さて、農業の勉強は続きます。
この前に読んだ「農業を株式会社化する無理」は、定年退職後の、就農希望老人の就農イメージとしては、しっくりくる内容でした。
しかし、そうなると今度は反対の意見も聞きたくなってしまいます。
理想論を追うだけでは片手落ち。
やはり、それだけでは、所詮「家庭菜園」百姓の、地に足がついていない趣味の延長だろうと言われそうです。
そう思っていたら、どんぴしゃりのタイトルの本を見つけました。
「キレイゴト抜きの農業論」
まずは、背筋を伸ばして、拝読させていただきました。
筆者は、脱サラの新規就農者。
スタートラインは、僕と同じズブの素人です。
茨城県で、多品種の野菜を有機栽培で育て、インターネットを通じてのセット販売や、飲食店への直接販売で、農園を経営されています。
うちの畑も、とりあえずは多品種小ロットの野菜作りをしてきましたので、このスタイルで、きちんと経営されているという意味では、興味津々です。
まずは、モヤモヤが晴れなかった「有機農法」について。
これは、本書を読み終わって、かなりスッキリしました。
著者曰く、「有機農法は、あくまで農業のひとつの方法であって、目的ではない。」
つまり、有機野菜というブランドに依存するだけでは、けっして美味しい野菜はできない。
反対に、慣行農業で、農薬を使っても、規定通りの使い方であれば、人間に安全で、美味しい野菜はできる。
まず、このことを筆者は明言します。
つまり、有機野菜のブランドを、高い投資や審査を受けて獲得したとしても、デリケートな野菜たちは、それ以外の要素で、いくらでもその品質は上下するということです。
その管理をずさんにすれば、有機野菜であっても、美味しくない野菜は、確実に存在するということ。
野菜の美味しさにとって、それよりも大事なことは、品種、旬、そして新鮮さ。
この3つで、野菜の味の8割は、決定してしまうと、筆者は言います。
その3要素の、クゥオリティを最優先した上で、美味しい野菜を作る方法のひとつとして、有機栽培を選択しているとのこと。
結果として有機農法を採用しているけれど、ことさらそれを前面に押し出す販売戦略はしないというスタイル。
有機農業というだけで、食の安全に配慮し、環境にも高い意識を持つ農家だとは限らない。
また慣行農業だから、安全な野菜ではないというのも違う。
ただその危険性を煽るような昨今の風潮にも与しない。
ただ、生活者(野菜ソムリエの講座では、消費者をこう呼びます)の皆さんに、喜んでもらえる美味しい野菜を、新鮮な状態で届けたい。
有機栽培だからといって、その上に胡座をかくつもりはない。
これが、筆者のスタイルのようです。
ただ、この本にも書かれていますが、僕が今まで農業研修をしてきた大規模農家はほとんどは慣行農法でした。
田舎へ行けば行くほど、有機栽培に対する風当たりは強いのは事実です。
むしろ、有機野菜に意識が高いのは、都会の生活者たちです。
大規模でやればやるほど、有機農法は物理的に無理なことは、僕にも理解できます。
これが悩ましいところ。
わが畑の野菜も、事実上、無農薬の有機栽培になっていますが、これとて、もともと立派なポリシーがあってやっているわけではありません。
会社勤めをしながらの農業で、忙しくてそこまで、手が回らずに、結果的に有機栽培になっていただけの話。
結果、葉っぱは虫にくわれ、雑草は伸び放題。
それでも、商売ではない農業なので、ヤケクソで、「自然農法」「有機農法」の野菜だと、勝手に吠えているだけです。
有機栽培に対する愛着はありますが、だからといって、慣行農業にイチャモンをつける資格などあろうはずがありません。
有機栽培は、どうやらキレイゴトだけが一人歩きしているようです。
有機栽培の野菜が、慣行農法の野菜よりも、見映えがよくないのは承知していますが、正直申して、その味の差は僕の舌では、情けない話ですがわかりません。
畑の野菜をお裾分けをする人たちは、ほぼ皆さん「やっぱり美味しいね」とはいってくれますが、それは、意地の悪い言い方をすれば、おそらく、タダでもらえるものだからでしょう。
「安全で美味しい有機野菜」と書かれて、スーパーで普通の野菜よりも高い値札がついていたら、買っていただけるかどうかはかなり怪しい。
ということで、有機栽培に関しては、今後の老人一人規模の野菜づくりの方法としては、十分選択肢の一つとしてありだという程度に留めておきます。
そもそも、農業で、サラリーマン時代よりも稼ごうなどという野望はさらさらありません。
それは、若い人に任せます。
こちらとしては、老人一人、身の丈にあった生活を、農業という仕事をしながら、ささやかに暮らしていきたいだけです。
多くを望むわけではありません。健康で、死ぬまで働ければそれで上等。
それは、都会では無理だとわかるので、田舎への移住を目論むわけです。
なんといっても、農業には、定年がないことが最大の魅力。
今までも、畑で元気で働く、80歳以上の老人たちを、この目でたくさん見てきました。
足腰も次第に衰えてはいくでしょうが、農業の「現役」で、日々野良仕事をしていれば、都会でスポーツジムに通うよりも、はるかに建設的だろうという話です。
我が国は、農業政策のために、毎年およそ2兆円の予算を使っているそうです。
農業人口確保のために、地方にもそれなりの予算が下りているのはわかります。
僕のような老人でも、研修という名目で地方へ伺えば、交通費や宿泊費の補助は必ずあります。
Iターン、Uターンで、地方へ行って就農すれば、1年目から、最長7年目までは、定着までのサポートとして、毎年150万円の補助金が下りる地方自治体も多い。
それくらい、手厚く就農支援があっても、残念ながら定着率はよくない。
新規就農者で、10年後も仕事を続けられている人は、およそ4割だといいます。
馬の鼻面にニンジンをぶら下げで就農者を募る政策だけでは、人手不足解消の解決にはならないのでしょう。
やはり、システムそのものから見直さないと、日本の農業人口は減る一方だと思われます。
もうひとつ残念なのは、こういった国からの新規就農補助は、ほとんどが40歳以下。
残念ながら、定年組のシニアにはありません。
しかし、定年後に就農を希望している人は、僕だけではなく、必ず一定数はいるはずです。
先日、有楽町の交通会館で行われた、移住のイベントに行ってみたら、反対にそこは、若者よりもシニアの方が多かったですね。
養老孟司さんが、「誰もが60歳を過ぎたら、田舎へ行って農業をやれと法律で決めてしまえばいい。そうすれば、日本の過疎問題も、都会の労働問題もいっぺんに解決する」というようなことをおっしゃていました。
今自分が、その60歳を迎えてみると、その手もまんざら悪くないと思えます。
定年退職後、就農活動をはじめて、およそ3ヶ月がたちましたが、どうやら、若者たちと同じ土俵で勝負しても、老人には勝ち目はなさそうだとわかってきました。
ハローワークから、雇用保険をいただけるうちは、とにかく、就農のための情報を集めて、勉強することにいたします。
どうやら、老人には老人の、キレイゴトではない、就農活動がありそうです。
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