さて、我が中学時代の女神たち。
ここでは、同じく7人あげさせてもらいます。
まず、絶対落とせないアイドルが一人。
天地真理ですね。
彼女をはじめてテレビ画面で見たのは、TBSのホームドラマ「時間ですよ」。
このドラマで彼女は、ドラマの舞台「松の湯」の隣のアパートで、ギターを弾きながら歌っている「隣の真里ちゃん」。
「水色の恋」を歌っていましたね。
♪ さよならの言葉さえ いえなかったの♪♪
そして、彼女はこの曲で歌手デビュー。
同時期にデビューした、南沙織、小柳ルミ子と一緒に「新三人娘」として、一躍芸能界のトップアイドルに躍り出ました。
何が彼女の魅力だったか。
それはもう明らか。
そのずば抜けた笑顔力。これでしたね。
今だからこそハッキリ申しますが、「新三人娘」の中では、とりわけ美人というわけではなかった彼女。
その彼女が、あの時代、他の二人を頭ひとつリードしていたのは、圧倒的な親近感とその笑顔の魅力。
その後のおニャン子クラブ、AKB48に受け継がれていく、「身近なアイドル」路線のスタートは、間違いなく彼女でしたね。
彼女のデビューは1971年。
それから、天地真理ブームは、3年くらい続きますが、これが、ほぼ僕の中学生時代とスッポリ被ります。
しかし、彼女が僕の女神だったのは、最初の一年とちょっとでした。
そのファンだった時期のことよりも、それが突如収束したある「事件」のことの方を今でもハッキリ記憶しています。
それは、「真里ちゃんとデイト」年賀状事件。
人気絶頂だった頃の彼女は、アイドル歌手として、単独バラエティ番組を持っていました。
それは、シリーズになっていたのですが、その一番最初が「真里ちゃんとデイト」。
30分枠の番組で、彼女が5体の人形たちと繰り広げるバラエティ番組。
毎回芸能人のゲストが一人ずつ登場していました。
この番組がお気に入りだった僕は、この番組宛で、このトップアイドルとお気に入りのドラゴンの人形オレオレ(声 : 富田耕生)宛に、いきおいで年賀状を書いてしまったんですね。
ところが、その宛名をどう書いてしまったのか、彼女のところへは届かずに、なんと我が家に届いた年賀状と一緒に戻ってきてしまいました。
一生の不覚です。
これが、正月で我が家に集合していた、親戚一堂にーの目に触れることとなります。
まさか、その一枚が戻ってきているとは夢にも思わず、兄弟の中では一番多かったその年賀状の束を、親戚たちにみせてしまったんですね。
当時、僕はおそらく中学二年生。
この年齢が微妙でした。
おそらく、僕が小学生だったら、それが発覚しても、微笑ましい光景で済んだかもしれません。
しかし、その頃の僕は、ぼちぼちと一般洋画も見始めており、そこそこマセた小生意気な少年になっていました。
今なら、中学生でAKBは、まだあたりまえかもしれませんが、あの頃はそうでもなかった。
その大人の入り口の中学生が、当時の日本人なら誰もが知っているトップアイドルに秘かに年賀状を書いていたとなれば、親戚たちのイジリまくりは必至。
集っていた親戚たちは残酷でした。
僕が取り戻す間も無く、その天地真理のイラスト、コメント入り年賀状をその場で読み上げられてしまいます。
とにかく、叔父さんたちはお酒も入っていい気分。
「よしわかった。この年賀状は、帰りがけに俺が、TBSに届けてやる。」
大きなお世話です。
この瞬間に、僕の中のアフロディーテ天地真理は、完全にガラガラバッシャン。
もちろん、彼女には全く罪はありません。
それ以降、僕の女神たちの中から、アイドル歌手は、高校時代のキャンディーズを待つまで、姿を消すことになります。
アイドルのファンになるのは、危険!
さて、前段で申し上げました。
僕が、それまでの「東映まんが祭」「東宝特撮」「大映特撮」から卒業して、はじめて洋画の世界に足を踏み入れたのがこの時期でした。
その記念すべき最初の一本。
これは、今でもハッキリと覚えています。
1972年日本公開の007シリーズ第7作目。
お小遣いを握り締めて、一人で有楽町まで出かけていきました。
友人のお兄さんの持っていた、シャリー・バッシーの歌うこの映画の主題歌のシングル・レコードのジャケットが、なんともエロかっこよかった。
これに妄想が膨らんで、いても立ってもいられなくなったというのが動機。
とにかくマセたガキでしたから、せっかくのお小遣いを、お行儀の良い映画などには使いたくなかった。
ナイスバディの美人女優が登場するエロいシーンが期待できる映画。
自分のなけなしのお小遣いを使うのですから、それが絶対条件でした。
今のようにネットでチェックという時代ではありません。
情報ソースは、我が家の店頭に並ぶ映画雑誌。
隅から隅まで目を通して、そこは吟味しました。
その「007 ダイヤモンドは永遠に」のボンド・ガールだったのがこの人。
ジル・セント・ジョン。
ボンドガールとしては、ちょっと渋めの女優かも知れません。
しかし、最初の「女」は、忘れ難いもの。
この人は、この映画以外に特に特筆すべき出演作品はないのですが、なにせこちらとしては初めて見る、動くハリウッド女優。
007シリーズなら当たり前の、ショーン・コネリーとのキス・シーンやベッド・シーン。
なぜか、ビキニ姿で敵の海上基地を歩き回る彼女のパンツのお尻に、ジェームズ・ボンドがカセット・テープを差し込むさりげないシーンにも、こちらはドキドキ。
この人はしっかりと、アフロディーテとして、マセガキの心に刻まれてしまいました。
そして、最初に見た洋画からの影響は、やはり強烈。
記憶もバッチリ。
ましてや、多感な頃です。
メインのボンド・ガール以外にも、007シリーズなら、少年の心をドキドキさせる美女が大挙出演していて当然。
冒頭のカジノのシーンで、ジェームズ・ボンドにお持ち帰りされてしまうナイス・バディの美女がいました。
その彼女は、どういう展開だか忘れましたが、その部屋で裸にされて、建物の下のプールに投げ落とされて出演終了。
それでもはっきりと脳裏に刻まれたのは、彼女の巨大なバストです。
買って帰ったパンフレットで確認したら、その女優の名前はラナ・ウッドと判明。
あのナタリー・ウッドの実の妹とのこと。
しかし、ナタリーの代表作「ウエストサイド物語」「理由なき反抗」「草原の輝き」を見るのはいずれも大学生になってからですから、僕としての出会いは、このグラマーな妹の方が先。
もしかしたら、ジル・セント・ジョンよりも、彼女の方の印象が強かったかも知れないなあ。
さて、もう一度言います。
なけなしのお小遣いで、ロードショー映画を観に行き始めた中学生時代。
お目当ては、とにかくお気に入りの女優のエロいシーンが出てくる映画。
これに限定していました。
AVなどまだ影も形も無かった時代です。
中学生の性的好奇心を満たしてくれたのは、もっぱら洋画でした。
どんなに、評判のいい作品でも、エロいシーンが望めない映画はスルー。
そこは徹底していましたね。
「ある愛の詩」も「フレンチ・コネクション」も、観たのは全て大学生になってから。
「ポセイドン・アドベンチャー」や「燃えよドラゴン」は、お小遣い節約のため、父親を口説き落として、一緒に観に行きました。
そういうわけで、当時の映画雑誌「スクリーン」「ロードショー」は、毎月発売日にチェックしていました。
本屋の息子の特権は、フル活用していましたね。
この1970年代前半の時代は、それまで、アメリカの映画界の倫理規定を縛っていたヘイズ・コードがその効力をうしない、ニュー・シネマの台頭で、映画の中にヌードは当たり前になってきた時代です。
そそる映画は、探せばあるある。
そこで、次のアフロディーテはこの人。
映画「愛の狩人」に出演したアン・マーグレット。
この人のバストも強烈でした。
元々は、エルビス・プレスリーの映画などに多く出演していた、歌って踊れる女優。
その彼女が、演技一本で勝負したのがこの「愛の狩人」。
監督は、マイク・ニコルズ。
あの青春映画の名作「卒業」を監督した人です。
彼女は、この映画でオール・ヌードを披露。
気合が入っていました。
これを、マセガキが見逃すはずがありません。
特に強烈だったのが、彼女が登場してまもなく。
お持ち帰りされた彼女が、玄関先で、その巨大なバストに、ジャック・ニコルソンの顔を埋めさせるシーン。
中学生には、強烈なシーンでした。
彼女の出演作品は、60年代に遡ることはありませんでしたが、それ以降の作品は、やはり同じようなシーンを期待して追いかけましたね。
そして、この映画も強烈でした。
バイオレンスの巨匠サム・ペキンパー監督の「わらの犬」。
それまで、西部劇を主に撮っていた彼が挑んだ初めての現代劇。
主演は、ダスティン・ホフマン。
そして、その若妻役がスーザン・ジョージ。
彼女が、輪姦されるシーンが凄まじかった。
これは、度肝を抜かれましたね。
ペキンパー監督の得意技であるスローモーションを駆使した演出は、下手なAVよりも、はるかに強烈でした。
(もちろん、その頃にAVはありませんでしたが)
最初は抵抗していた彼女でしたが、最後には明らかにその男を受け入れている。
そして、そのつぶらな瞳からは涙が一筋。
ところが、その背後には・・・
もちろん、レイプは言語道断の行為ですが、彼女が表現した複雑な女性心理は、人間のうちに潜む色々なものを感じさせて、胸に迫るものがありました。
スーザン・ジョージは、この映画一本で、僕にとっては忘れられない女優になりましたね。
この後、「おませなツインキー」「ダーティ・メリー・クレイジー・ラリー」「マンディンゴ」と、彼女の作品は追いかけましたが、「わらの犬」は超えることはなかったなあ。
さて、次に紹介する女優をご存知の方はそうはいないと思います。
ステファニー・ビーチャム。
恐怖映画に多く出ていた女優ですが、僕が観た彼女の出演作品は一本だけ。
1971年の作品。「妖精たちの森」
映画雑誌に紹介されていた、この映画の写真がとにかく凄かった。
おもわず、なまつばごっくん。
全裸の彼女のバストを、マーロン・ブランドが鷲掴みしているカットです。
これが、「キネマ旬報」のグラビアに載っていました。
もちろん、ポルノ映画ではありません。
ヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」の、前日談を描いた格調高いイギリス映画です。
この映画を観た勢いで、原作は読みましたが、基本的にはホラーでしたね。
マーロン・ブランドが演じたのは粗野な下男、ステファニー・ビーチャムが演じたのは家庭教師。
この二人が夜な夜な絡み合う姿を覗き見た、幼い兄妹は・・・
マーロン・ブランドは、同じ年にあの「ゴッドファザー」に出演しています。
ドン・ビトー・コルレオーネの老けメイクを落した、同時期の素のブランドを確認するという意味でも、興味深い映画でした。
後に、レンタルビデオでこの作品を見つけて、あの強烈な愛欲シーン目当てに借りて見てみたら、なんとそのシーンがバッサリとカット。
ガッカリしましたが、後に仕入れたらDVDでは、ちゃんと復活。
もちろん、今は、スケベジジイの永久保存版ディスクになっています。
さて、中学時代のアフロディーテ最後の一人。
この人です。
ポルノ女優シャロン・ケリー。
おいおい待て待て。
おまえまだ中学生だろう。
もちろん、そういうツッコミは当然。
しかしながら、誠に申し訳ない。
もう時効ですから白状してしまいますが、僕が初めてポルノ映画を見たのは、中学3年の時でした。
そして、その映画は、もちろん忘れもしません。
タイトルは、このシャロン・ケリー主演の「ポルノ探偵局 ダーティ・サリー」。
ポルノ映画なら何でもいいというわけではなかったですね。
明らかに、彼女の出演作品を選んで決行いたしました。
大宮にあったオークラ小劇場に、初めての大人料金を握りしめて、サングラスにマスク、そして深々とアポロキャップ。
今から思い起こせば、そんな笑ってしまうような変装をして、「大人一枚」と言って、チケットを買った時のドキドキ感は、今でも鮮烈に覚えています。
そして、この映画の主演女優シャロン・ケリーの名前も、当然のように、永遠に刻まれましたね。
シャロン・ケリーは、来日ポルノ女優第三の使者でした。
一番最初に来日したポルノ女優は、サンドラ・ジュリアン
この人は、フランスの人。
来日した際には、東映の成人映画にも出演してくれました。
第二の使者は、フリーセックスの先進国スウェーデン出身のクリスティナ・リンドバーグ。
。
ロリータ系のルックスに、豊満なバディ。
いかにも、日本人受けしそうなポルノ女優でした。
この人も、来日した時には、日本の成人映画に出ていますね。
そして、第三の使者がこの人でした。
なんで、そんなことを中学生が知っていたかというご質問にお答えします。
同世代の方はご存知かと思いますが、彼女たちの来日レポートをオンエアしてくれていたのが、当時の日本テレビの深夜番組「11PM」でした。
ジャバダバダ、ウィーッシャバダバのあの名物番組です。
そうなんですよ。
1970年台初頭の大人向けバラエティ番組は、思い起こせば、今よりもはるかに過激で、アグレッシブでしたね。
けっこうエロい企画満載でした。
ポルノ女優の来日もしっかりフォローしてくれました。
夜な夜な、「11PM」はチェックしていた中学生時代。
そこで、嫌でもインプットされてしまったシャロン・ケリーの来日情報。
彼女の映画を何がなんでも見てみたいという妄想は、ここでパンパンに膨れあがりましたね。
そして、補導覚悟で、挑んだポルノ映画館潜入作戦。
幸いこれは、無事に成功しました。
以降、この違法行為は、きちんと成人になるまで延々と続きます。
おそらくは、そうと気づいていながらも、黙って入場券を売ってくれたオークラ小劇場のチケット売り場のオバサンには、改めてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
ちなみに、彼女が来日時に撮った作品が東映の成人映画「色情トルコ日記」。
今はもう、この「トルコ」の意味さえ知らない人もいるかもしれません。
「ソープランド」のことです。
相手役は、去年亡くなった梅宮辰夫。
当時の日本の映画界は、日活は、ロマンポルノへ。
東映も負けじとポルノ路線。
映画産業は斜陽で、かなり怪しげな雰囲気になっていましたね。
そんなわけで、我が中学時代のアフロディーテを、ここでは7人を紹介いたしました。
もはや、この頃になると、少年時代のピュアな女神像とは、大きく乖離して、一気に怪しげなモードになっていきます。
トップアイドルから、ハリウッド女優を経て、ポルノ女優へと。
女神像は、急激な変化を遂げた中学時代。
このスケベ路線が、もっとエスカレートしていくのが、高校時代。
こうご期待。
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