をマーカーでチェック。
学校も行かずに、関東一円の名画座へ、足繁く出かけていました。
でもそれも、1980年代の前半まででしょうか。
あの頃は、本気で、映画評論家になろうなんて思ってましたから、有名どころから、B級でコアなものまで、節操なく鑑賞してましたね。
しかし、会社勤めを始める頃から、だんだんと映画館から足は遠のき、次第にレンタルビデオ屋通いになってきました。
そうこうしているうちに、WOWOWの本放送も始まり、ロードショー公開の映画も、半年と待たずにオンエアされるようになると、完全に映画館にはいかなくなりました。
なので、現在のようなシネコンスタイルや、IMAX なんてものは、話に聞いていただけ。
映画館は未だに、背後に映写室があり、そこでフィルムを回す映写機が活躍しているものだとばかり思っていました。
まあ考えてみれば、世の中いまや完全デジタル時代。
いつまでも、そんなことをやっているわけがない。
本日出かけた「イオンシネマ大宮」も、シネマコンプレックス・スタイル。
一つの施設に、合計8つのスクリーンがある映画館。
席は完全予約制。立ち見なし。
途中入場禁止。完全入れ替え制。
僕が、通っていた頃の映画館は、二本立て、三本立ては当たり前。
出入り自由。一度入れば、映画は好きなだけ繰り返して観れたものです。
とはいえ、時代は変わって当たり前。
今は、今のスタイルで映画は楽しまないといけません。
でも、昔と変わらなかったのは、ポップコーン。
本日は、バケツみたいな容器に入ったポップコーンと、ジンジャーエルを飲みながらの鑑賞。
少々胃がもたれました。
さて本題に入りましょう。
映画「新聞記者」です。
とにかくこの映画の面目躍如は、なんといってもリアルタイムに現政権の闇にガチで切り込んでいること。
これにつきます。
作り手は、はっきりした意思を持って、この映画の公開を、この参議院選挙のタイミングから逆算して製作していました。
まずは、その心意気に拍手。
プロデューサーは、製作するにあたっては、相当なリスクを覚悟したと推測します。
国会の予算委員会で、ずっと追求されてきた、モリカケ問題も、しっかりとネタになっています。
原作者の、望月衣塑子も、加計学園問題のヒーロー前川元文部科学省次官などと共に出演。
なんといっても、現安倍政権を、裏から支える悪名高き内閣情報調査室が舞台です。
その内調のエリート官僚を演じるのが松坂桃李。
現政権を批判する映画に、俳優としてのリスクを覚悟して出演した彼にまずは拍手。
そして、主役の女性記者演じたのが韓国女優のシム・ウンギョン。
この主役を、日本の女優ではなく、韓国の女優が演じざるを得なかったというところに、むしろこの映画の強烈な問題性が浮き彫りになっています。
映画とて、もちろんスポンサーあってこそ成り立つエンターテイメント。
経済界と太いパイプで結ばれ、マスコミも牛耳る現政権からみれば、映画界もすでに我が手中にありと言いたいところなのでしょうが、ところがどっこいそうはいかなかった。
映画界にも、映画界の意地もあったということでしょう。
この選挙のタイミングの公開で、現政権に強烈なボディブローをくらわせたと言えます。
現存の人物たちの、リアルタイムのネタを題材にして公開した勇気ある映画というと、まず思い出すのが、あのオーソン・ウェルズの「市民ケーン」。
この映画では、実存で存命中の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストを思い切りコケにしました。
「市民ケーン」は、これが映画界デビューで、恐れ知らずの26歳だったオーソン・ウェルズだからこそ、作れた傑作映画。
山本太郎流にいえば、彼はまったく「空気を読まない」男だったわけです。
しかし、ハーストは言わずと知れたメディア王。
時の権力を敵に回したこの映画は、メディアを駆使した徹底的な妨害を受け、アカデミー賞では9部門にノミネートされながら、受賞したのは脚本賞のみ。
後のオーソン・ウェルズは、その才能を認められながらも、ハリウッドでは満足な活動はできませんでした。
チャップリンの「独裁者」もそう。
彼も、リアルタイムでナチス党のヒットラーをコケにしましたが、その後はハリウッドを追われました。
つまり、リアルタイムな権力を批判する映画を作るというのはそういう憂き目にあうことも覚悟ということ。
聞けば、この「新聞記者」も、何者かに、公式のサイトをサイバー攻撃されたと聞きます。
その首謀者が現政権だとはいいませんが、この映画も、実際に上映妨害にあったことは事実。
それだけ、この映画が、現政権の痛いところをついたということでしょう。
安倍さんに言わせれば、「ネガティブなイメージ操作だ。」ということかもしれません。
とんでもない、これは立派な「表現の自由」の権利の行使です。
もちろん映画はフィクションのエンターテイメント。
実際のネタを積み上げて、ラストは映画的な創作を工夫していましたが、これだとて然もありなん。
今の安倍政権なら、いかにもやりそうなことで、ゾッとしました。
参議院選挙も終わり、結果として、安倍自民党は、しぶとく生き残りました。
まったくもって、「悪いやつほどよく眠る」
映画のラストで、内調のボスが言ってました。
「この国の民主主義は、形だけでいいんだ。」
本日のイオンシネマ大宮の5番スクリーンの観客は、僕を入れて10人ほど。
しかし、そのほとんどが、見る限り今年還暦の僕よりも高齢の方々。
平日の昼間なら、当たり前だろうという気もしますが、是非とももっと若い人に、見てもらいたい映画でした。
とりあえず、尻込みして主演のオファーを断った数々の日本の女優たちに代わって、この映画に出演してくれたシム・ウンギョンの熱演に感謝の意を表します。
カムサハムニダ!
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